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徒然心境日記

先程まで手にしていた携帯電話を無意識に何処かに置いた
しかし、その数分後違う作業をしていたら何処に置いたのか忘れてしまい。
携帯電話を探しまわる。

そんな事がきっかけで

今回は2015年度入学した
京都芸術大学通信課程日本画コースを
2022年度無事に卒業し、それまでの自分の心境等を記録したいと思い立った。

きっとこの感情も三日かそれよりも早くに忘れてしまうかも知れないけれど
忘れないうちに忘れたくない事は記録しておきたいな、、と思う。

2015年と言うと今から8年前だ
8年前の事は鮮明には覚えて居ないけれど
その年は、タイバンコクより
日本へ本帰国した年だった。

タイバンコクは私が十代後半バックパッカーをしていた時に、バイトでお金を貯めてはリュック一つでアジアを旅していた。
初めて行った旅がバンコクで一人カオサンにある激安宿に泊まり、トイレから水が溢れ出たり、ドアが壊れると言うスリリングな体験をした。それを伝えると
宿屋の店主は「マイペンライ」と笑いながら治し西瓜をサービスしてくれた。
「マイペンライ」はタイ語で「大丈夫」気にするな、、の意味。
否、ドアが壊れてたら怖すぎるし、、と思いながらも、マイペンライのタイ語には人を落ち着かせる魔法か呪いがかかっているのかも知れない。

日本語以外の聞き慣れない言葉は凄く拒否したい気持ちになるか、それを超えて心地良くなるか、
マイペンライのタイ語の音は妙に心地良く懐かしい気持ちになった。

寝台列車に揺られてタイ北部やチェンマイ山奥の民族を訪ねる旅をした時。
寝台列車にはカーテン一枚で仕切られるのみで
そうか、ドアがあろうが無かろうが
寝台列車では寝るのだな、と思った。

初めて行った旅だから印象的なのか
とにかくバンコクで過ごした10日間の旅が日本に帰って来てからも
数ヶ月私を夢見心地にしてくれて、また行きたいと思っていた。

30代になる前にずっと勤めていた日本の幼稚園を辞職して、実家を出て1人暮らしをしたいと考えた。
それならば、好きな場所に住みたい。
そうだバンコクに行こう。

と言う事になった。

初めは1、2年で根を上げるかも知れない、、と思いつつ、気づいたら約5年程住んでいた。

疲れてきたので此処で一先ず終わります。
最後まで読んでくださった方
ありがとうございます🙏

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