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短編小説「コンクラーベ」

たくさんたくさん前置きと言い訳を重ねて、傷つけまい傷つけまいとしながら、結局は思いついたひどいことを最後まで言い、きっちりと相手を傷つけてしまい、あげく、深く後悔する。

じゃ、言わなきゃいいのにと思うんだけど、シノブ君はそのたくさんの前置きも含めて、言わずにはおれないらしい。気が回るんだかおっちょこちょいなんだかわからない、とよくからかった。

だから今も、前置き3つめぐらいから、もう言いたいことはわかった。おもしろいから数えてみようとこっそりと指折り数えてみたら、いまので5個目だ。

単に「別れよう」というそのことを言うためだけに、この人はいったいどれだけ、繊細で、臆病で、弱虫で、優しいんだろうと感心しながら指を折っていたら、涙が出てきた。

びっくりしたけれども、もうここは体に任せてみようと思って自分を泣かせっぱなしにしてみたら、これが全然止まらない。

シノブ君は当然オロオロし、「ちなみに」と付け加え始めていた6つ目を飲み込み、心底困った顔をし、何か別のことを言いかけ、そして黙った。

その気遣いがまた憎らしく、意地になって泣き続けた。外が暗くなっても、お腹がすいてきても、じわじわと、ぐずぐずといつまでも泣き続けてみた。

まめでしんぼう強いシノブ君はもちろん、最後までつきあってくれた。まったく頼りになる人だ。そして、いつものように、4年半のつきあいの中でいつもそうだったように、私が降参して、「わかった」と鼻をかみながらティッシュの中につぶやくと、「ごめん」とこの根比べを締めくくってくれた。

シノブ君とは出会ってからずっとこんな感じで我慢比べをしてきたようなものだ。

大学3年生のゼミの新人歓迎会で知り合った私たちは、すぐに気が合ったけれど、なかなかつきあうに至らなかった。

飲み会で酔いすぎた彼が真っ赤な顔でうなだれたまま、ぬけぬけと手を握ってきても、仲間内ではすっかりカップルとしての地位を定着させても、なかなかシノブ君はつきあおうと言ってこなかった。

実に半年もの間、業を煮やし続けた私がついに、どういうつもりかと問いただすとやっと、「オレは彼女だと思ってるよ」などときっぱりと言い放つ。以来4年半。私たちは基本的にずっと、我慢比べをし、いつも私が先に折れ(てあげて)、シノブ君がすっとまとめて、おいしいところを持って行く。そういう風にしてつきあってきたのだ。

駅前で終電ぎりぎりまで私がむくれたときも、誕生日デートの行き先が決まらずぐるぐると歩き回ったときも、電話をどっちが先に切るか押しつけあったときも、初めてシノブ君を家に泊めたときも。

“男らしく”ぐいぐいと引っ張っていく男なんてものは伝説上の動物で、現実世界にはいないらしいとうすうすわかっていたし、そもそもそれはそれほど不満なことではなかった。

シノブ君は別にぐずでのろまなわけではない。むしろ、頭の回転が速く、場の空気も読める。おしゃれで、ユーモアがあり、大きな声でよくしゃべる彼は実際人気もあったし、会えばいつも楽しかった。

社会人になってからは、自分のペースで進められるこの恋をとても大事に思っていたし、無茶を言わないシノブ君に、私はずいぶん頼っていたのだと思う。

根比べに先に疲れたのは、私の方だったか、シノブ君のほうだったかはわからない。次第にひとつのけんかは長期戦の様相を呈し、じらし合いのような前向きな戦いは少なくなり、最初のうちは手を変え品を変え私を一生懸命なだめすかしてきたシノブ君も、徐々に消耗戦へと戦略をシフトしていった。

元気にしゃべる人が徐々に口数がなくなっていくのを見るのは残念で、悲しかった。

最後の一言を言わせるのにも、結局、3回の険悪な雰囲気のデートと、10回ほどの気詰まりな電話と、何往復したかわからないほどの「どうしたの?」「なんでもない」が費やされたのだ。

シノブ君が帰っていったあと、私は胸が詰まって息がしにくい状態を、頭痛や腹痛が去るのを待つように、じっと耐えた。

いつも下痢気味のシノブ君がトイレの前で浮かべる苦悶の表情を思い出したら、笑えるはずが、さらに泣けてきた。

我慢比べなら慣れたものだ。今回のピンチだって、きっと時が解決してくれるはず。しかるべき時が来たら、いつものように私の方からすっと助け船を出してあげればいい。そうすればいつものように事態は明るく好転し、笑ってご飯、になる……。

流しの蛍光灯だけついた台所のテーブルで私はじっと、時がたつのを待っている。保温のランプが赤い炊飯器が、ブーンという音を立てた。

photo by Katie Tegtmeyer

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