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スタートアップと人事労務②ー固定残業代

労働時間の管理の煩雑さを回避するため 、残業代はあらかじめ支払ったものとする固定残業代制を採用するケースも少なくない。もっとも、固定残業代による割増賃金の支払方法は、当該固定額が、実際の時間外労働時間を基に労働基準法に基づき計算された割増賃金の金額を上回っていれば問題とはならないが 、従業員が実際に勤務した時間に基づいて計算した割増賃金の方が当該固定額よりも高額となる場合には、会社は、当該固定額に加え、その超過分の割増賃金を支払う義務を負うこととなる。
かかる固定残業代制度が無効と判断された場合には、以下のリスクがある。

当該固定残業代分の割増賃金が不払であったことになる
割増賃金の計算(労基則19条1項)の際の基礎賃金から控除できなくなる
訴訟において付加金(労基法114条)が命じられる可能性がある

そして、固定残業代制度が有効と認められるか否かは、⑴明確区分性、⑵精算の合意、⑶時間外労働への対価性等を考慮して決定することとなる。

1 明瞭区分性

 この要件については、いくつかの判例があり、まず、最判昭和63年7月14日労判523号6頁【小里機材事件】は、1カ月当たり15時間の時間外労働に対する割増賃金を基本給に含める合意の有効性が争われた事案において、以下に示す一審判決(東京地判昭和62年1月30日労判523号10頁)の判断を是認した。

仮に、月15時間の時間外労働に対する割増賃金を基本給に含める旨の合意がされたとしても、その基本給のうち割増賃金に当たる部分が明確に区分されて合意され、かつ労基法所定の計算方法による額がその額を上回るときはその差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意されている場合のみ、その予定割増賃金分を当該月の割増賃金の一部又は全部とすることができるものと解すべき

 また、最判平成6年6月13日労判653号12頁【高知県観光事件】は、歩合給制の賃金制度(月間水揚高に一定の歩合を乗じたオール歩合給制度)が採られていたタクシー会社において、タクシー運転手が割増賃金の請求をした事案において、会社側の歩合給制によって支給していた賃金の中に時間外・深夜労働に対する割増賃金が含まれているとの主張に対して、以下の判断を示した。

歩合給の額が上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金にあたる部分と時間外及び深夜の割増賃金にあたる部分とを判別することもできないものであったことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法37条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべき

 さらに、最判平成24年3月8日労判1060号5頁【テック・ジャパン事件】は、基本給を月額41万円とし、月間総労働時間が180時間を超える場合に1時間当たり2560円を基本給に加えて支払うが、月間総労働時間が140時間に満たない場合には1時間当たり2920円を基本給から控除する旨の「約定」が結ばれていた事案において、月間総労働時間が180時間以内の場合の割増賃金が基本給に含まれるか否かが争点となった事案において、最高裁は、高知県観光事件を引用し、歩合給以外に割増賃金を支払うべきであるとの判断を示した。

この約定によれば、月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされても、基本給自体の金額が減額されることはない。また、上記約定においては、月額41万円の全体が基本給とされており、その一部が他の部分と区別されて労働基準法(平成20年法律第89号による改正前のもの。以下同じ。)37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれない上、上記の割増賃金の対象となる1か月の時間外労働の時間は、1週間に40時間を超え又は1日に8時間を超えて労働した時間の合計であり、月間総労働時間が180時間以下となる場合を含め.月によって勤務すべき日数が異なること等により相当大きく変動し得るものである。そうすると、月額41万円の基本給について.通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを、判別することはできないものというべきである。

 以上のように、固定残業代制の有効性に関する判例は、①通常の労働時間に対する賃金と時間外労働に対する割増賃金が明確に区別されていること、及び②差額支払の合意(小里機材事件判決参照)を要件としているように見受けられる。したがって、固定残業代制度を採用する場合には、これらの点を立証できるよう、制度を構築し、明確な合意書面を残しておく必要があろう。

2 精算の合意

 上記の小里機材事件判決でも指摘されているように、固定残業代制で設定した金額以上に、割増賃金が発生した場合には、その差額を精算する必要がある。
 なお、精算合意をした上で、係る合意に従って超過金を精算する必要があることはもちろんである(東京地判平成26年8月26日労判1103号86頁【イズミレストラン事件】等)。

3 時間外労働への対価性

 固定残業代制度を採用する場合、それが割増賃金の代わりとして支給されているか否か、すなわち、時間外労働の対価としての性質を有するか否かも問題となる。この点は、支給される固定残業代が、主として時間外労働の量に比例して金額が決まるものとなっているか否かという点が重要となる。そのため、例えば、高知県観光事件で問題となった歩合制のように、労働時間数ではなく業績等に金額を連動させる場合は、法定時間外労働の対価としての性質を有しないと判断されるおそれがある。
 また、上記の精算の合意と同様、法定時間外労働への対価として合意するだけで足りるわけではなく、対価としての実質を持たせる必要がある。すなわち、仮に専門家等に相談しつつ、例えば適切と思われる賃金規程を作成・修正したとしても、その適切な規程に従って運用までしなければ、不十分といえる 。この点が問題となった裁判例としては、東京地判平成25年2月28日労判1074号47頁【イーライフ事件】が挙げられる。この事件では、「精勤手当」の対価性が問題となり、支給額が原告の年齢、勤続年数、被告の業績等により請求期間だけでも数回にわたって変動していること等を根拠に、時間外労働の対価性を否定した。また、東京地判平成24年9月4日労判1063号65頁【ワークフロンティア事件】においては、「報償手当」の対価性が問題となり、労働条件通知書や新賃金規程に「割増賃金の意味を有する」と規定はされていたものの、粗利生産性の上位3名、リピーター顧客からの発注等の功績を達成した者に現金支給されているという実態面を考慮し、対価性を否定した。
 なお、対価性については、法定時間外労働への対価たる性質と他の対価たる性質を併有している場合もある。この場合には、併有する性質のうち、どの部分が法定時間外労働への対価となるのかを判別できる必要があるため、割合を決定した上で、その割合を労働者が理解できるように明示することが必要となる。なお、近時の裁判例において、1つの手当に目的が併存する場合に、判別が可能として有効性を認めた裁判例は私の調査した限りでは見当たっていないため 、対価としての併有させることは基本的に避けた方が安全であると思われる。

弁護士 山本飛翔

Twitter:@TsubasaYamamot3

拙著「スタートアップの知財戦略」

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