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『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』批評〜過去作と共にクレイグボンドを振り返る〜

映画史にシリーズ作品、007の25作目になる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が度重なる公開延期を経て、10月1日に公開された。実に1年半以上の公開延期を経てのファン待望の最新作であり、2006年の『007 カジノ・ロワイヤル』から今作含めて5作に亘ってジェームズ・ボンド役を務めてきたダニエル・クレイグのボンド役引退作です。
007を見たことない人にも伝わるように007シリーズと『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』について考えてみようと思います。

※『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』及びダニエル・クレイグ主演の007過去作のネタバレがあります。お気をつけください


007シリーズのあり方を変えたダニエル・クレイグボンド

そもそも007とは、第二次世界大戦中にイギリスの諜報員として活動していた小説家イアン・フレミングが執筆したスパイ小説が原作です。1962年にショーン・コネリー主演で『007/ドクター・ノオ』が映画化されると、その後主人公ジェームズ・ボンド役の俳優を世代交代しながら今作まで25作品に亘って続いてきました。

007シリーズは、主演俳優はいずれもイギリス人の俳優で、イギリス文化を踏襲した、まさにイギリスの国民的映画シリーズと言えます。007シリーズは基本的に、MI6の諜報員ジェームズ・ボンドとその上司であるM、ガジェットを開発してくれるQ、秘書のマネーペニー、CIAのフェリックス・ライターやヴィランであるブロフェルドなどのキャラクターなどが共通することを除けば、作品どうしの繋がりはほぼありませんでした。

共通するのは英国紳士なMI6のスパイ、ジェームズ・ボンドがセクシーに女性を口説きながら、世界を救うというコンセプトくらいです。

しかし、2006年にピアース・ブロスナンに代わってジェームズ・ボンドを務めることになったダニエル・クレイグ主演の『007 カジノ・ロワイヤル』で、007シリーズは大きな転換点を迎えることになりました。
今までの007シリーズは、ボンドが女性たち(ボンドガールと言います)を口説き落とて最後は敵を倒して世界を救う、良くも悪くもスカッとするスパイ活劇だったのですが、『カジノ・ロワイヤル』におけるボンドは少し陰のある人間味溢れるものになりました。

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今までは勧善懲悪的な悪いテロリストをやっつけるスーパーヒーローだったボンドですが、ダニエル・クレイグが演じるボンドは殺し屋的な仕事に自責の念を感じたり、真摯に1人の女性を愛したりしていて、等身大の人間として描かれています。

過去作においては、ボンドガールの扱いはワンナイト的で、悪く言えば女性を道具のように扱っていて主体性があまりないような描かれ方をされていることが多かったのですが、『カジノ・ロワイヤル』でボンドは初めて真実の愛を知ります。それがヴェスパーです。このことについては詳しく後述します。

どんな女性も堕として、敵を殺して生還する神のように描かれてた今までのジェームズ・ボンド像を「クレイグボンド」は塗り替えてくれました。特に今作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は観客の「僕の/私のジェームズ・ボンド」を決定づけた作品となりました。これから詳しく書いていきます。


『カジノ・ロワイヤル』〜『スペクター』

『007 カジノ・ロワイヤル』(2006)

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ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドに抜擢されたのが『カジノ・ロワイヤル』です。初めてのブロンドヘアーのボンドと言うこともあって、当初は驚きを持って迎えられました。

ストーリー
ボンドはカジノでのポーカーで巨額の利益を手に入れようとするテロリスト、ル・シッフルの目論見を阻止するため、FATFのヴェスパー・リンド、CIAのフェリックス・ライターと協力し、ポーカー大会に参加する。
ボンドは数々の窮地を切り抜けル・シッフルにポーカーで勝利する。ル・シッフルはボンドを拷問して金を手に入れようとするが、ボスであるミスター・ホワイトの差し向けた殺し屋に殺害される。
ボンドはヴェスパーと愛し合い、引退も決意するが、ポーカーの金が入金されておらず、ヴェスパーの裏切りが発覚する。ヴェスパーはボンドの命を助けるためにミスター・ホワイトに金を渡し、ボンドの目の前で自死する。

