2018年学習院大学文学部日本史論述答案

答案例①
16世紀末、豊臣政権が明征服を目的として朝鮮出兵を行った影響で、日朝は断交した。17世紀に入り、江戸幕府は対馬の宗氏を仲介にして朝鮮との国交回復交渉を行い、正式な国交が樹立するとともに、通信使が来日した。一方、宗氏は朝鮮と己酉約条を締結し、釜山の倭館での対朝鮮交易を独占した。18世紀に入り、新井白石は、通信使の待遇を簡素化するとともに、将軍の権威向上を目的として、通信使の国書における将軍表記を日本国大君から日本国王に改めたが、徳川吉宗により、表記は元に戻された。
(230字)

答案例②
16世紀末、豊臣政権が明征服を目的として朝鮮出兵を行った影響で、日朝は断交した。17世紀に入り、江戸幕府は対馬の宗氏を仲介にして朝鮮との国交回復交渉を行い、正式な国交が樹立するとともに、通信使が来日した。一方、宗氏は朝鮮と己酉約条を締結し、釜山の倭館での対朝鮮交易を独占した。18世紀に入り、新井白石は、通信使の待遇を簡素化するとともに、将軍の権威向上を目的として、通信使の国書における将軍表記を日本国大君から日本国王に改めたが、徳川吉宗により、表記は元に戻された。19世紀初頭を最後に通信使派遣は断絶した。(250字)

 設問要求…近世における(豊臣政権期から江戸時代)日本と朝鮮の関係について、指定された行数(7行)で説明する

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