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隠れる方が絶対楽しいやろ!

⭐️⭐️
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5段階で評価しています)

小さい頃の記憶を思い出す。

今とは随分違う遊びをしていた気がする。

おにごっこ、
かくれんぼ、
だるまさんが転んだ

皆さんもしたことが
あるのではないだろうか。

その中でもかくれんぼは
本当に楽しかった。

僕は昔かくれんぼをよくしたし
今もたまにしたいなと感じる。




かくれんぼをしている時に
いつも感じていたことがある。

あのゲーム、

探す側よりも
圧倒的に隠れる側の方が
楽しいのだ。

その証拠に僕が通っていた小学校では
まずジャンケンをし、
勝った人間が隠れ、
負けた人間が探す

といったルールを採用していた。

かくれんぼがスタートすると
隠れる側は
嬉々としていろんな場所に散らばっていき

探す側は半ば無理やり
ゲームを終わらせるために
いろんな箇所を訪れる

ゲームの途中見つかってしまい
飽きてきた人間は
仲間を売って場所を暴露したりもする。

なんとバランスの悪いルールなのだろうか。

そしてなぜ隠れる側の方が
圧倒的に楽しいのだろうか。

考えてみた。

まず隠れる側はなるべく見つかりたくない。

見つかってしまうとその瞬間
ゲームは終了してしまう。

それをなんとか避けるために
なるべく人の隠れなさそうなところや
そもそも人が入ることが
無理そうな場所を探すのだ。

しかしあまりにも難しい場所はNGである。

なぜなら難しすぎるところに
隠れてしまうと

探す側の人間が飽きてしまい
時間がかかりすぎると
町内のスピーカーから『赤とんぼ』が流れはじめ
家に帰ってしまうかもしれないからである。

良い場所に隠れたらあとは待機するだけだ。

息を潜め、なるべく動かない。

さながら逃走者のようなその行動が
隠れる側に
スリルがあって楽しいという
感覚を与えるのではないだろうか。

見つかってしまうと
このスリルが二度と味わえなくなる。

そう考えるとさらにドキドキ感が生まれ
相乗効果で倍楽しく感じるのではないだろうか。

ではこのゲームのバランスを
保つためにはどうしたらいいのだろうか。

こういうのはどうだろう

隠れる側にだけ罰ゲームをつける。

隠れる側はもちろん
何もオプションがなくても楽しめるが
罰ゲームというリスクを負うことによって
探す側の意地でも探そうという気持ちを
煽るのだ。

しかしこれには弱点がある。

まず隠れる側において

見つかってしまうと罰ゲームが執行される
なんとかそれだけは避けたい
こう思えば思うほど
スリルが増して楽しくなってしまうのではないか

そうなると本末転倒だ。

しかも隠れる側がちょっと
罰ゲームをおいしいと思ってしまったら

どうだろう

見つかった後にも隠れる側に
見せ場を与えてしまう

この方法はダメだ。

ではこれはどうだろう

攻守交代制度

あらかじめ二戦やることを決めておき

1戦目
隠れる側は楽しいが次の戦いでは
そんなに楽しめない
という気持ちを植え付けることによって
楽しさを半減させることができるし

探す側にはこの試練を乗り越えれば
次の戦いでは
楽しみを味わうことができると
植え付けさせることによって
捜索のクオリティーも上がるだろう

しかしこの方法もダメだ

2戦目に探す側が有利すぎる

1戦目にある程度
隠れる場所は絞られており
一気に展開が早くなる可能性がある。

どうしたら今でも本気でかくれんぼを
楽しめるようになるのだろうか。

考えれば考えるほど隠れる側に
寄り添ってしまう。

こんなにアンバランスなゲームが

なぜこんなに日本で広まったのか


両者が楽しめるいい方法を
知ってる方いたら教えてください。


ではまた明日

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