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ちゃんと死にたくはない

ボーッと電車を待っていた時、ふと線路に飛び込もうかなと思い立った。

ダメだと思った。
ここで死ぬのはまだ早い気がした。
やめた。
飛び込んで死んだら親に賠償がきて迷惑がかかるなと思った。
やめた。
そもそも親より先に死ぬなんて、死因が飛び込みなんて本当に親不孝だなと思った。
やめた。

自分を殺められる人はすごく強い意志を持ってちゃんと死ねるえらい人なんだなと思った。

環境との様々な関係やあらゆるしがらみを死という一つの解決策を以て取り払えるのだからある意味ではえらい。

仲の良い友人、家族が死にそうな時。
もちろん長生きしてほしいと思うしそれを伝えるかもしれない。
それはエゴかもしれない。
生を以て苦しみとし、死を救済とするかもしれない。
生きていればなんとかなる。生きていればなんとかなる。それをそらで思い描いてなんとか生きていれば人生はそれだけでまるもうけらしい。みんな結局は死ぬと言うのに。

宗教的な話ではない。
どうしても、自死というものに対して、恐怖を抱いてしまう。
それを意識したのは人生が嫌になって、たまたま駅のホームに立っていた時のことであったが、だがそれでも死んだ時の様々なリスク、後のことを考え、たじろいでしまった。死んだらそこで何もなくなるというのに。
つまるところ、私は環境、とりわけまわりの人間に恵まれているのだろう。
絶望したとしてもまわりの人間が現世につなぎとめてくれる。
まわりの人間の脳死的なエゴによって自分は現世につなぎとめられている。
まわりの人間が、もし私のことを嫌うわけじゃなく、一欠片も気にしないようだったら?

おそらくあの瞬間ふと思い立って自死に足を踏み込んでいた。
ホームから一歩前に出ていた。
別れの一言なんていらない。
ちゃんと死ねるえらい人なんだから
えらい人として意志を全うするだろう。

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