見出し画像

僕の価値観の変化と感謝を込めて。〜漸ノ篇〜

 こんにちは。最近とても寒くなりましたね〜。いつも僕のnoteを読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。今までは、自分が関わっているプロジェクトや読んだ本について書かせていただきました。もちろんこれからも書き続けますよ!けど、ふと思ったんです。そういや、自己紹介するって最初のnoteで言ってたけど書いてなかったなあ...って。というわけで、僕が歩んできた22年間をざっくりと(いや、深く?笑)2つに分けて話していきたいと思います。

名前の由来

 僕は、1998年4月26日に香川県高松市で生まれました。一平っていう名前、すごく気に入ってます笑
そこで、なんでこの名前になったのか親に聞いてみたところこういう理由だそうです。

漢字の画数も良かったし、グローバル時代21世紀英語表記やアクセントもね。まだ焼きそばの「一平ちゃん」とかは世に出てなかったけど、一平って呼びやすいし友達もいっぱいできたらいいなーってとも思うた。

候補が一平以外にも2つほどあったみたいですが、たくさんの人の後押しもあってこの名前になったそうです。いろんな意味込められて付けられた名前なんだなって改めて実感できました。

みなさん、名前の由来聞いたことありますか?聞いてみるとさらに自分の名前好きになるはずなので、ぜひ年末年始に家族でゆっくり話ができる時間がある時にでも聴いてみてはいかがでしょうか。

幼稚園時代

 幼稚園時代の記憶は割と鮮明に残っているのでちょっとだけ書かせていただきますね。僕の両親は僕がかなり小さいころから色んなことを体験させてくれました。そのうちの一つが幼稚園での活動にもなっています。僕が幼稚園生活の中で記憶に残っていることは

・今でも仲のいい幼馴染がいること
・帰ったらすぐパソコンゲーム(ZOOKEEPER・ちゃんと踊ってゴーレムン)をしていたこと
・毎年、お遊戯会をしていたこと
・音楽や英語の授業があったこと

ですかね。幼稚園の頃から活発な活動をたくさんしていたからこそ、僕は動くことが好きになった(アウトドア派になった)のではないかと思います。

そもそも、なぜこんなに幼稚園の記憶があるのか?というと数年前に自分のお遊戯会を見返す機会があったからです。それはなぜなのか?後ほど説明します。

続いて小学生時代の自分について書きたいところですが、今回はここまででやめておきます。

以降は自分のこれまでの22年間でターニングポイントになった出来事がいくつかあるのでこちらを紹介していきたいと思います。

僕の人生の転機

 タイトルにもあるように、僕の人生の転機はいくつかあります。それこそ波瀾万丈な人生を今の所送ってるのではないのかなとも思っています。そんな僕の人生の転機になった出来事は以下の通りです。

仲の良い友達との喧嘩(小学生時代)
駅伝の経験を通して克己(中学生時代)
仲の良い友達が突然学校に来なくなる(高校時代)
受験失敗による浪人生活(高校卒業〜大学入学)
大好きな祖父との別れ(大学時代)

僕の価値観はこれらの出来事で大きく変わったように思っています。親に話していない内容も含まれていますが、自分をもう一度見つめ直すためにも一つ一つ見ていきましょう。

仲の良い友達との喧嘩

 僕の小学生時代はほぼ順風満帆でした。というのも、小学校は校区で区切られていることが多いため友達が自分の家の近くに住んでいることが多いためです。私が通っていた幼稚園は自分の家からは少し遠く離れたところにあったので、入学式では知らない人の方が多かったです。しかし、小学生の僕はそこまで気にしいでもなかったので、すぐに友達もできました。

そして、小学校六年間で一学期間ずつではありますが、六年連続で学級委員というものを務めていました。あまりリーダー役が好きでやっていたと言うわけではありませんが、このようにクラスのみんなからの投票によって学級委員に選んでいただけたことすごく嬉しかったです。

ただ、初めて友達と喧嘩をしたことがあります。確か小学4年生の時だったかな。

ある友達A君がいたとしましょう。A君は僕にA君の幼稚園時代の恋愛事情を教えてくれました。この頃の僕は、A君を含めた5人くらいのグループでよく一緒にいました。そのグループでいるときに、A君が自分だけに教えてくれたことを言ってしまいました。これが原因で少し喧嘩をしてしまいました。

結果的にA君とは仲直りできました。ここで僕は、友達の大切さに気付かされました。そんなA君とは高校生になって同じバスケ部だったので練習試合したり、大会で会うことも多かったこともありました。

そんな僕は中学受験を経験しているので、中学校は皆と別の学校へ進学しました。

駅伝の経験を通して克己

中学受験を終え、私立の中高一貫校に通うことになった僕。事象進学校に通っていたこともあって親からよく言われていたことは「勉強しなさい。」の一点張り。まあ、僕はそんなこと言われながらバスケットボール・駅伝というスポーツに出会うことになるんですけどね。

