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参考図書「本の雑誌風雲録」にみる書店への直接配本のしんどさ

 雑誌の雑誌を作ろうとしているので、かつての小規模出版物の歴史についても目を通しています。
新しく自分でメディアを作るのだから、過去や固定観念に囚われず好きなように作った方が良いのでは? とも一度考えたのですが、やはり学ぶ事は多いし、今後雑誌について識者にインタビューするにおいても基礎教養を持つことは礼儀でもあると思いまして。

 そこで手に取ったのは、見方によってはIPAの類書とも言えなくもない「本の雑誌」について書かれた本。著者は椎名誠らとともに本の雑誌を創刊、そのきっかけとなる「めぐろジャーナル」も発行していた目黒孝二さんです。

 風雲記は1985年の5月発行で、本の雑誌の立ち上げ(1976年)から約10年に及ぶ間の同誌の配本について書かれたもの。今から遡ること35年以上も前の話で、当時の雑誌事情や書店事情が読み取れます。

 実の所、本の雑誌の編集や企画・具体的な作り方のエピソードを期待して読んだのですが、内容は目黒氏が開拓した直接配本の記録でした。

 当時から小規模の出版物は少なくなかったそうですけど、雑誌の書店との直接取引という形態が広がったのは本の雑誌の功績なのだと思われます。(しかもスモールプレス発で45年経った今も変わらず発行しているとは……)

 そもそも一般的に雑誌や書籍の七、八割は、出版取次という本の問屋兼流通を通して全国の書店に送られています。そして、出版物はたいてい委託販売なので、ある一定期間ごとに何冊売れたかを集計、売上精算して、売れなかった本は返品ということになる場合が多いのです。この本屋さんとのやりとりを代行してくれるのが出版取次というものなんですね。

 だから基本的には出版社が直接全国の書店と一店づつやりとりをする必要がないわけです。しかし、少部数であったり会社の規模などの理由によって大手の取次を通せない(通さない)出版物は、直接書店とやりとりをすることになります。

 記述によると、この本の発行時点で本の雑誌社では大学生を中心とした2,30人の助っ人がいて、配本部隊というチームを作って地道に納品、集金をしていたそう。本書ではそこに至るまで、目黒氏がひとりで雑誌を抱えて書店を回っていた頃からのドラマが描かれていました。

 その時代のことを知らない部外者が読んでも、本の雑誌に拘る人間模様と目黒氏の心情描写があることで最後はしみじみした気持ちで読み終えることができ、今後も見守っていきたいと感じました(35年前の話だけれども)。

 IPAの参考図書としてタメになったのは独自の配本論。「首都圏ドーナツ廃本論」と呼んだそうですが、簡単に言うと、首都圏は環状16号線の外側から都心に向かって配本していくべし、というもの。自分たちで書店に配本する際に店舗間で何日も入荷までにギャップが出来てしまう場合は、固定客が中心の郊外店から配りはじめ、フリー客が多い都心の大型店は後に配本した方が結果的にお客さんのためにも書店の方にも良いということでした。なるほど。

 IPAを雑誌で出す時は一般書店に広く配本することも考えていないし、第一僕たちはまだ雑誌作りも始めれてない状態。それに、今や小出版向けの取次もあるので令和の時代に通通じないかもしれませんが、長年配り回っているからこそ培うことができたヒントが詰まっていて、大変参考になりました。

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