見出し画像

ハクビシン

蝉のやかましい鳴き声が止んで、ひんやりとした空気に、コオロギ、マツムシの鳴き声が響いてくる頃のこと。

質素ながらもあたたかな夕餉をすませ、寝床に入ったある夜更け。静かな闇をつんざくような、けたたましい鳴き声と共に、ドッタンバッタンと複数の動物が何かにぶつかる音がした。何事かと思ったが、しばらくすると静かになったので、私は構わずにそのまま布団にもぐって眠ってしまった。


翌朝、起きると、透き通るような空と空気。ここは、海から小山ひとつを隔てた静かな住宅街。海は船の往来はもとより、今では汽車の行き来も盛んとなり、人の往来も増え、たいへんな賑わいを見せている。

まぁ、そういう人の熱気が上がるような、賑やかな場所は私の性に合わないので、この小山ひとつ隔てた場所というのは、自分には合っていると思われた。

普段、朝昼に、仕事の用向きで駅舎へ向かうときなどは、人通りも多く、車の往来も盛んな大通りを歩いて海へ行く。
その方が、この人間社会に属しており、私自身も社会性を帯びて役目を果たしている、という気になれるのだ。

一方、散歩、ことに頭を休めたいときや、次の構想を練るときなどは、海との間にある小山の中を通る道。昼間でも暗く細い木陰の道を歩いてゆく。不思議と歩くごとに、どんどんと気が内側へと向くので、考えごとをするのにとても都合がよいのだ。
しかし困るのは、途中、ざわざわと葉擦れの音がしたかと思うと、一瞬目まいのように周囲の景色がゆがみ、日によって違う道へと出てしまうところだろうか。

今日は、昔からのお豆腐屋さんのある通りへ出た。周囲には和菓子屋さん、古い旅館に、銭湯、サウナが立ち並ぶ下町だ。その昔、開国のころには異人さん相手に栄えた遊郭が近くにあったのだが、そこに通う遊女たちの療養の館がもここにあったことをを思い出した。病などで亡くなった遊女たちを祀る稲荷が商店の並びにひっそりとあるのだ。

眩しいほどの夕日が、濡れた道を照らしている。夕立があがったところのようだ。

母親たちが子供を連れて買い物へ、おばあちゃんは銭湯へ、仕事を終えた職人たちは片づけをし、車へ荷を積んでいる。大きな声を出しながら走り回っている子供たち。チャンバラごっこをしているこどもたちも、そろそろ家路につくころだ。

夕日と、家々の灯りに目を奪われながら歩いていると、雨に濡れたマンホールで足を滑らせそうになった。しまったと思うのも束の間、目まいのように周囲の景色がぐるっと回転したかと思うと、例の小山の出口であった。


ぼうっと、しばらく立っていると、道の向こうに、とうに閉店してしまったサウナが解体され、新しいマンションの工事が進んでいるのが目についた。

夕日に照らされた横断歩道を、さっとハクビシンが横切って行った。

この記事が参加している募集

雨の日をたのしく

いただいた資金は、誰かに会ったり見ることに使わせていただき、その景色をnoteで公開します。