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「今夜」

2020年12月初旬に、西川さんとアベハルカさんとネネネさんと一緒に夜ご飯を食べに行く機会があった。3人と私と、同時に同じ場所に居合わせるのは、去年の8月に下北沢のボーナストラックのイベントでお会いして以来だった。お会いする予定の当日は仕事が終わるのが遅くなり、途中からの参加になってしまったが、「お疲れ様です~」と、3人とも温かく迎えてくださり、心がほんわか温かくなる。改めて、初めましての挨拶を交わしながら、追加で何か頼んでも良いよとメニューを手渡された。まずはサワーを一杯頼み、お話を聞いたり、したり、うんうんと頷いたり。届いた料理も食べ始め、少し落ち着いた頃に、西川さんから『今夜』をいただいた。以前からTwitterで今夜が発売されることは知っていて、いつ頃発売されるんだろう、販売のURLを見つけたらすぐに購入しよう、と思っていたから、まさか手渡しでいただけるとは。びっくりして、ありがとうございます...!とお伝えするので精一杯だった。その後も、テンポよく笑いながらお話されるネネネさん、心打つ表現をされる西川さん、ネネネさんの隣で優しく相槌をされるハルカさんと一緒にお話をしながら、終電近くの時間になって、解散した。帰り道に、チェキで集合写真を撮ったり、少し走って、渋谷のスクランブル交差点で写真を撮ったりもして、とても楽しかった。青春だ、って、12月終わりに感じられたことにも嬉しくなった。

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自宅に帰って、何となくいただいたその日に読むのが勿体なくて、本棚の一番右側に立てかけた。いつ読もう、いつが良いかな、と考えていたら、きっといつまで経っても「勿体ない」の言葉が頭に浮かんで立てかけたままになるだろうから、近々読もう、と決めた。そうして、年末が来た。2020年最後の仕事を納めて、帰り道の電車では、明日の天気を調べていた。それと同時に、この日に読もう、と考えていた。帰宅して、地元に帰る準備をしながら、ずっと本棚に立てかけたままだった今夜に手を伸ばす。

まずは、冒頭のある言葉に惹かれた。「どちらにしても、お会いできて嬉しいです。」(p.1)の一言。その前後に続く言葉も好きだった。この一言が添えられているだけで、読み手を温かく迎えてくださる作者の方々の思いがぐんと伝わってくるように感じた。私自身、夜は好きで、真夜中に聴く音楽はもっと好きで、静かに時間を感じられる、夜に言葉や文章を読む時間も好きだった。この先、どんな夜が読めるかな、とわくわくしながら、次のページを開いた。絵や、小説、エッセイ、短歌、詩、と続く。真っ白い紙に一言、夜、とだけ記して、丸で括って、感じたことを書いていったら、きっと喜怒哀楽に留まらず、感情の波が続いていくだろうなあ、と思った。ただ好きだった、夜そのものに名前が付いたように感じた。「名前を付けていただいた」ようにも感じて、読み終えた後、心がほっと温かくなった。12月終わりの、冬というよりは真冬という言葉が似合う、夜のことだった。最後のページに書かれた一言に、また読みたい、と思わせられる言葉が並んでいた。「いつか、あなたの夜の話も是非聞かせてください。」(p.30)との一言。もし、夜についてお話する機会があるのであれば、どんなことを書くだろう、書きたいと思うだろう、と考えながら、2回目、読んでみたいと思う。読みたいと思う、その時が来るのは、きっと遠くない、遅くもない冬の夜であったら良いなと思う。

今回購入させていただいた今夜という本は、オンラインでの販売や、委託店での販売も行っているとのことなので、この文章を読んで気になった方がいらっしゃいましたら、ぜひ一緒に手に取って、感想等をお話し合えたら嬉しいな、と思います。また、私も一読者として、トーキョーブンミャクさんから作品が発行される日を、これからも楽しみに、心待ちにしています。

※今回、文章の中で今夜に記載されている文章(p.1、p.30)を一部抜粋させていただきました。

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