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展覧会レポ:アートは生命体か? 松田ハル「不自由のオーバーワールド」展が京都で 

 松田ハルさんの個展「不自由のオーバーワールド」が、京都御所の南「COHJU contemporary art」で開催されている。


COHJU contemporary art 入口

松田ハル「不自由のオーバーワールド」展
- 会期:2023年10月27日(金)-11月25日(土)
- 開廊:火-土 13:00-18:00
- 休廊:日・月・祝日
- 会場:COHJU contemporary art
- 住所:京都市中京区毘沙門町557 江寿ビル1F
- TEL:075 256 4707
- Email:contact@cohju.co.jp

松田ハル

 松田さんは、1998年岩手県生まれの若手作家で、現在は東京を拠点に活動中。

 版画(シルクスクリーン)とVRを組み合わせた「VR版画」を中心に、平面・立体・映像・インスタレーションなど形態を問わず作品を発表している¹。

展示作品について

 平面と映像のインスタレーション。私なりの理解で恐縮だが、版画が絵画を複製する技術だとすれば、松田さんの作品は空間を複製するVRの手法で制作されたアート、ということだろうか。
 コンセプトの根底には、ゲーム「マインクラフト」の世界から、原始的な衝動に憧れるのはなぜ? という疑問があるらしい。
「画面の中の結局届かないものに思いを馳せること、~(略)〜その原始的な欲望を忘れることができないということ。私たちの欲望は間接的にしか解消できなかった~」²

会場内のインスタレーション

プリミティブな感情

 原始的な欲望とはなにか。お仕事を例に考えてみたい。テクノロジー系のお仕事は原始的ではあるまい。では農業ならどうか。実際に現代の農業を体験したとしても、おそらく同じ「届かないもの」になるはずだ。現代の農業はすでに機械化され、工業化されているからだ。
 ではアマゾンの奥地に行けばどうだろう。原住民の若者に道案内を依頼すると、スマホのGPS機能を使うという。そもそも、原始的なものなど世界に残っているのだろうか。

空中を浮遊するようなもどかしい気持ちのまま、まったくの嘘で創造しよう。²

文末参照

 松田さんの文章は、ネガティブな内容なのに、なぜかポジティブに読めるから不思議だ。

見出し画像を近接撮影

アートは生命体か

 テレビ番組「居間からサイエンス」³に登場された立教大学の末次正幸先生は、「生き物」とは何か? という疑問にこう答えておられる。
「僕のなかで定義があるんです。一つは自己複製。自分自身を増やすもの。」³
 これだけなら機械やプログラムで代用できそうだ。生命の定義はもう一つあるという。それが「進化する能力」。
 つまり「増えて進化できれば生き物だ」と末次先生はおっしゃる。

作品の横には

 松田さんの作品はどうか。複製である。で、面白いのは二つ目だ。おそらく制作過程において、バグが発生しているはずだ。
 末次先生はこうも仰っている。自己複製、つまりコピーをとるさい、エラーが発生する。それは個性と言い換えることもできる。多様な個性が発生するなかで、環境に最適なものが増えてゆく、と。
 複製とエラー、松田さんの作品は、その制作過程において、生命進化の根源的な部分に触れている。もちろん、擬似的にではあるが。

「漠然と何かある予感」²

 アートは静止したものではなく、動的なものだ。一方、生命も、環境や遺伝、突然変異や自然選択の影響によって、常に新しい種や適応、進化を起こしている。
 アートと生命は、固定したものではなく、自己複製し、変化するものだ。

 よくわからないことを長々と書いてしまったが、松田ハルさんの世界を体験すれば、
 「気がつけば現実も変わって見える」²はずだ。
 なぜなら、擬似的にではあるが、生命の進化を体験させてくれるからだ。


ソース:
¹: [COHJU contemporary art] 不自由のオーバーワールド | (https://www.cohju.com/ja/exhibitions/47/overview/)
²:松田ハル「水槽の中から炎を見る」アーティストステートメント
³:「居間からサイエンス」BSテレ東、11月8日(水)放送


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