私たちはなぜnoteを書くのか? 【1月17日(日)19時〜、哲学対話で考えます】
昨年から、「書く」をテーマにしたオンライン対談をやっています。いろいろな書き手の方にご登場いただき、文章を書く、本を書く、ということについてああでもないこうでもないとトークを交わしています。
ありそうでない、というか、なかなかみかけない、オンリーワンなコンテンツという自信はあるので、よかったら、アーカイブを覗いてみてください。対談相手、超豪華です。
で、最近、そこの皆さんと話しているのが「なぜ書くのか?」ということ。僕の中で盛り上がっているテーマです。
中には「別に書く、じゃなくてもいい。なにか社会に向けて言いたいこと、働きかけたいことがあって、そのツールの一つとして書いている。別に話すでも、インスタでもなんでもいい」という方がいます。
↓この対談で見えてきた視点です↓
なるほど、と思うわけです。
いい文章を書きたいとか、読む人を感動させたいとか、いいね!が欲しいとか、いろいろモチベーションはあるわけですが、その根っこに、「なんのために書くのか?」という問いがあり、それがはっきりしないことには、続かないよな、と。
つい、「書く」前提で話していたけど、書かなくてもいいんだよな、と。でもなんで人は書くんだろう、と。
僕の場合はどうだろう、と。
そもそも、面白い文章を書きたいとか、読んだ人に「面白かった」と言われたい気持ちはあるのですが、社会に対して言いたいことって、それほどないんですよね。それは結構悩みでした。
たとえば、もっと女性が住みやすい社会に、とか。
たとえば、自分の生きてきた証を夜に残したい、とか。
たとえば、今の会社を辞めてフリーランスとして独立するために、とか。
たとえば、自分の思考を深めるため、とか。
たとえば、完全な自己満足。だって楽しいじゃん、とか。
レイヤーや温度はまちまちかもしれませんが、その原動力がある人とない人では違ってくるだろうな、と。
いま、これを読んでくださっている方の中にも、noteを書いている人がいると思います。twitterをやっている人がいると思います。
それはなぜですか? なんのためにですか?
わからないことはみんなで考えよう、ということで、こんなイベントを立ち上げました。1月17日(日)19時〜、オンラインで行います。
毎度おなじみ、哲学対話の形式で、みんなで「書く理由」を考えてみようというものです。
哲学対話についてはこちらから。
結論は出ないかもしれないし、出たとしてもみんな同じにはならないはずです(そもそも結論を出さないのが哲学対話の売りです)。
それでもよければ、ぜひ一緒に考えましょう! お待ちしてます!!
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