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この世を操っているのは、“普通の人”である

僕たちは、ときに才能のある人を羨む。

・メジャーリーグで何十億円もの年俸をもらいながら活躍するあの野球選手
・W杯で競合相手に逆転ゴールを叩き込むサッカーの日本代表
・類まれな才能を発揮し、多くの人を感動の渦に巻き込むミュージシャン
・どんなに落ち込んでいる人をも笑わせる、底抜けに陽気なコメディアン。

それ以外にも、僕たちの身近なところでは、カメラマン、ウェブデザイナー、フリーライターなど、この世には数多くの「チート的な才能」を持つ人々が多く存在する。

そんな、日の光を浴びる類いまれな花たち。

僕たち凡人は、その花が植わっている、没個性的でジメジメとした土くれなのかもしれない。

ときには、花びらから漏れた日の光を拝借しながらも、花の根元でコソコソと、決して生活の音がこだましないように息を潜める。

だが、どうだろうか。
少し立ち止まって考えてみてほしい。

当たり前のことだが、基本的に花は土がないと生育できない。

いわんや、土が花を生かしているとも言えよう。

事実、「植生」という言葉があるように、その土地の環境が、育つ植物を決定づける。

この見方では、土が花をコントロールしている。

流行りの言葉で言えば、土が花の生殺与奪権を握っているのだ。

では、冒頭の例に戻って考えよう。

野球選手を管理しているのは誰か?
監督もそうだが、元をたどればサラリーマン上がりの球団のオーナーや社長である。

ミュージシャンの活動をマネジメントしているのは誰か?
マネージャーやその音楽事務所である。

カメラマンやデザイナーなど、フリーランスに仕事を依頼し、指示を出すのは誰か?
会社に所属するサラリーマンである。

凡人を、ひとたび「日陰者」と捉えてしまえばそれまでだ。

しかし、その特別な才能をコントロールし、管理しているのは誰か?
という観点で考えれば、それはやはり、僕たちのような“凡人”なのである。

誰がえらい・えらくないの話をしているのではない。

現に、特別な才能を持つ者・持たざる者同士が、お互いに共存関係にあるのは疑念の余地がない。

しかし、これは、そこに新たな一つの解釈を与えようとするものである。

「花が綺麗に咲くよう、土壌はその機会と活力を与えている」

そんなふうに考えられたら、土くれもそんなに悪くないのではないだろうか。

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