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対話でつくる持続可能な世界:育児と環境保護のバランス

私は「脱成長」の考えに共感している。不要なものは購入せず、ゴミを減らし、経済活動を縮小し、環境を守る。子供を育てる中で、1シーズンだけの衣服やイベントごとの使い捨ての装飾品は無駄が多いと感じる。

一番悩むのが、子供の誕生日会。友人からのプレゼントは不要だと思っている。家族からの贈り物だけで十分で、何より大切なのは友達と一緒に過ごす時間だ。
だから招待客には「プレゼント不要」と明確に伝えるのだが、実際にはほぼ皆がプレゼントを持ってくる。プレゼントを渡す子供も、受け取る子も嬉しそうだが、その多くがすぐに飽きられるのを見て心が痛む。しかし私自身も、ゲストへの「お返し」にパーティバッグを用意する。来てくれた子供たちに笑顔で帰ってほしいからだが、それと全く同じ理由で、私の友人たちもプレゼントを持ってきてくれるのだろう。

一方で、私の友人には「プレゼントは中古品のみ」と宣言している環境保護者がいる。私たちは、お互いの子供に中古の本やおもちゃを贈り合い、子供たちは十分に喜んでいる。でも、すべての人に同じルールを押し付けることはできない。環境保護という言葉は便利で、ある種マウントのようで、その言葉があればどんな行動も正当化される。

「私、環境保護者なんで、プレゼント不要です。」なんて、相手の気持ちも、子供の気持ちも無視したセリフじゃないだろうか。「環境保護」を盾にして、自分の価値観を強要するのは、他人の気持ちや文化を無視することなんじゃないだろうか。

実際、環境保護は自分の価値観に合う範囲でしか行動できない。私は物欲が少ないから服やおもちゃを減らすことは簡単だが、飛行機に乗ることはやめられない。同様に、子供の誕生会を盛大に祝ったり、たくさんのプレゼントを贈ったり、イベント限定の特別なコスチュームを用意したりすることが価値観のど真ん中である人達もいる。そんな人に、プレゼント不要という私の価値観を押し付けてどうなる?

だからこそ、コミュニケーションが大事だ。次の誕生日会では、友人たちに「使わなくなったおもちゃや本」をプレゼントとしてもらえるよう提案するつもり。多分その方が単に何かを買うよりも難しかったりするけど。それでも、私の考えを伝えることで、より良い解決法が生まれるかもしれない。その価値観のすり合わせが、コミュニケーションを通じて互いの価値観を尊重し合い、未来のためになる一歩だと思っている。


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