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音楽のアングル:Múm『Finally We Are No One』

世の中には様々な音楽があります。
ポップス、クラシック、ロック、ジャズ、ヒップホップなど好きなジャンルは違えど多くの人が何かしら好きな曲やアーティストがあることでしょう。

ただ僕はよく感じます。この国で流行している音楽は幅が狭くて、しかも流行ってないものしかみんな聴かないのだなと。
もちろん好みは人それぞれ、それは全然構わないのですが、例えるならみんな綺麗な湖しか見てないんじゃないかと感じます。
「こっちを向くと海もあるし、池もあるし、山もあるよ!」いろんな美しさに触れてほしいと思い、音楽の魅力をみなさんが普段聴いているのとは違うアングルから音楽について書きたいと思います。

アイスランドの幻想的な風景と人間の深層心理を紡ぐ音

今回紹介したいのはアイスランドのエレクトロニカバンドMúm(ムーム)の2ndアルバム『Finally We Are No One』です。

MúmはGyða(ギーザ)とKristín(クリスティン)の双子の姉妹を中心にアイスランドで結成されました。

Múmが2002年に発表した2ndアルバム『Finally We Are No One』はアイスランド音楽史を代表する名盤の一つとして知られています。

アイスランドの音楽と言えばSigur Rós(シガー・ロス)やBjörk(ビョーク)などが日本では有名ですが、Múmは彼ら彼女に次ぐ評価を得ているバンドと言えます。

GyðaとKristínの姉妹だけでなく、フォークミュージシャンのÓlöf Arnalds(オルロフ・アルナルズ)や映画『ジョーカー』で音楽を担当したHildur Guðnadóttir(ヒドゥル・グドナドッティル)もかつて在籍していました。

Múmの音楽はシンセサイザーやサンプラーなどを利用したエレクトロサウンドに、フォーク・ロック的なビートとアンビエントな空気感を持ったポスト・ロックです。

意味不明だと思うので、もっと分かりやすくするとダンスミュージックらしいサウンドを持っているものの、根底はロック、全体の雰囲気はアンビエント(環境音楽)だということです。

このような音楽はルーツを辿ると60年代に活動したヴェルヴェット・アンダーグランドというバンドに遡ることができますが、『Finally We Are No One』に見られるようなエレクトロサウンドとフォーク・ロックを融合したような、今ではフォークトロニカとして確立している音楽は、『Finally We Are No One』発表時はかなり先駆的でした。

『Finally We Are No One』で最も特筆すべき曲は「Green Grass Of Tunnel」でしょう。

エレクトロサウンドを基調としながらピアニカやチェロ、手拍子まで登場する曲は展開の複雑さと相まって、アルバムの幻想的な雰囲気を作り出す中心的な曲です。2曲目に置かれており、一気にアルバムの世界に引き込んでいきます。

人間性を瓦解し「描写」することのみを貫いた詩

『Finally We Are No One』に収録されている曲の歌詞を読み解いていくと、このアルバムには一貫したテーマがあることが分かります。正確に言うとテーマを瓦解し、暗闇の中に溶け込んでいくことがテーマになっています。

「Green Grass Of Tunnel」の歌詞を見てみましょう。

Down from my ceiling drips great noise
(素晴らしい音が天井から滴り落ちてくる)
It drips on my head through a hole in the roof
(屋根に空いた穴から私の頭の上に落ちてくる)
Behind these two hills here, there's a pool
(裏の二つの丘には池があって)
And when I'm swimming in through a tunnel, I shut my eyes
(私は目を閉じてトンネルを泳いで通っている)

Inside their cabin, I make sound
(彼らの山小屋で私は音楽を演奏する)
In through the tubes, I send this noise
(管を通して私は音を送るの)
Behind these two hills here, fall asleep
(裏の二つの丘で私は眠りに落ちる)
And when I float in green grass of tunnel, it flows back
(緑のガラスのトンネルの中で私は浮かび、流されて戻ってしまう)
Behind these two hills here, fall asleep
(裏の二つの丘で私は眠りに落ちる)
And when I float in green grass of tunnel, it flows back
(緑のガラスのトンネルの中で私は浮かび、流されて戻ってしまう)

直訳した歌詞も書いてみましたが、抽象的で意味が取りづらいですね。

他の歌詞も概して意味が取りづらい、一言で言えば難解なものが多いです。

しかし曲名だけを追っていけば実はとても分かりやすいアルバムかもしれません。

1.Sleep/Swim
2.Green Grass Of Tunnel
3.We Have A Map Of The Piano
4.Don’t Be Afraid, You Have Just Got Your Eyes Closed
5.Behind Two Hills.A Swimmingpool
6.K/Half Noise
7.Now There’s That Fear Again
8.Farawat Swimmingpool
9.I Can’t Feel My Hand Anymore, It’s Alright, Sleep Tight
10.Finally We Are No One
11.The Land Between Solar Systems

これがこのアルバムの曲名と曲順です。

やはり意味の取りづらい曲名もあるのですが、順を追っていけば、緑のガラスのトンネルを通るところから始まって、
4曲目の「怖がらなくていいよ、あなたはただ目を閉じるだけ」という曲名、
7曲目「再び恐怖が現れた」、
9曲目「もう手の感覚はない。大丈夫、しばらく眠りなさい」
という「何者か」の変化を読み取れます。

そして10曲目のアルバムのタイトルと同名の曲「Finally We Are No One」でこのアルバムの意味が分かります。「何者か」ら遂に何者でもなくなってしまいました。
何者でもなくなった末に「The Land Between Solar System(太陽系の間にある土地)」の一部になってしまったようです。

「太陽系の間にある土地」とは地球という見立てもできますし、Múmの故国であるアイスランドという見立てもできます。アイスランドは北アメリカプレートとユーラシアプレートのちょうど割れ目に存在する国です。太陽系の合間であり、地球の合間でもあります。

このアルバムのように人間であること「自我」を瓦解させ、自然と一体になるような考え方は欧米ではかなり特殊な考え方です。
欧米には神という強大な自我があり、その下に神が作った「私たち」という自我があります。これは欧米の基本的な価値観であるキリスト教の考え方です。

アイスランドはキリスト教国ですが、もともとは土着のアニミズム信仰がありました。アニミズムとは山や川や海や石など、自然そのものを神として信仰する考え方です。

このアルバムはアイスランドにキリスト教が流入する前の時代の死生観や宗教観がテーマになっていると思います。

音楽のアルバムでありながら非常に文学的な作品です。

楽曲の多くはインストで、ヴォーカルなしで構成されています。一人で過ごす夜などに聴いてみてはいかがでしょうか?

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