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青い瓦屋根の家②

秋は大きく深呼吸をする。
海辺で屈んでいるひかるの側に行くと、ひかるが様々な形の貝殻を並べていた。

「きれい」と秋が言葉にすると、ひかるはそのうちの一つの巻き貝を秋に差し出す。
秋がその貝を手に取ると、ひかるが自分の手に持つ貝を片耳に当てて目を瞑る仕草をしてみせた。それを真似るように秋は貝を耳に当てた。風の音のような、潮風のような音が貝の中から聞こえてくる。

自転車をカフェのガレージに返すと、関根さんが店から出て来て、「はあ帰っちゃうの?」と秋に声をかけてきた。
「ええ」
「そおけえ、今日はご近所さんが沖釣りに行ったがら、もしよがったら食べてってと思ったんですけどね。遅くなっちゃいますもんね」
「そうなんですね。お誘いありがとうございます。これから鹿島線に乗って教えていただだい夕陽を見ようと思います」
「うんうん、きれいだよお」
「はい、楽しみです」
秋は名残惜しい気持ちで、喫茶店をあとにした。 

大洗駅まで歩いて向かった。赤い車体に白い帯を巻いた鹿島線がゴオーンと大きな音を立てながらホームに入ってくる。
車内に入ると、かつて使用されていた料金ボックスが残っている。乗車する人たちの汗の匂いと車両の油の匂いが混ざってむっと立ち込めた。座席シートはふんわりしていて、その軟らかさに癒された。

列車が高架線を走り出した。夕陽を浴びた水田がきらきらと光り、まばゆい光に目を奪われた。

水戸駅までは三駅で気づいたら到着していた。頬が濡れていることに気づき、いつの間にか流れていた涙を拭った。改札を出てすぐ横にある地産品ショップの前で立ち止まって土産物を手に取っていると、今日はここに泊まっていきたい、そう思った。スマホで宿を探してみると、大洗駅の近くに素泊まりの宿が空いていたので早速予約をし、再び大洗駅へ向かった。

大洗駅から歩いて行けるスーパーに入ると、関根さん親子が買い物をしている姿があった。
秋の姿に気づいた関根さんが、「あらあ」と大きめな肉のパックを手に持って話しかけてくる。
「なんだか夕陽を見ていたら今夜はここに宿泊したい気分になって戻って来ちゃいました」
「いい景色でしょ」
「はい、感動しました」
「うんうん。もうそろそろ、近所の友だちとその娘さん家族がうちに来るんだけど、一緒にご飯食べてかない?」
「え、いいんですか?」
「んー、いいのいいの、沖釣りに行ってたのは娘さんの旦那さんで、今日は大漁だって言ってたがら、新鮮な美味しい刺し身も食べられるし」
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます。あ、私の名前は水澤秋っていいます」
「私は関根久美といいます、こっちが息子のひかるです」
「よろしくお願いします」
店を出ると、関根さんの軽自動車に乗せてもらった。

ガレージの横の石段を登ると、海風で髪が乱れたがそれも気持ちが良かった。秋の住む中央区では土がほとんどないので、日中の日差しで熱のこもったアスファルトからの予熱があり夜も気温が下がりにくい。この高台で感じる風は秋の中にあるものをリセットしてくれるように感じられた。
「秋さーん、こっちこっち」と関根さんが立派な引き戸の玄関先で呼んでいる。

玄関に入ると、土間のような空間があった。
小さな石がはめ込まれたおしゃれなコンクリートになっていて、二坪以上はあるその空間に、ローテーブルを挟んで茶色の革の二人がけソファーが並んでいた。そこにはなんだか、この家を建てたという亡くなった旦那さんが座っているような感じがして、「お邪魔します」と丁寧にお辞儀をした。
段差のある部屋へ上がるための木製の踏み台の前に靴を揃えて居間へ入ると、昔ながらの丸いちゃぶ台の上にお盆と急須が置いてあった。その横にある台所から関根さんがガスコンロを持って来て、ちゃぶ台の上に置いた。台所はとても広々としていて、真ん中には大きな木の作業台があり、とても料理がしやすそうな作りになっている。

「こんにちは!」と玄関から声が聞こえてきて、関根さんが「どうぞー」と言うと、クーラーボックスを肩にかけた背の高い男性入ってきた。
「稔さん、焼げだんじゃないの?」
「うーん、今日は日差しが強かったから、これ」
と自分の腕を関根さんに見せながら、白い奥歯が見えるほど大きく笑った。
「あ、こちら稔さんって言って、友だちの娘さんの旦那さんね」
「はじめまして水澤秋といいます、関根さんのお言葉に甘えて、夕飯をご一緒させていただくことになりまして」
「今日は、イシモチが釣れたから刺し身にしますので、ぜひ食べてってください」
「ありがとうございます」

稔さんは持ってきた刺身包丁で手際よく、イシモチという白身魚をさばいていく。
「何か手伝いましょうか」と秋が関根さんに尋ねると、「あっ、じゃあ大根のつまを作ってもらえる?」と年季の入ったスライサーを取り出す。大根の皮を剥き、ステンレス製のスライサーで大根をスライスしていく。
偶然に入った喫茶店の家族に混じって、夕飯を囲む準備をしている。ひとり暮らしをしていて、いつもは自分の食べる分だけを調理しているだけで、こんな大家族に囲まれて食事をするということが現実の出来事には思えない。
感染者数も少なくなったタイミングで海外旅行へ行く友人の話も聞いた。多くの人が出かけ始めている今、こうやってマスクをしながらでも人とまた対面で会えるようになったことが嬉しかった。ふさぎがちだった気分が少し明るくなっていく。

橋口さんが、とあるセミナーに参加してきた時の話をしてくれたことを思い出す。
「水澤さん、自分を変えるには三つのことを変えるといいらしいですよ。どんなことだと思いますか?」
「なんでしょうか、そうですね、うーん」
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