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日本酒っていつ、だれが作ったの? 日本酒の歴史を紐解こう〈初級編〉

こんにちは、たくさん飲めない唎酒師のがっきーこと宮垣慶子です。

皆さん、朝晩涼しく過ごしやすい季節になりましたがいかがお過ごしでしょうか?風邪を引きやすい時でもあるのでくれぐれも注意してくださいね。


さて、今回は私の視点から、みなさんが日本酒をより楽しめるように、日本酒の歴史をご紹介していきます。
日本酒がいつどのように誕生したのか、そしてどのように広まっていったのか。日本史と合わせて分かりやすく解説していきます。

酒蔵を訪問できるツアーやオンラインイベントを開催する酒蔵さんも増えてきました。少しでも歴史を知っていればそういったイベントもより楽しめるはず!ぜひ最後までご覧ください!


1 日本酒っていつからあるの?

「日本酒」は、日本の酒と書くくらいなので、日本で一番最初につくられたお酒というイメージがありませんか?

しかし、日本で最初に飲まれていたお酒は、果実酒なんです。
縄文時代に土器の中で山葡萄が自然発酵してできたお酒です。(学校で習ったような、習っていないような...)
では、日本酒はいつからあるのでしょうか。

そもそも日本酒の原料はなんでしょうか。
そう、お米ですよね!

つまり日本酒ができたのは、稲作が日本に伝わってきた時です。狩猟採集から稲作定住へ生活様式がかわり、お米と同様に日本酒も日本人の生活と切り離せないものとなりました

どのように生活と関わっていたかというと、もともとは豊作祈願などの神事に用いられていました。当時のお祭りは、稲作を中心に営む日本人の、自然の恵みも災いも受け入れ、感謝することの表れです。
お米や日本酒、お餅を神様にお供えして感謝し、お祭りの最後に参列者でそれらを食べて神様の力を分けてもらう直会の儀式をします。この時は未成年もお神酒に口をつけることを許されていて、特別なものでした。(日本酒は、最も日本の生活と深く繋がっているお酒ということですね。)

実は、日本酒という名前自体は、明治時代に、輸入される麦酒や葡萄酒と区別するためにつけられた名前です。(安直…!笑)
けれど、そのネーミングに誰も文句のつけようがない存在だと思います。ちなみに、明治以前は、「キ」「ミキ」「ミワ」「クシ」「酒」と呼ばれていました。


2 日本酒は今の時代までどうやって造られ続けたの?

そんな稲作時代からある日本酒を、2000年~2500年もの長い年月をいったい誰が継承してきたのでしょうか。


それは、分かりやすくざっくりいうと2つの立場の人がいます。

① 酒蔵を持っている人
② お酒造りの技術を持っている人・労働力

①は、大きな施設・設備を持てる、且つ、お酒に貨幣価値があったことから力を持っていた人とも言え、時代と共に移り変わっています。
②の技術者集団も時代とともに変わります。


2-1 飛鳥時代以前

① 酒蔵を持っている人:神社
② お酒造りの技術を持っている人・労働力:神社

諸説ありますが、神事で使われるため神社で造られていました。今でも造っている神社はあり、奈良県の春日大社は、敷地内の酒殿にて近くの醸造会社に委託して造っているそうです。


2-2 奈良時代

① 酒蔵を持っている人:朝廷
② お酒造りの技術を持っている人・労働力:役所(造酒司の酒部

奈良時代になると、朝廷が造酒司(さけのつかさ、みきのつかさ)という役所に酒部という部署を設けて酒造りをしていたようです。国家公務員が造っているイメージです。


2-3 平安時代~安土桃山時代

① 酒蔵を持っている人:寺院と商人
② お酒造りの技術を持っている人・労働力:僧と酒部の子孫・遠縁の人

酒造りが朝廷から寺院に移り、寺院で造られたお酒は、僧坊酒と呼ばれました。河内長野(金剛寺)の「天野酒」や、清酒発祥の地(諸説あります)奈良(菩提山正暦寺)の「菩提泉」などが名高かったそうです。

この時代に、にごり酒から透き通った清酒ができたり、酒造技術が進化し、現在の酒造りの基本形ができました
同時に、日本酒の需要が高まったため、京都を中心に酒部の子孫といわれる人による造り酒屋が出てきました。やがて、他県にも広がり地酒文化につながります。


2-4 江戸時代~現代

① 酒蔵を持っている人:商人(酒部の子孫・遠縁、武士からの転職含む)
② お酒造りの技術を持っている人・労働力:農民

織田信長の比叡山焼き討ちにみられるように寺院の力を恐れて執拗に滅ぼした結果、寺院の力が弱まるとともに僧坊酒も減っていきました。

一方で、大阪の池田、兵庫の伊丹の蔵元が高品質なお酒の量産技術を確立したこと、藩体制が敷かれ武将が自国の酒造りを推奨したことにより、さらに地酒が発展していきました。
また、これまで酒造りは年5回行われていましたが、冬1回の寒造りのみが許可されたことと、冬の農閑期が重なって、副業として出稼ぎをする農民によって造られました。それが杜氏集団につながっていきます。杜氏とは、酒造りをするリーダーです。


2-5 現代~

① 酒蔵を持っている人:蔵元
② お酒造りの技術を持っている人・労働力:蔵元/杜氏

昭和までは、酒造りの時期になると酒蔵に杜氏さんが泊まり込みで働くスタイルが主流でした。しかし、農業技術が発達して農家の収入が上がって副業する必要がなくなったり、日本の中心産業が2次産業、3次産業に移ったりして、杜氏が減っていきます。
平成以降は、杜氏を確保できず、蔵元の親族・従業員が杜氏を務めるケースが主流になっています。


3 まとめ

日本酒の歴史を造り手を軸にご紹介しました!
飛鳥時代までは神事で使うために、神社や朝廷で造られましたが、平安時代以降は、力を持っていた寺院が造るようになり、後に商人が冬の農閑期に農民/杜氏に協力してもらって造るようになりました。今は、その形が残って、蔵元と杜氏が協力して造っています。

日本酒の背景を覗くことによって、みなさんが、お酒のイベントに参加したり、酒蔵を訪問した時に、より親しみをもって関係者とお話ができるようになると嬉しいです。


今後とも日本酒が好きになる、茨城に興味を持ってもらえるような企画やコンテンツを作っていきます!

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ライター:がっきー

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