先生、ありがとう。
トラウマのケアには、
辛かった気持ちを書き出す事が良いと知った。
それで一番辛かったことを書き留めようと思う。
母が宗教を始めたのは私が幼い頃。
私は中学でその宗教を辞めた。
それ以降、
母を憎むというより、その宗教を憎んだ。
そして、母のところにその宗教を教えにやってきた人をもっと憎んだ。
その人のせいでうちの家族は破壊された。
宗教によって母が奪われた。
僕の人生も狂った。誰にも分かってもらえない、恥ずかしさ、大きな苦しみを背負わされた。
そして、母を取り戻したかった。
また、子供の頃から、そういう母を暴力と暴言で肉体的にも精神的にも苦しめてきた父、そういう父から母を守りたい、庇いたい、助けたいとも思い続けてきた。
そういう助けたいという無意識の気持ちが私の幼心に芽生えていたのだと思う。
父から守るのは自分の役割。
高校生になり、身体的に、力で父親に勝てるくらいになった時、実力行使に出たこともある。
しかし、ある時の母親との会話によって、
さらに大きな傷を受けることになった。
私「僕が交通事故で大怪我をして輸血をしなければ助からない状況になったとする。お母さんはそう医者に告げられる。判断できるのはお母さんしかいない。お母さんはどうする?」
この時、私は宗教はやめて5年以上経過していた。
実はこのことを母に尋ねるのはとても恐ろしかった。考えるだけでも恐ろしかった。
でも、真意を聞きたかった。
一縷の望みをかけて。
親として子を助けたいという本能を取るのか、
それとも、宗教の教えを取るのか、
どっちなんだろうか…。
前者の答えであって欲しい…心の奥底で強く願っていた。
車で2人きりの時、勇気を出して聞いた。
母「どうしてそんな事を聞くの!」(怒)
私「答えろー!」(怒鳴り声)
母「(しばらく黙った後)輸血はしない」
涙が止まらなかった。
クルマから飛び降りて、涙をながしながらただひたすら歩いた。
僕はもう宗教やってないのに…本当にショックだった。なんで?なんで?嘘だろ!
その時の強烈な衝撃。
深い傷によるその後の人生における苦悩、痛みや苦しみは計り知れなかった。
数年後、その事で母を非難した時、
母は「それはあなたがそう言わせたんじゃない!」
そう言われた時の悲しみ、涙、怒り。
恐怖で震え、湧き出る殺意。
子供の頃から父から助けようとしてきた母に言われることの苦しみ。
僕はこの時、殺されたと思った。
そう、これは殺人だ。
そう思わないとやっていけなかった。
あれから20年経過した今も尚、あの宗教とその人達が怖い。
この話を何のために書いているのか、というと
それは、癒しのため。
自分しか癒せないから。
自分の気持ちを知り、向き合い、受け入れるため。
でも、カウンセラーが一緒に泣いてくれた。
大きな一歩。嬉しかった。人生で初。
先生、ありがとう。