簡単にまとめるとこんなストーリーです。

ボンドがマッツ・ミケルセン演じるル・シッフルに拷問されるシーンは男性なら肝を冷やす様なおぞましいもので、007の歴史上最もボンドが身体的に惨めになるシーンかもしれません。
ヴェスパーという1人の女性を愛することで、殺し屋の様な自らの仕事に疑問を持ち引退を決意するという展開は今までの007では見られないものでした。ボンドが結婚をしようとする展開や辞職をしようとする話は『女王陛下の007』(1969)という映画があるのですが、この映画はとても出来が悪いです。

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でも、ボンドがヴェスパーのことを忘れられないシーンがあり、いかにヴェスパーがボンドに影響を与えたのか窺い知れます。

『007 慰めの報酬』(2008)

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『007 カジノ・ロワイヤル』に続く、007シリーズ初のストーリー的繋がりのある続編として製作されました。

この映画はボリビアで起こったコチャバンバ水紛争という水道民営化による水道料金値上げで起こった実際の反対運動が下敷きになっています。新自由主義と水の関係というグローバル社会の問題を描いた作品という点もかなり特殊です。

しかしながら、麻薬密輸業者がボリビア人という設定にボリビア政府から抗議されたり、スタントマンが重体に陥る大事故が起きたり、ダニエル・クレイグも顔に怪我を負って整形手術を余儀なくされるなど、数々のトラブルに見舞われました。

映画自体も単調で、ボンドも魅力的ではなく、ボンドとミスター・ホワイトの対決も対して進まなかったので、酷評されました。


『007 スカイフォール』(2012)

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酷評された前作から一転、伝統的なスタイリッシュなボンドへと回帰した傑作が『007 スカイフォール』です。

ブロスナン時代から上司のM役を務めてきたジョディ・デンチの引退作品で、過去とボンドの「母からの独立」がテーマになっています。

映像的な見せ場にかけた前作と違って、『カジノ・ロワイヤル』以降初めて Qが登場し、ギミックが登場。さらにアクションも熟練したものになり、伝統的なボンドの姿を見せてくれました


『007 スペクター』(2015)

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ボンドが愛した女性ヴェスパーを死に追いやったミスター・ホワイトとの決着、その背後にいる犯罪組織スペクターとの攻防、ミスター・ホワイトの娘マドレーヌとの恋など魅力的にならざるを得ない展開でありながら、全く魅力的にならなかった残念な駄作。

アクションは後半になるにつれ尻すぼみ、ボンドが敵の妻にキスして半ば強引にセックスに持っていく時代錯誤の描写(AVじゃないんだから...)、ようやく登場したのに全くインパクトも凄みもない描かれ方をしたスペクターのボス ブロフェルド、意味のないただ金を無駄使いしたかのような爆破シーンなど、まるで全ての選択を間違えてしまったかのような作品だと思います。

よかったところは、メキシコのお祭りが楽しそうなのと、マドレーヌ役のレア・セドゥがとってもセクシーなとこくらいです。

ただ、この作品が『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』 に繋がっていく大切な作品で、マドレーヌという007史上最高のボンドガールとボンドが真剣に恋に落ちるのも素晴らしく、ボンドの成長を語る上で見逃せない作品になっています。


『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』 〜フクナガ監督が意識した日本美〜

今作は随所に日本文化への意識が感じられます。

今作のヴィランであるサフィン。ミスター・ホワイトによって家族を殺害され、スペクターと世界に復讐を誓うテロリストです。
サフィンは能面をかぶっていて、全編通して目的も過去も詳細には描かれない曖昧な存在です。

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みなさんは能面にどのような印象を抱くでしょうか?

能面はたくさんの種類があり一様ではありませんが、能面の多くは複数の感情を一つの面に込めています。場面や見る人によって能面から受ける印象を変わります。笑っているようにも見えるし、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えます。これは現代の理論でいう認知バイアスを上手く利用した伝統芸能の技術であり、今作の監督である日系のフクナガ監督の「見る人によって表情が変わり、ミステリアスだから」という能面を使った理由も実に的を射ています。

サフィンがかけている面(能面は「つける」よりも「かける」と言うことが多いです)は「増女ぞうおんな」と呼ばれるもので、室町時代の田楽師、増阿弥が創作したものと言われています。増女は天女てんにょや女神に使われる面のため、人間を表す面のような愛らしさなどは排除され、感情の読み取りづらい表情をしていると言います。

映画を見た人なら感じると思いますが、サフィンはその目的も、過去もさらっと言葉でセリフで言われるのみで、掴みどころがありません。

さらに冒頭のサフィンがマドレーヌと彼女の母親を襲撃するシーンにおいて、執拗に「御簾みす」の表現が多用されます。御簾とは高貴な人間と下々の人間を隔てる仕切りのようなもの。御簾の内側から外の様子は見えるものの、外側からはぼんやりとしか見ることができない、いわば平安時代のマジックミラーです。

