9/19 一般人の真似事?

今回は日記とは言い難いかもしれないけど、自分のモヤモヤを少しでも晴らしたいので、ちょっとさらけ出す回にします。
このモヤモヤを完全に晴らすためには、他人の内面も知る必要がある。だからいつか誰かの内面に触れるために、今の自分の内面も全部ではないけどさらけ出そうと思います。

※以下、「オタク」と「一般人」を対比してまるでオタクは一般人ではないかのように書きます。
「非オタク」のように書いても良いのですが、自分は「一般人」ではない、という劣等感が根底にあるのでこの書き方にしたいのです。(自分はオタクだしオタクのことが大好きです!)
不快な方はブラウザバックをお願いします。ご了承ください。

・今日聞いた曲
「ルージュの伝言」。時々無性に聞きたくなる。
結構ヤバめの歌詞なのにそれを感じさせないメロディなのが凄い。
「黄昏迫る街並みや車の流れ」の部分のリズムが好き。

・と、日記を投稿する時は毎回、最近聞いた曲を書く。今回のように、一般的に有名な曲を挙げることもある。
自分が曲を知る経緯は、
好きな有名人が歌っていた
好きなコンテンツに関わる曲だった
行った場所で流れてて気になった
が大まかなものだ。
今回だって、4年前の月ノ美兎さんの誕生日配信で歌っていたのがちゃんと聞くきっかけだったし(誕生日が9月だからその時を思い出して今聞きたくなったのかもしれないね)。
その曲自体は間違いなく好きなんだけど、大体知るきっかけがオタク。

今回は
自分はどうあがいてもオタクでしかない。
自分がしているのは一般人の真似事に過ぎない。
でもそれって自分だけではないのでは?

という話をしたい。

・どうあがいてもオタクでしかない。どうしても、好きなことにしか興味を持てない。そんな自分がしていることは、全て一般人の真似事なのではないか、という思考が常にある。
有名な曲を聞く時、「オタクみたいな曲ばっかり聞いていると思われたくない」と思って聞くことがある。結果本当に好きになっていることばかりだけども、そんな打算で聞いてしまう。

・一般ドラマが全然見られない。興味が持てない。
仮面ライダー、スーパー戦隊しか見られない。
見るとしたらニチアサに出ていたキャストが多く、かつ強烈に惹かれる要素があるとか、そういう理由になると思う。
昔は見てたよ?メイちゃんの執事とか、ルーキーズとか、仁とか。SPEC、ライアーゲーム、大河ドラマの天地人、龍馬伝なんかも見ていた。
2年前は昔を懐かしんで、プロポーズ大作戦とブザービートのDVD借りてきたし。
でもこれらは、懐かしさを求めて見たもの。今のドラマには全然興味が持てない。そう思うたびに自分がオタクだと痛感して情けなくなる。自分は一般人にはなれないのだ、と考えてしまう。
映画も、特撮かアニメくらいで邦画も洋画もほぼ見ない。一番最近でジョーカーとかな気がする。

・本を読んでいる人とか、凄いなと思う。
大学では文学系の学部だったものの、国語学のゼミで文学をあまり重視していなかった。読書量は同級生に劣ると思う。一番好きな本、いまだにハリー・ポッターシリーズですからね…。
特に最近なんて、漫画以外読んでない気がする。お子様かな?
だからインスタに読んだ本を投稿している人を見ると尊敬の念と焦る気持ちが芽生える。

最近バキ童チャンネルをよく見ていて、ぐんぴぃさんのnoteも読んでいる。過去の投稿に、読んでよかった本というものがあった。
ぐんぴぃさんはエピソードもめちゃくちゃ多くて、その語り方も面白い。話しているだけで自然に笑える。面白い理由の一つにこういう本からのインプットがあるのかな、と思うと本を読むのも大切だと思う。

それに何より、本を読んでいる人ってちゃんとした人間っぽい。
バキ童チャンネルで出る本の話題といえばエ◯漫画やバナー漫画が多いけど、普通の本も読んでいるんだと知って見る目が少し変わった。

