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ビジネスはイチゴジャムの香り

時々不安になる。

私達はちゃんと『ビジネス』が出来ているか。

今、私達夫婦は弁当屋を生業としている。でも弁当屋に限らず食に関する仕事というと何故か『ビジネス感』が薄い気がする。

『何で弁当屋(又は飲食店)を始めたんですか』

の問いの答えはビジネス的な理由より、想いの部分を求められている場合が多い。だから、夫が『儲かると思ったから』と答えると相手は意外そうな顔をする。

夫は元々、中華料理が専門の料理人だった。素材にこだわる高級店で約10年。「本当に良い物を美味しい料理にして食べて貰いたい」だけなら自分でやらなくてもよかったのだ。そういう所で純粋に料理と向き合い、職人としてその想いを叶えられるのだから。

それが、いつの間にか料理人ではなく経営者として弁当屋をやっている。そのきっかけを聞いてみた。暫く考えて、夫は答えた。

『最初の最初はジャムかなぁ』

ジャム、あぁなるほど。懐かしさと同時に納得した。遡る事10数年前、夫と出会った頃彼は何故か夜な夜なジャムを煮ていた。

小さなワンルーム。ドアを開けると甘いを通り越してむせ返るようなイチゴジャムの香り。どうやらアレが私達のビジネスのスタートだったらしい。

もちろん昼間は料理人として働いていた訳だけれど、素材にこだわる店であるが故に農家さんから直接買い付けたりする事もあった様だ。夫も料理長にくっついて農家さんを訪問する。彼は料理人には珍しく愛想が良い。そして口が上手い。あ、悪口じゃないですよ。大事な武器ですから。

気づけば農家さんに気に入られ個人的にも付き合いをして貰えるように。そうなると何が起こるか。田舎の人なら分かるかな?

『これ、持っていきな!』

そう、農家の必殺お裾分け。その威力たるや。一人暮らしの20代青年にコンテナいっぱいのイチゴを持たせてしまう。普通は「こんなに食べきれないんで、お気持ちだけで。」とか何とか断る量である。でも彼は笑顔で「ありがとうございます!」と全て受け取ってしまう。何故だ。

ちなみに、この習性は今でも続いていてしばしば大量の「何か」を貰ってきては妻である私に怒られている。

ともかく、そんなわけで大量のイチゴやら桃やらが部屋を埋め尽くす。人に配ろうにも規格外品を無造作に詰めた状態。何より田舎では季節になればそこかしこで「お裾分け」が発生している。供給過多なのだ。悩んだ夫は思い付いた。

ジャムにして量を減らそう。

そんな安易な考えから、彼のジャム作りが始まった。勘の良い方はお分かりと思うが問題は解決していない。カサが減った所で、無くなるわけでは無い。でも、不思議な事が起こった。

ジャムにするとみるみる貰い手が決まった。1人に渡せば口コミで他の貰い手から声がかかる。

そして。ある人が、彼に500円を手渡した。

この時はまだ、お裾分けのお礼。それでもタダで貰った物がお金に変わった瞬間だった。そのままではタダでも貰い手がなかった物が欲しいと思って貰える物になり、その証として500円を貰ったわけだ。

これが原体験になり、少しずつイベント販売や知り合いの店での委託販売へと発展していった。その頃には私も加わりチラシやロゴマークのシールを貼ったりした。今見ると恥ずかしくなる様な出来だけれど、私達が作るのは「お裾分け」では無く「商品」になっていった。

それから10年、ここでは書ききれない程色々な事があって今、私達は弁当屋になった。でもやっている事はあまり変わらない。

今でも農家さんや、卸し業者さんが売り先に困るとそれを引き受けて「お客さんが欲しい物」に変えて売る。1つ変わったのは農家さんや業者さんにちゃんとお金を払う事。

根がちゃらんぽらんな私達は気を抜けばすぐ楽をする。楽しきゃいいじゃんと、タダで貰ってタダであげてしまう。それは仕事では無いから。

だから、ちゃんと買って商品にする。商品にするというのはそのままでは状況や需要に合わない物を「欲しい。お金を払いたい。と思って貰える形に変換する」という事。同じ物でも形や場所を変えれば相手がその価値を受け取り易くなる。

やっていくうちに、分かってきたのは変換の作業は調理や加工だけでは無いという事。時によりそれは、調理せずに袋に詰め替える事だったり、POPを付ける事だったり、別の地域に売り場を作る事だったりする。夫が料理人のままだったら、それではつまらないだろう。

でも、私達夫婦にとってそれはとてもワクワクする作業だ。そして同時に覚悟のいる作業でもある。その作業の結果、つまりお金を払って貰えるかが私達の成績だから。ちゃんと価値を伝えられているか、私達が作り手と消費者の間に入った意味を評価される。

『お金のためじゃないから』

と言い訳をして値段を下げれば気持ちは楽だ。でもそれでは、そこに至るまでに関わる人達や自分達の労力を否定する事になる。

自然と『払いたい』と思って貰える様に。そんな価値の変換作業が私達にとっての『ビジネス』だと思う。

そう、あの時の500円のように。

まだまだ失敗の方が多くて、ビジネスというには小さな商売。でも初心を忘れない為にも、『自分達はビジネスとして弁当屋をやっている』と言い続けていきたい。

それでも迷った時はジャムを煮てみよう。私達夫婦にとってイチゴジャムは始まりの香りなのだ。




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