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やさしさのキャパシティー        「フィフティーピープル」


曇天のおもたい空気のなかで目が覚める。
足の裏で梅雨の湿度を感じながら階段をおりる。
一歩一歩が夢の残滓を呼び覚ます。
夢の余熱が気圧に押されて沈んでいく。

虚しい。心の隙間を埋めるために形のあるものならなんでもいい。
そんな気持ちのスクロール。
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無意味な情報の濁流に身を潜め、ただ嫌なことを無意味な情報で上書きし目につかないようにしているだけで、解決には程遠い。
無意味で過激な情報ほど忘却にちょうどいい、濃い味付けで野菜の風味を相殺するように。濃ければ濃いほどいい。
小学校の図工の時間に暇つぶしでてきとうに混ぜた絵の具が作り出す、五月の曇天のようなグレー。
あの時の僕は虚無そのものだった。
あの虚しさがまた蘇る。

「フィフティピープル」


佐久間さんが推薦していたので市立図書館で調べると予約数が0件だったのですぐに読めた。
内容は病院にかかわる人たちやその家族などの物語、約50人分の短編集。
すでに登場した人物がほかの人の物語に出てきたり出てこなかったりする。
いい物語も後味の悪い物語も同じ濃度で描かれていて、全員に感情移入できるくらいの解像度が個人に対しての没入感を高めて全体の空気感を変えていく。

読み終わると、渋谷に行ったあとみたく疲れていた。
家に着いた瞬間にドッとのしかかる疲労感。
おやつのカステラくらい分厚い本なので文字を読んだ疲労感もあるけど、それよりも50人に感情移入したことによる精神的な疲れのほうが大きい。
「人の気持ちを考える」というのは自分の心の空いているゆとりに相手の感情を当てはめて苦しんだり、楽しんだりして感情を共体験することだと思う。相手の感情を自分の心を使ってまで一緒に苦しんでくれる人を「やさしいひと」だと思うんじゃないか。
やさしいひとになりたい。と思う。

恵まれたことに僕にはやさしい友人がいる、彼は相手の話を聞いてその人の心にすっぽりとはまる最後のピースをいとも簡単に差し出す。
聞き上手で話上手なその彼はそのやさしさから周りの人によく悩み相談を持ちかけられる。重い荷物を丸投げされるかのように頼られる。
そのことを彼は重荷と感じることがあるようで。弱音とは似つかぬ軋みのような声を聞くことがある。
こんなに背負わされても相手に真摯に向き合う彼のその心の底を想像して僕は少し心配になる。
僕は他人の苦しみに寄り添えているのだろうか。
自分のことに精一杯で彼のようなやさしい人間にいつも丸投げにしているような気がして。

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