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サフィンが雪道を歩いて、マドレーヌの元に来るシーン。マドレーヌは能面をつけたサフィンの姿を窓越しに視認します。サフィンもガラスを通して部屋の中を覗きます。マドレーヌが部屋の隅に隠れたり、ベットの下に潜ってやり過ごそうとする時、一方からは相手が見えている状態が続いています。極め付けは凍った湖の上と水中という構図。お互いはぼんやりとしか視認できません。

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このように「御簾」の表現がかなり多用されているのですが、能面と合わさって「敵の正体が見えない」ことが映像的に表現されています。

サフィンを不明瞭で不気味な敵として描くことで、ボンドの過去や疑心といったボンド自身の「陰」がボンド最大の敵であることが示唆されます。一方でサフィン自身が深く描かれないため、どうしても敵に深みが感じられないという欠点にもなってしまい、僕自身は少々映画全体のマイナス点かなと思いました。

能面、御簾以外に日本的美意識を感じさせる演出がありました。それはサフィンのアジトです。

サフィンのアジトにあった毒の花が咲き誇る庭園は枯山水かれさんすい(岩や砂などで山水を表現した日本庭園の様式)が用いられており、ボンドとサフィンが対峙する部屋は畳が敷かれていました。この部屋でボンドがジャパニーズ土下座するシーンは今までのボンドには見られない屈辱的なシーンであると同時に、愛する者の為に全てを投げ打つボンドの姿に心打たれます。

そして、そんなサフィンのアジトは全体的に薄暗く、光よりも陰が意識されていました。

明治時代から昭和中期に活躍した文豪、谷崎潤一郎が著した『陰翳礼讃いんえいらいさん』は日本文化とは「陰」の美学であると主張しています。西洋は食器も宝石も光り輝くものが好まれるのに対し、日本人が愛でてきたのは翡翠ひすいや水晶や漆であったことなど、いくつかの事例をあげて陰の美学を礼賛しています。

サフィンもこの「陰」の美学の信奉者であって、自らの過去という陰から逃れようとするボンドの「光」を求める姿との対比として描かれているのです。


ジェームズ・ボンドとスネーク 〜蛇はもういらない〜

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を見てもう一つ感じたのはメタルギアシリーズとの類似性です。

メタルギアシリーズは、ゲームクリエイターの小島秀夫が1987年に発表した『メタルギア』というゲームシリーズです。2015年の『メタルギアソリッドV ファントムペイン』で完結するまで、スピンオフを除いたナンバリングタイトルだけでも7作品が発表されました。ジャンルを問わず世界中のクリエイターから熱烈に支持されており、ハリウッドでの映画化企画が始動している人気シリーズです。

これだけの長期シリーズなのでストーリーはかなり壮大なのですが、以下に時系列順でできるだけ簡潔にまとめます。

ストーリー
冷戦下。アメリカの特殊部隊FOXのエージェント、スネークは核戦争の危機を止めるため、ソ連奥地に潜入する。新型兵器シャゴホットの破壊とソ連に亡命したかつての師、ザ・ボスの暗殺が目的だ。
スネークはシャゴホットを破壊し、ザ・ボスの暗殺に成功する。しかし、ボスの亡命の真相は、第二次世界大戦中の秘密資金「賢者の遺産」を秘密裏に奪取し、アメリカに渡すための偽装亡命だった。スネークは「ビックボス」の称号を与えられるが、FOXを除隊し「国境なき軍隊」を組織する。
「賢者の遺産」を引き継いだビッグボスとその仲間たちによって作られた組織「愛国者達」を創設。しかし創設メンバーの一部がビッグボスに極秘で「恐るべき子供達計画」を始動し、ビッグボスのクローンを作り出す。このことでビッグボスは「愛国者達」から離反し「愛国者達」に蹶起を起こすが、自らのクローンであるソリッド・スネークによって阻止され、殺害される。

