自分.


以前はすぐ飽きてしまったnoteをまた始めようと思い、アカウントを作成したものの名前をどうしようか悩んだ。以前と同じ名前でもよかったが何か物足りなさを感じたので変えようと小一時間考えたが全く思い浮かばず、もうどうでもよくなって付けたのが「一般男性」。何のひねりもない、かといって面白みもない我ながら引くレベルのつまらなさである。

でも世の中のほとんどの男性って一般男性だと思う。女優さんとかと結婚する一般男性もたまにいるけど、あれはもう一般男性の格好をした別の人間だろう。

特に人生に大きな波があるわけでもなく、ただ平然と毎日を過ごしている私みたいな人が世の中の大半を占めているのだと思ってる。そして結局一人一人歩む人生は違えどその人生の行きつく先は「死」なわけで、遅かれ早かれみな同じ結末を迎えるのだと思うと、何のために私は生きているのだろうと思うことが多々ある。

「働く」という事に対する考え方は人それぞれだが、結局はお金を稼ぐため、つまり生きるために働くわけで、でもその「働く」意志が強すぎると今度は過労死とか命の危険を招いてしまう。生きるための行為で人は死ぬ。質の悪い喜劇だねえ。

医療技術の発展で平均寿命は高くなっているけれど、はたして長く生きることが幸せなことなのかなあと思う。死ぬことに対する恐怖感がないというわけではないが、80歳過ぎて認知症とかを患って自分の子供や親戚の世話になってまでこの世に生き続けたいとは今の段階では思わない。そこまで「生きる」という事に対する執着がないと言う方が正しいかもしれない。

いずれにせよ私は長生きをすることよりも自分のやりたいことをとことんやって満足して死ぬ方がいいと思っている。それが60歳の時でも、70歳の時でも、その時にやりたいことをやって死ぬのであれば思い残すことなくあの世に行けるのでは。

自己紹介の記事を書くつもりが私の抱く死生観を綴ってしまった。でも特に紹介することもないのでそれでいいのだと思う。ことにする。

だらだら生きて死ぬときはそれを待つ。私はそういう生き方がしたい。マイペースに自分の歩幅で人生という長い道程を歩んでいきたい。

一般男性のnote、第2章開幕。



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