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#264 Gift(贈り物)だけでは人は幸せになれない

 私たちは日々の生活の中で「能力」をしばしば問われます。その能力はしばしば「評価」の対象となり、その人自身の「価値」と紐付きます。しかし、能力=自分の価値という構図は実は非常に危険で脆い。

 The Blue Heartsの楽曲、Train Trainの歌詞には

世界中にさだめられた どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう
世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろ

とあります。能力があるないに関わらず、人間一人ひとりが大切な存在です。能力的特性「だけ」に目を向けると、その人自身の存在の大切さが逆に軽視されてしまうこともあるのです。

『ギフテッド』と呼ばれる人々がいることを知っているでしょうか?生まれながらにして特定の分野に関する資質・能力が、一般的な水準よりも大きく発達している人たちです。日本では2017年に公開された映画が話題となりました。

今学校教育において「個別最適化学習」が叫ばれる中、『ギフテッド教育』に対する様々な議論が行われています。

 学校という、学びの平均をとる教育機関では、彼らの生まれ持った資質は開花しにくい。人は自分の求める段階に応じて、その教育の質が担保されるべきだと思います。プロテニスプレーヤーの錦織圭選手は、中学2年生でアメリカ留学を決意したそう。彼のテニスの才能を開花させるには、日本のテニス界は、不十分だったのかもしれません。
 一方、その特性から、他者に疎まれることもある。阿部 朋美・ 伊藤 和行 の共著である『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』では彼らの「一人の人」としての生きづらさが語られています。

ギフテッドの一人、大西拓磨さんのインタビューを見つけました。彼のインタビューを読んでいると、どこか社会に対する虚無感を感じざるを得ない。人気漫画『うしおととら』の秋葉流のよう。

 私たちはどのような能力があろうとも、それがその人の「価値」を決めるわけではない。また私たちにどのような才能があろうとも、一人で生きていくことはできません。大切なのは彼らが自分の資質を開花させることだけではなく、その資質が彼らの幸せに繋がること。

 『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)の主人公チャーリイ・ゴードン(Charlie Gordon)は、手術による知能の急速な発達と、社会性の発達のバランスを崩し、人を傷つけ、そして自分自身も傷ついてしまう描写があります。

 文科省も「ギフテッド」教育における提言の中で

学校においては、特異な才能のある児童生徒も含め、「個別最適な学び」を通じて個々の資質・能力を育成するとともに、「協働的な学び」という視点も重視し、児童生徒同士がお互いの違いを認め合い、学び合いながら相乗効果を生み出す教育が重要です。

と述べています。

 豊かな才能は時として自分たちの人生を不幸にしてしまうこともある。私たちが幸せに生きていく上で本質的に大切なのは、その才能や能力そのものではなく、一人ひとりの人として相手から尊重され、また相手を尊重できることなのではないかと考えています。

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