ビッグボスのクローンの一人リキッド・スネークのシャドー・モセス島での核兵器メタルギアを使った武装蜂起、もう一人のクローン、ソリダス・スネークのビッグ・シェル占拠事件などの数々の事件もソリッドによって阻止される。ソリッドは全ての裏にいる「愛国者達」の殲滅を目的に行動するが、実は「愛国者達」はほぼ全員既に死亡しており「愛国者達」の実権はAIに移行されていることを知る。世界は「愛国者達」のAIによって管理されていたが、ソリッドの活躍で「愛国者達」のAIは破壊された。

ソリッドは遺伝子で目標を識別して作用するウイルス「FOXDIE」に感染しており、それが無差別に攻撃するものに変異するのを恐れて、ビッグボスの墓前で自殺しようとする。そこに死んだはずのビッグボスが現れ、FOXDIEから変異の危険性がないこと、ソリッドに残りの人生を生きることを伝えて、息絶える。ソリッドは残りの人生を安らかに生き抜いた。

かなり簡潔に書きましたが、7作品をギュッとするとメタルギアとはこういうストーリーです。

このストーリーの裏に、反戦反核や遺伝的情報(ジーン)と文化的情報(ミーム)のあり方、情報化社会への風刺など重厚なテーマと人間ドラマが描かれています。


このメタルギアシリーズと『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の類似性はいくつかありました。

ソリッド・スネークが感染し、多くの敵を知らぬ間に殺害することになったウイルス「FOXDIE」は、今作に登場したヘラクレスウイルスによく似ています。目標識別型であること、絶対に取り除くことができないことなど共通する部分が多くあります。

そしてもっと根本の部分に関わってくるのが、時系列的には完結作品になる『メタルギアソリッド4』におけるビッグボスの死の場面です。

FOXDIEの拡散を危惧したソリッドがビッグボスの墓前で自死を選ぼうとした時、AIによる仮死状態から復活したビッグボスが現れます。事の真相を話した後にビッグボスはFOXDIEによって亡くなるのですが、ビッグボスは亡くなる前に自らのクローンであるソリッドに語りかけます。

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エージェントとして生き、真っ当な人生を歩めなかったビッグボスが「愛国者達」の崩壊によって全てから解放され「蛇はもういらない」と語るシーンは、クレイグボンドの最期のシーンの笑顔で重なる部分がありました。

また、ビッグボスが臨終の言葉として「いいものだな」と呟くのも、「自分の子供ではない」と、クローンであるソリッドを突き放していたビッグボスが、ソリッドに対し最期に父性のようなものを少しだけ感じたようにも受け取れます。

このシーンは、ボンドが自分の死を覚悟しながらも、自分の子供の存在を知り「僕の目だ」と笑顔でこの世を去っていくシーンと重なります。蛇のように陰を生き、何も残せなかったビッグボスとジェームズ・ボンドが、自らの蛇としての荷を下ろした瞬間です。
奪うことで生きてきた者が、死ぬ最後の瞬間に遺す喜びを知ったのでした。

007もメタルギアも長寿シリーズですが、物語の幕の下ろし方は実に似たものになりました。


今後への期待

007シリーズは25作目にして初めて「完結」を迎えたわけです。

今まで単発のように作られていたシリーズが、『カジノ・ロワイヤル』でのダニエル・クレイグのボンドの誕生で一つの物語として「始まり」、『慰めの報酬』や『スカイフォール』で成長し、苦悩し、『スペクター』で愛を知り、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』で幸福のうちに亡くなりました。

今まで神のように扱われていたジェームズ・ボンドを1人の男の人生として脱構築し、その誕生から死までを15年かけて見せる。こんなことされたら感動しないわけないんです。神の曲芸ではなく、僕たちと同じ人間の物語にしてくれたんですから。

クレイグボンドの物語は終焉を迎えましたが、もちろん007は続いていきます。

リブートされた次回のジェームズ・ボンドはクレイグボンドの真似をしても、焼き回し扱いされるでしょうし、それ以前のボンド像に戻っても時代錯誤と言われるでしょう。かなり難しいと思います。

それでも、やっぱり続編が見たい!そう思わせてくれるのが007の魅力です。

個人的には、トム・ハーディかイドリス・エルバにボンドをやってほしいと思いますね。彼らが一番イギリス訛りの英語で「I'm Bond. James Bond.」って言ってる姿が目に浮かぶんですよ。

それからアナ・デ・アルマス演じるパロマ、すごいよかったんですが脚本上の必要性が皆無だったので、これは次のシリーズにも登場させて欲しいです!それかスピンオフでも!

『ノー・タイム・トゥ・ダイ』もう一回見て次回作妄想したいと思います!

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