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 私たちは他者と共に生活し、様々な関係性が生み出されます。関係性には、友人・同僚・上司・部下など様々なものがありますが、いかなる関係性の中にも入り込んでくる要素の1つに「評価」というものがあるでしょう。

 私たちは無意識的に他者を評価し、そして他者から評価される社会に生きていると言えます。生存本能がその原因なのか、資本主義的教育が原因なのか分かりませんが、人は共にもかくにも「誰か評価」するのが好きです。カフェで作業していれば、多くの人の雑談のなかから「あの人は〜だ」という話題が耳に入ってきます。

 多様性の時代において、SNSなどから

 「誰かの評価を気にするな」

 という言葉を目にします。自分の人生を他者評価に委ねてしまっては、本質的な意味での「自分」というアイデンディティーが消えていき、それは下手をすれば自分がやりたいことをできない怒りを生み出し、他者への攻撃に繋がりかねません。

 『コロンブスは「新大陸の発見者」から「先住民の虐殺者」に どんな英雄も時代が変われば評価も変わる』という記事を見つけました。

 社会学者の古市憲寿氏は、コロンブスの評価が時代と共に変化するという事実から、「評価」というものは所詮人間の「主観」によって生み出されたものであり、そこには普遍性のかけらをないと述べています。

 時代と共にどんな英雄も評価が変わる。だがそれ以前にほとんどの英雄は存在自体が忘却される。あらゆる街に建ち並ぶ銅像は名前を聞いてもぴんとこない人ばかり。同時代の評価は時間の前ではあまりにもはかない。

 過去に偉大だとされていた人が実はそんでもない思想を持っていたという話と、過去に暗愚と考えられていた君主が実は結構名君だったという話は、おそらく同じくらいの数がある。

 評価という小さな物差しで自分の人生を台無しにしてしまうのは勿体無い。自分が成すべきことが良いことなのか悪いことなのか。そんなことを考えても、結局誰にもわからないのです。

 

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