見出し画像

誰からも頼りにされるリーダーに

「高校までに陸上競技を通して学んだこと」「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。今回は、先輩・井下大誌を追って尽誠学園高校から入学した脇 健斗。高校での未練・後悔を大学での陸上競技で晴らせるか、そして、その先にはどんな自分が待っているのか。脇の4年間への思いをお読み下さい。

駅伝がきっかけで尽誠学園へ

兵庫県の中学校で野球をしていた私は、走ることも好きで、田舎の山々に囲まれた良い環境の中で走っていました。小学校のマラソン大会では、6年連続1位、そして、中学校の時に出場した駅伝で陸上競技をするきっかけを掴みました。元々は、県内の公立高校に進学する予定でしたが、駅伝を通じて、恩師が香川県の強豪・尽誠学園高校への進学を進めてくれたのです。恩師には感謝しかありません。

陸上競技で得たものは

私が陸上競技生活で得たものは、何事も最後まで諦めないことです。私は陸上競技に出会うまで、納得いかなければ途中で止めたり、諦めたりする人間でした。そんな自分が変われたのは、高校の3年間でした。尽誠学園に入学して1週間後に、大西力監督が亡くなってしまいました。チームもバラバラになりました。練習をやるかやらないかの話し合いもしました。この時に部をやめていれば、今も何事も簡単に諦めている人間だったと思います。

高校での後悔

高校生活でやり残したことは、何といっても都大路に行けなかったことです。私が入学する前の年に、尽誠学園の都大路出場は12年で途切れてしまいました。それを受けて、私たちの代で必ず都大路へ行こうと大西先生と約束したのを今でも覚えています。ですが、3年間、小豆島中央高校に負け続けてしまいました。私は、2年時、駅伝の2週間前に不注意からケガをしてしまい、チームに迷惑をかけてしまいました。3年時は1区を任されましたが、良い流れをつくることはできませんでした。最後の駅伝が終わった後に皆で話し合いました。そこで出たのが「2年生の時に負けてから1年で何も変わっていなかった」ということでした。「1年後は絶対に勝つぞ」という気持ちが足りなかったのです。大学ではこんなことがないようにしたいと思います。

高校での未練を晴らすために

私が大学で陸上競技を続ける一番の理由は、陸上競技に未練があるからです。高校時代はあまり目立つ選手になれませんでした。このまま陸上をやめて違うスポーツをしようとも考えました。でも、駅伝で負けて、都道府県対抗駅伝でも良い結果を出せず、とても未練が残りました。だから陸上競技を続けようと思いました。

井下さんのライバルになりたい

私が環太平洋大学を選んだ理由は、一学年上に井下さんがいたことと、コーチである吉岡先生と陸上競技をしたいと思ったからです。吉岡先生は陸上競技にとても詳しく、尽誠学園の監督である礒野先生からも「あの人に教えてもらえれば選手としても人としても成長できる」と言われたからです。井下さんは高校時代からの憧れで、練習や試合で一度も勝ったことがありませんでした。高校時代に勝てなかった先輩は井下さんだけでした。もう一度同じチームで井下さんとライバル関係になりたいと思ったことが一番の決め手でした。

目標は文武両道

そして、4年間の目標は文武両道です。勉学では、単位や資格をしっかりと取り、社会人になるまでに一人前の大人になることです。そのためには、毎日、少しでもいいから勉強をしたり、新聞を読んだりして知識を増やすことが必要です。競技では、皆を引っ張るエースになることです。そのために、練習では(実近)力丸さんや小山(太一)さん、杉原(健吾)さんに死ぬ気で着いていきます。そういった負荷の高い練習をするとケガをする可能性も出てきますが、怪我をしない体づくりとケアも徹底しておこなっていきます。

誰からも頼りにされるリーダーに

この目標を達成することによって、人間としても成長でき、チームの皆からも信頼される人間になれると思います。そして、社会に出てた時に誰からも頼りにされるリーダーになれるよう、この4年間を大事に生活していきます。


チーム・選手を応援して下さる方、文章に共感して下さった方、よろしければサポートをお願い致します。