2024年阪大日本史第2問答案例
軍事体制の変化…異国警固番役の導入、非御家人の軍事動員
支配体制の変化…鎮西探題の設置
影響…番役の継続→御家人負担の拡大→窮乏化
…北条氏の権力強化 Ex.一門による守護の独占、得宗専制体制の確立
答案例①
蒙古襲来に際し、幕府は九州北部沿岸部を警備する異国警固番役を導入したうえ、朝廷から許可を得て非御家人を軍事動員し、襲来後には鎮西探題を設置するなど、幕府の支配は西国中心に強化された。この影響で、幕府内では守護の大半を北条一門が独占するなど北条氏の力が強まり、得宗専制体制の確立につながった。一方、戦費に加え、襲来後も異国警固番役への動員が続いたことにより、窮乏化して所領を失う御家人が増えたため、軍事動員体制は動揺した。(210字)
答案例②
蒙古襲来に際し、幕府は九州北部沿岸部を警備する異国警固番役を導入したうえ、朝廷から許可を得て非御家人を軍事動員し、襲来後には鎮西探題を設置するなど、幕府の支配は西国中心に強化された。この影響で、幕府内では北条氏の力が強まり、北条氏の家督である得宗を中心とする得宗専制体制が確立した。一方、戦費に加え、襲来後も異国警固番役への動員が続いたことにより、窮乏化して所領を失う御家人が増えたため、軍事動員体制は動揺した。(206字)
答案例③
蒙古襲来に際し、幕府は九州北部沿岸部を警備する異国警固番役を導入したうえ、朝廷から許可を得て非御家人を軍事動員し、襲来後には鎮西探題を設置するなど、幕府の支配は西国中心に強化された。この影響で、幕府内では北条氏の力が強まり、北条氏の家督である得宗を中心とする得宗専制体制が確立した。一方、戦費に加え、襲来後も異国警固番役が続いたことにより、窮乏化して所領を失う御家人が増え、得宗専制体制と合わせ、御家人の幕府に対する不満が拡大した。(216字)
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