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情報科の先生にエールを送る

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福原利信(東京都立立川高等学校/東京都高等学校情報教育研究会)

 1990 年に東京都の高等学校数学科教員に採用されて今年(2020 年)で30 年目となる.2000 年3 月に東京工業大学で開催された,「高等学校新教科『情報』指導者研究協議会」に参加したのが情報科にかかわるスタートだった.新しく始まる新教科「情報」の免許講習の講師を養成する協議会で,お隣の学校の先生に声をかけていただき情報科教員への転身が決まった.

 2003 年からは持ち時間すべてが情報科に変わり,東京都高等学校情報教育研究会や,全国高等学校情報教育研究会などいろいろなかかわりができた.情報科がスタートしたころはみんな手探りで,「教材は」「実習は」「試験は」さらには「評価はどうする?」といろいろ考え,「ブログ」に発信したり,情報科のWeb ページを作ったりとみんなが新教科「情報」を自分なりに工夫して授業を組み立てていた.東京都はいち早く情報科の教員採用も始めた.当時は情報科以外の免許状も持っていないと受験できないという縛りがあったが,今年の採用試験から,情報科の免許だけで受験ができるようになった.冒頭に述べた協議会から約20 年が過ぎて,この現職教員養成研修会で情報科の免許を取得して現在も授業を行っている教員はごく少数となり,ほとんどが50 歳を超えている.

 ここで,情報科の教員に求められているものとはどういったことなのか少し考えて見た.情報科が始まった当時は,情報科の授業が成立すること,情報科で利用するパソコン室の更新・導入にもかかわることが求められた.現在はどうだろうか.東京都は「TOKYO スマート・スクール・プロジェクト」など学校に対してさまざまな事業を行っている.また,コロナ禍でオンライン授業などにも取り組んでいる学校も多い.このような状況下で情報科の教員に対して情報科の授業以外の仕事が多く頼まれるという現実がある.管理職は,情報科教員にオンライン授業の準備やICT 機器,学校Web ページ管理まで求めている学校もある.新しい事業にはできることなら自分はかかわりたくないという教員は多い.管理職が相談できるのは情報科の教員という現実がある.

 一人でできることは限られている.でも,「できない」と即答するのではなく,周囲の人々を巻き込んで,時には外部の人のサポートをもらい,「できない」を「できた」にしてほしいと思っている.新しい生活様式が学校にも求められ,学びのスタイルも変化する.情報科の教員が頼りにされ,それに応える.そして,全国の高等学校に情報科の専任教員が配置され,「情報科の先生は学校の宝です」とみんなが言ってくれる世の中を目指して!

(「情報処理」2020年10月号掲載)