見出し画像

いつから始まったの!?節分の歴史と仰天トリビアに迫る!

2月3日は「節分」ですね。節分には「鬼は外! 福は内!」と言いながら、豆をまくのが一般的ですが、なぜ豆をまくのでしょうか? そこで節分の歴史と仰天トリビアに迫ります。

節分=豆まきという印象が強い日本ですが、実は節分とは季節の分かれ目を意味し、もともとは「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のことをさします。節分が特に「立春の前日」をさすようになったのは、冬から春に季節が移る時期を1年の境とし、大晦日と同じように考えるようになったからだそうです。

また、立春の節分に豆をまくようになったのは、「追儺(ついな)」と呼ばれる中国の風習が日本に伝わったためです。この風習は「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」などと呼ばれ、疫病などを追い払う行事で、日本では文武天皇の時代(慶雲3年頃)に宮中で初めて行われたとか。

さて、そんな節分ですが、仰天トリビアも盛りだくさん! 中でもユニークなものを5つご紹介しましょう。

画像1

豆まきは地域によってまき方が違う
北海道、東北、信越地方では、節分に大豆ではなく落花生をまくことが多いです。「落花生まき」と言われ、節分の時期になると落花生がスーパーに並ぶとか。北海道では、60年ほど前から落花生をまくようになったとのこと。なぜ落花生をまくのかと言えば、「雪の中でも落花生なら拾いやすい」、「食べ物が粗末にならない、「カロリーが大豆よりも高い」といった豪雪地帯ならではの理由があるようです。確かに、殻のままの落花生なら、雪の上に落ちても、拾って食べることができますよね。衛生的にも良さそうです。

画像2

鬼が外に追い出されない地域もある?
群馬県藤岡市鬼石地区は「鬼が投げた石で出来た町」という伝説が残っているため、豆まきのかけ声は「福は内、鬼は内」なのだとか! また、奈良県吉野郡金峯山寺蔵王堂の豆まきでは「福は内、鬼も内」と言い、全国から追われてきた鬼を迎え入れようとします。経典の功徳や法力、教徒らの豆まきによって、荒れ狂う鬼たちを仏道に入らしめて終わりにしようとするのだそう。なんとも勇敢な豆まきですよね。

画像3

ワタナベさんは豆まきをしなくても大丈夫!?
平安時代、京都の大江山を拠点とする鬼の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」が都を荒らしていたそうです。そのため、帝から鬼退治に任命された源頼光は、渡辺綱らによる討伐隊を結成し、鬼退治に向かったとか。そして、無事に酒呑童子を仕留め、鬼は渡辺綱の強さに衝撃を受けたそうです。それ以来、鬼は渡辺一門を恐れるようになり「ワタナベ」姓の子孫には近づかなくなったとか。全国のワタナベさんにとっては、吉報ですね!

画像4

豆をまくのは一家の主が正しい?
本来、一家の主もしくは、その年の干支生まれの年男や年女が豆をまくとされています。家族全員で豆をまく場合は、一家の主から一歩下がり、豆をまくと良いそうです。また、地域によっては、厄年の人が豆をまくこともあるとか。しかし、現代では一家の主であるパパが鬼の仮面をかぶり、子どもがパパ鬼に向けて豆をまくことも多いですよね。

画像5

恵方巻はなぜ全国に広がったのか?
節分に恵方巻を食べる習慣は、もともと関東にはありませんでしたよね? しかし、昨今は国民的行事食になりつつあります。全国に恵方巻が広がったのは、広島のセブン-イレブンの一部店舗が「太巻きを節分にどうぞ」と宣伝し、「恵方巻き」を売り出したのがキッカケだったそうです。ですが、恵方巻の起源はハッキリとしません。一説では大阪の船場が発祥だと言われています。

ところ変われば風習も変わる節分ですが、今日は家族みんなで豆まきをして、邪気を払い、無病息災を願いましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

私たちは、伊藤忠都市開発という会社です。
「都市開発」と聞くと何をしている会社なのかイメージしづらい方もいると思います。
ざっくり言うと、「住生活」を中心とした総合不動産の会社です。

noteで「住生活」にまつわる豆知識・豆情報を主に書いています。(ときどき関係ないこともあります...)
以前は、Mediumで不定期連載をしていました。反響のあった過去記事をnoteにも書いて行こうと思います。

私たちのWEBサイトです → 伊藤忠都市開発

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?