自分もそういう普通の本を読んで、それをアピールして、見られ方を少しでも良くしたい。「こいつオタクなのにこんなこともするのか」みたいな。
だけど自分が普通の本を読んだところで、ちゃんとした人間のように見られたいという情けない動機。
所詮は一般人の真似事になってしまう気がする。言ってしまえば、かっこつけ。
それを自然にできている一般人には遠く及ばないのではないか、と劣等感を感じてしまう。
もし自分に、少しでも一般人のように見える部分があったとしても、それは必死に取り繕った部分だと思います。本質はどうしようもなくオタクです。
いやそんな部分ないと思いますが…。
どこからどう見てもオタクだと思いますが…。

・と、悩んでいたけれど最近思ったことがある。
これって、自分だけの悩みじゃないのではないだろうか?巧妙に隠しているだけで、オタクな人はもっといるのではないだろうか?

noteを始めてもうすぐ1年になる。知らない誰かの投稿を読むことも増えた。
すると時々、「人間のふり」「人間になりたい」というワードを見かける。
似たことで悩んでいる人がいるのが分かったのだ。
オタクの自分が持つ世間と乖離している感覚は、自分が思っていた以上に普遍的なもので、自分の悩みはずいぶんちっぽけなものだった。
それによくよく考えてみれば、自分が今まで出会ってきた人の中には、見るからに陽キャなのにオタク趣味があると言っていた人もいたじゃないか。

「こんな本読んだ」、「このドラマ面白い」、「流行ってるこの曲好き」。
もっと好きなものがあるけどオタクと思われたくないからそう発言している人もいる気がする。

自分のオタクな部分から目を逸らすことはできない。
でも他人は、隠したい部分を隠すことができる。
だから、隠された他人のオタクな部分よりも自分のオタクな部分が目についてしまうだけなんじゃないか。
自己紹介で「趣味は旅行、スポーツ観戦、カフェ巡りです」と言う人が異常な多さだった(内定式に出た企業の自己紹介で大半の人の趣味がこれだったのがずっと心に残っている)のも、一般人に擬態したオタクが紛れ込んでいるからかもしれない。

突然だが、自分はオモコロチャンネルのお悩み相談動画が好きだ。この動画で気付かされたことは多いし、自分の振る舞いを変えることができた部分がある(ただし、少しだけ)。


この動画で目から鱗だったのが、永田さんの言う「人生はハッタリで自信を得ていくゲーム、自信に根拠なんていらない、自信が先にあってそれを根拠に次の自信にしていく」という見解(動画26:13〜)。

この考え方はめちゃくちゃ参考になった。
じゃあハッタリでも一般人ムーブを続けることでいつか一般人になれるかもしれない。一般人の真似事でいいじゃないか。
そう思えるようになった。

てゆーか!いっそここまでの思考を1回全部吹っ飛ばして、
一般人は仮面ライダーに興味がなくて、自分は一般ドラマに興味がない。そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!(ブロッケンJr.)
という考え方をしてもいいかもしれないな。自分が勝手に劣等感感じているだけで、本来気にすることではないという考え方。

・一般人の真似事をしているのは自分だけではないんだと。自分視点だと一般人に見える人の中にも、本人にしてみれば一般人の真似事のつもりの人がいるかもしれないと。そういう仮説を立ててみた。
そう思うことで自分の人生、だいぶ楽になる気がする。
だからいつか、オタクを巧妙に隠している方やオタクだけど一般人の振る舞いができる方、ハッタリかまして生きている方を見つけて、ちゃんとその話をしてみたいと思っている。
そりゃ、知られたくないから隠しているのだから教えてはくれないだろう。でも、その生き方ができているだけで自分は心から尊敬できる。それを知って幻滅することはきっとない。

対価がこの投稿で釣り合わないなら、自分のクソオタクな部分、抱えている劣等感。いくらでも晒そうじゃないか。

・ウダウダ言っても結局オタクであることはやめられない自分。今後の方針は、
「オタクとしてのあり方は変えない」
「でも一般人の真似事はする」
もう一般人の真似事を悪いこととは思わない
とする。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これから先、自分がnoteで流行りの曲やドラマについて話していたら「ああ、こいつ見栄張って一般人のふりをしようとしてるんだな」と滑稽に思われるかもしれません。それでも頑張ります。
それに、一般人のふりをしている人こそが実は割合としては一番多い可能性だってありますよね?
仮にそうだとしたら、自分がそれになれれば一般人と言っても差し支えないじゃないですか。

見守ってくださると幸いです。

おわり

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