見出し画像

日本には「漫画の日」と称する日が1年に3日間もありました。

みなさん、「漫画の日」をご存知でしょうか?

1つ目は、2月9日。漫画本専門の古書店「まんだらけ」が制定し、手塚治虫の忌日でもあります。

2つ目は、7月17日。イギリスでイラスト入り諷刺週刊誌「パンチ・ロンドン・ジャリヴァリ」が創刊された日として「漫画の日」に制定されました。

そして、3つ目の11月3日は「まんがの日」で、手塚治虫の誕生日であり、日本漫画家協会と出版社5社によって、2002年に制定されました。1年に3日もある「漫画の日」ですが、そのうち2日が漫画の神様である手塚治虫に関係しています。

ところで「火の鳥」や「ブッダ」、「鉄腕アトム」などの作品で知られる手塚治虫ですが、“生きる意味”を考えさせられる作品が多いと思いませんか? 実は手塚治虫は医師免許を持っていたんです。それが無免許の天才外科医が活躍する漫画「ブラック・ジャック」の誕生にも少なからず影響していたのではないかと思います。

手塚治虫のココがすごい!

手塚治虫の「何がすごいのか?」といえば、まず7歳から亡くなる60歳まで漫画を書き続け、生涯にわたり超ヒット作を生み出し続けたこと。これは並大抵の気力では成し遂げることができない偉業だと思います。第二次世界大戦中や胃癌になってからもベッドで漫画を描き、連載を続けたそうです。

また、日本独自のアシスタント制度(師弟関係のような)を作ったのも手塚治虫です。手塚治虫のアシスタントを経験した漫画家は、藤子・F・不二雄や藤子不二雄A、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、横山光輝、松本零士など、そうそうたる面々! なんたる豪華さでしょう。名前を聞いただけで、その代表作が浮かぶ有名漫画家ばかりです。

さらに、1話30分の連続TVアニメや、マンガが右綴じで4段のコマ割でさまざまな角度から絵が展開するという基礎を作ったのも手塚治虫なんです。

手塚治虫の漫画に対する情熱は想像を絶する

手塚治虫の漫画に対する情熱は想像を絶します。「もう手塚は過去の人」と言われるようになっても、持ち込みを続け、超ヒット作を生み出し、人気漫画家として返り咲きました。1日の睡眠時間は3〜4時間で、全盛期は一睡もせずに1週間作業を続けたこともあったとか。月に600ページを仕上げたこともあったそうです。

筆者は手塚治虫ほど一生を通して、漫画に情熱を注ぎ続けた人物を他には知りません。だからこそ、数々の超ヒット作を生み出し、日本漫画界にも絶大な影響を及ぼしたのでしょう。

手塚治虫はまさに“漫画の神様”ですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
私たちは、伊藤忠都市開発という会社です。
「都市開発」と聞くと何をしている会社なのかイメージしづらい方もいると思います。
ざっくり言うと、「住生活」を中心とした総合不動産の会社です。
noteで「住生活」にまつわる豆知識・豆情報を主に書いています。(ときどき関係ないこともあります...)
以前は、Mediumで不定期連載をしていました。反響のあった過去記事をnoteにも書いて行こうと思います。

私たちのWEBサイトです → 伊藤忠都市開発

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?