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親の気持ち、子の気持ち


娘の進学は美大学受験をせず
専門学校への進学の道を考えている。


美大に行った方がいいのでは
と思っていたけれど

美大受験のハードルは
ご存知の方も多いと思うけど、高い。


予備校に週5日通い
学校にも通い


それでも受かるかどうか
狭き門なのだ。


我が家には予備校に行かせるお金は
出さない主義の夫。

進学した先の学費も
初年度分は払うけど残りの2年〜3年分は
奨学金やバイト代から自分で払うもの

という考え。

働けない自分は
異議を申し出くて何度か
話したけど

夫の意向は変わらない。


娘は美大受験をする友達が
予備校週5日通って
ヘトヘトになりながら
学校に来てるのを
見ていて

そこまでしたくない
という思いもあるみたいだけど

美大受験をする友達が
親に十分に愛されていて


自己表現が自由で豊かに
出来ていると感じるんだそう。


友達に比べて
娘は自由な発想が出来ないと言う。


例えば

白いキャンバスに
何を描いてもいいと言われると
何を描いたらいいかわからない。



お題があれば


枠があれば


娘は描ける。


だからある程度枠のある中で
描けるもので十分だから


美大ではなく
専門学校にしたと言う。


娘は十分に愛されて育っていない

と感じてるんだな、と知った。


十分伝わるほどのことが
自分はやってきたのか、と言われると

全然出来てなかった自覚も
あることはあるが


自分の中で精一杯娘のために
やってきたことは

伝わってないんだなと気づいた。


そして、娘が
十分愛されていないと感じてることに
気がついていなかった自分にも

正直驚いた。


なんでそんな子の気持ちもわからないんだろう。


独りよがりの子育てを
していただけだったのか。


それとも十分愛されていないと感じてるのは
パパのことを指しているのか?


自分なのか?


両親からなのか?


自分と夫は娘のことを
愛しているしそれが伝わってると
思い込んでいた。

全然伝わっていなかった。

親が注ぐ愛子が受ける愛
形が違うのかもしれない。


子が求めてるを親である自分や夫は
注げていないということだろう。


『ボタンの掛け違い』

愛はあるのに、その愛を受け取れない。

親も子も認識している愛の形が違うから。

娘の求めている愛とは
どんな形なんだろう。


どんな色なんだろう。


どんな大きさなんだろう。



想像力が乏しいぽんこついっぱち
だから娘の求めている愛がわからないのか?


娘の求めているとは違うのかも
しれないけど、自分と夫が

与えているつもりになってる
愛なのだ。


親の気持ち、子の気持ちは
すれ違いやすいものかな

と思う自分。


自分も、親になって
30代の終わりに長い反抗期を終えて
親の気持ちが伝わったとき

ようやく胸を撫で下ろした。


愛が無かったわけではないんだ。


親なりの僅かなはあったんだなって。

(それでも愛を感じられなかった出来事もあるけど)


娘の望む愛が与えられなかった
しても自分達なりに精一杯の愛を伝えて
いこうと思う。


生活費の心配をしてる娘の側で

これからキッチンカー事業を
始めようとしている自分と夫。


でも止めない娘(笑)



止めない息子(笑)



応援してくれてるのかな。




子供達に心配かけないためにも
頑張りたい。


子育てに全力で頑張って
プツンと糸が切れた自分だけど


キッチンカーは3人目の子育てだと
思って息切れしないよう


頑張りすぎずに頑張る。



夫と一緒だったら、乗り越えられる。


(気がする)


第二の人生は
キッチンカーにエネルギーを
注ごうと思い始めている。



そんな親の背中を見せることが
子供達にとっても

何もせず過ごすよりは

何よりも大切なことな気がしている。



そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。


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