幼馴染や小学生時代に通っていた友達が何人かいたので友達作りには中学生の時も苦労はしませんでした。

中学生の時は家から学校までが10㎞ほど離れており、中学生における一時期、この距離を自転車で通っていました。部活をして自転車で変える生活を繰り返していると自然と体力もついてくるようになりました。

そんな中学生活の中で思い出に残っていることが駅伝です。期間限定(9月~12月)で長距離の速い部活動生が集められていました。僕は中学二年生・三年生の時に選抜されたのですが、二年生の時は中三の先輩が速すぎて、選手に選ばれることすらありませんでした

そして一年後。もう一度選抜入りすることが出来ました。絶対選手になってやると意気込んで臨みましたが、ここで最初の挫折を味わうことになります。

それは、タイムが伸び悩んだことで駅伝選手に選ばれなかったことです。しかも、去年は愛媛県中学校駅伝のみの出場だったためこの時点で選手に選ばれる道が絶たれたというわけです。(正直、選手発表で自分が外れた時はめちゃくちゃ悔しかった。)

大会当日は同じ部活で頑張っている友人もいたので全力で応援することに努めました。しかし、大会後に先生から言われたことが松山市中学校駅伝競走大会にも出場できるということでした。つまり、駅伝選手になれるチャンスが舞い込んできたのです。

そこから選手選抜のためのタイムトライアルに向けて自分を追い込みまくりました。そして、無事に選手に選ばれることができました。任されたのは六区ある中での二区(2.0km)でした。箱根駅伝でいう花の二区ですね笑

駅伝当日。会場は興居島でした。島民のみなさんはとても暖かく、黄色い声援やアフターケアがとても優しかったことを今でも覚えています。

三区を任されていた当時陸上部のO君(ちなみに彼も僕と同じような状況で選手に初選抜)と一緒にウォーミングアップをしました。ここで、僕は自己ベストを出すことができたのが1番心に残っています。確か6分17秒だったような気がします。

ここで、絶対にあきらめないことで何事も成し遂げることができると確信しました。当時は人間関係や部活動でうまくいってないこともあり、自分に自信を無くしていましたが、少しだけ自分に自信が持てるようになった経験になりました。

仲の良い友達が突然学校に来なくなる

前述の通り中高一貫校に通っていたため、高校にはエスカレーター式で上がりました。よく考えると、6年間一緒に過ごすってそれだけ仲や絆も深まるもんだなって今振り返ってみると思うところがあります。

無事に高校生になった僕。クラス分けって皆さん毎年楽しみにしていた記憶ありませんか?僕は、特に高校1年生の時はどんなクラスになるのか気になって仕方がありませんでした。というのも、高校1年生の時にはイギリスとフランスに1週間渡航する海外研修旅行という母校で1番楽しめるイベントがあったためクラス分けは非常に重要でした。

高1のクラスはとても賑やかなクラスでした。そんな中、そこで一緒のクラスになった友達が海外研修旅行を目前にした頃、突然学校に来なくなってしま いました。


その友達がO君です。

僕は、彼と中学1,2年・中3の時は駅伝で関わりが深く所属している部活は違っていましたが、部活に入りながらも好成績を常に叩き出し、高1で同じクラスになっても世界史などを教えてもらったりもしていたので、切磋琢磨しあえると断言できる友人でした。

そんなO君が心配になった僕は、彼と連絡をとっていたのでそのことについて聞いてみました。すると、彼から何があったのかを話してもらえました。自分を信用して包み隠さず話してくれたことが僕は何より嬉しかったので、なんとか学校に復帰してもらい一緒にヨーロッパに行きたいという気持ちがますます強くなりました。

そして、彼は海外研修旅行前に学校に来てくれるようになり無事に楽しく海外研修旅行に行くことができました。

高2になって僕たちは文系理系に分かれたので話す機会は格段に減ってしまいましたが、僕が浪人した時に世界史に関しての度重なる僕の質問に丁寧に答えてくれて、とても心の支えになってくれました。

また、彼は母校の卒業式の時の答辞を担当しており、僕は卒業式中に人目を憚らずにボロ泣きして色んな先生から卒業式後に弄られた記憶があります笑 

この経験を通して学んだことは、

広く浅くというよりは狭く深い友人関係を築いていくこと
人に寄り添って一緒に問題解決することの大事さ

です。ここは僕の今の軸になっている価値観のうちの1つにもなっています。だから、ゼミのメンバーや大学で関わっている友達、そして中高から仲良くしている友達は大事にしていきたいです。

終わりに

 ここまでは自身の高校生までの話をさせていただきました。高校生までの自分の人生を見返してみると濃い人生だなと思いますが、高校を卒業してから今に至るまでにさらに大きな挫折などを味わうことになります。

これについて書きたい気持ちは山々なのですが、果てしなく長くなりそうなので一旦漸ノ篇はここまでにしておきます。

続きは爻ノ篇にて。ではまた!
今回もお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?