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デジタルヘルスの功罪

池谷裕二(東京大学薬学部教授)

 情報技術を使って健康や病気を管理するデジタルヘルスケアが随分と浸透してきました.初期のデジタルヘルスケアは,たとえば電子カルテや体重記録ソフトに萌芽を見ることができます.手書きで行っていた作業をデジタル管理することで,データの共有や移管が容易になり,医療データの解析が進みました.

 近年のデジタルヘルスケアは,小型センサの技術が発達したことで,ウェアラブルケアが可能になっています.リアルタイムに取得した生体情報を,その場で解析したり,データセンタへと集約したりという使い方がトレンドで,治療の経過観察だけでなく,病気や怪我を未然に防ぐなど,健康長寿への貢献が期待されています.たとえば,軽量なバンドを腕に巻くだけで,血圧や心拍数,心電図,運動量,血糖値,発汗量,塩分などを測定する装置があります.こうして取得したデータを無線で送信し,体調をモニタすることができるのです.

 計測精度は落ちますが,デジタル腕時計に似たような機能を忍ばせた商品も増えました.時計を手首に巻くだけで,データが自動解析され,発熱や脱水症の警告がポップ表示される機能もあります.不整脈が発見されて命拾いしたというケースも報告されています.歩行パターンを解析することで,転倒やパーキンソン病を検出することも試みられています.今では十分な有効性が認められ,日本を含む多くの国で,ヘルスケア腕時計が医療機器として正式に認可されています.

 ウェアラブル装置の日常的な用途の1つはダイエットでしょう.運動量や消費カロリーを連日記録し,「見える化」することによって明示的に意識させれば,「つい減量のことを忘れて」という失敗は少なくなります.自己管理を促す目的で,すでに活用されている方も多いでしょう.

 デジタルヘルスケアの効果について,興味深い研究があるので紹介します.ピッツバーグ大学のジャキチッチ博士らが『JAMA』誌に発表した論文[1]です.

 博士らは,減量を目指す471人の若者で,アームバンド式のウェアラブル装置の効果を試しました.半数の人が装置をつけて,残りの半数は装置をつけずに伝統的な方法でダイエットに勤しんでもらい,その結果を比較しました.この追跡調査は2年間にわたります.

 結果は意外なものでした.伝統的な方法を採用したグループでは平均5.9キロの減量に成功したのに対し,ウェアラブルデバイスをつけたグループでは3.5キロの減量のみと,むしろダイエット効果が弱かったのです.

 さまざまな理由が考えられます.最新のテクノロジーを使っているという安心感から,かえって油断してしまうのかもしれません.あるいは「今日はがんばった」という効果が明示されることで,エクササイズを頑張るモチベーションを高め,かえって空腹を刺激して食べ過ぎてしまうのかもしれません.

 どんなにテクノロジーが優れていても,結局は,本人の努力や心掛けが欠けていれば宝の持ち腐れになってしまう――.人間とはかくも難しい生き物だと感じさせられます.

参考文献
1)JAMA, 2016. DOI : 10.1001/jama.2016.12858

(「情報処理」2022年9月号掲載)

■ 池谷裕二
1970年生まれ.2014年より現職.専門分野は神経生理学で,脳の健康について探究している.2018年よりERATO脳AI融合プロジェクトの代表を務めている.