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命の差別化

僕の好きな方が書いている方の文章を

僕なりに解いてみました


人はみんな命の差別をしている

それはダメではない

例えば目の前に2人人がいる

その2人が病だとして

治る薬が1つしかない

ただ、それを使わないとすぐ死んでしまう

1人は親

1人は道で倒れている人

どちらを選ぶ?

人は大体親を選ぶ

親を選んだら、もう1人は死んじゃう

もう1人は死んでもいいとおもう?

死んでいいわけがないよね?

それは間違いはない

しかしそれが【差別】なんですよ

家族って大切ですよね?
身近な人や友人は大切ですよね?

大切な人に全て『名前』はついているよね?

【命】というのは

そこに【名前】がつくことによって

差別をしてしまう

けれど

その【差別】は決して悪いことではない

【命】というものは

等しく大事で尊いもの

でもそこに【名前】がついた命はどうやろ?

等しく平等に他人と同じかと聞かれたら?

それが家族やったら?

大事な人やったら?

という話なんですよ

〇〇という“名前のついた命” は

親や子供や友人にとっては

世界中どこを探しても、代わりなどいない

1番大事な【命】なんです

親は、こどもが胎児の頃

まだ “名前のついてない”であろう

“名前のつく命”を愛しく想うのは

その命がかけがえのないものと感じているから

どこの家の子供さんより

我が子を一番に守りたいと思うのも

差別になるでしょう

同じ“命”であっても
決して同じではなく

その差別が

時に愛しく感じたり

憎く感じたり

じゃあ

“名前のつかない命”ってなんだろう?

それは

“名前がない”のではなく

ぼくらが知らないだけで

どこかの誰かにとっては、かけがえのない

"名前のついた命”なの

その人を愛しく想う人がいて

何より大事に想う人がいるとしたら

“名前のない命” でも

この人も自分と同じように想ってる人がいると思えば、大事にしなくてはいけないよね

それこそが【命】であり

尊いものであるということなの

かといって

何かあったとして万人を助けるなんてことは

さっきの例題においても難しい局面でもあるということ


救えなかった命があったとしても

見捨てたいわけじゃないし

助けたかったけど助けられなかった

きっと悔しいし
悲しいって思う

でも
そう思えるということは
例え自分にとっては“名前のない命”も

【命】というものに重みを感じ

大事に想うからこそ

悔しくもあり
悲しくもなるのでしょう

その【命】を忘れずに。

そこにあったことを忘れずに。

いつでも
【命】というものに向き合い
【命】というもの考え方を重んじていれば

世の中のイジメなんかは

もっと減るんじゃないかと思うし

人を大切にできるんだと思うの

目の前のこの人

通勤通学ですれ違う赤の他人ですら

どこかの誰かにとっては

【名前のついた】大事な命なんですよ

動物も然り

同じ種類でも

一番に助けたいと思うのは

【名前のついた】

世界で代わりのいないその子でしょう?

家族の、 友人の、恋人の…

代わりなんてこの世におらんのです

だからこそ

そこに、どうしても

【命の差別化】
は生まれてしまうんです

【命の差別化】は悪いことではないと思います

人間は神様でもなければ

聖人君子でもない

万人を愛せなんて

とてもじゃないけど無理でしょう

罪を憎んで人を憎まず、というけれど

どれぐらいの人がそう思えるんやろう?

僕はなかなかできない

そこまで人間出来てないし

その “罪”を生んだのは?

それも“人”やと思います

“差別”って言葉が

いいようには聞こえないかもですが

いいことだけの意味での

【命の差別化】ではないように思います


【命】に対して

重みを感じ

そこに尊厳があり

尊いものであると思えるか

神にはなれないけれど

そこには【思いやり】が

とても大切なんだと思います

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