よろしく、ひび割れ君。

ブラックコーヒーがもう少し飲み頃になるのを待つ間に目玉焼きを食べていて、あぁ、買ってよかったとしみじみ感じていた。
その朝は、IKEAで購入したプレートの使い始めだった。

KRUSTAD クルースタード プレート ライトグレー 25cm 499円(税込)

リムは無く、端だけ1㎝程度立ち上がっているプレート。そのフラットさで直径30cmはあるように感じる。高台もスリムで2重に誂えてあって格好良い。カラー表記はライトグレー。透明感があって静かな美しさがある。
KRUSTAD。Google翻訳にかけてみると「ひび割れ」と出る。5mm角の細かい格子柄をそう表現しているのだろうか。私はひび割れと聞くとランダムな走りを思い浮かべてしまう。規則的な格子柄もここまで細かいと、クラッシュしたガラスの粒を眺めているようで上手くやられたという気がしてくる。

棚からプレートを両手で持ち上げ、胸の高さに掲げて前後左右に角度を変えては色の変化を確認した。臍の高さまで下げてテーブルに置かれた時の距離で表情を想像した。

そして想っていた。
本当はこれじゃないお皿が欲しかった。
私が欲しかったお皿は有田焼の緑色の大皿だったと。
2020年のゴールデンウィークに合わせて開催されたWeb有田陶器市のサイトで素敵なお店を見つけた。フォローしたインスタの通知を楽しみにして数週間、その大皿がポストされた。緑のバリエーションが細い金で縁取られ爽やかに輝いていた。外へ向かって立ち上がる緩いカーブが多少の水分なら対応してくれそうだった。シンメトリーな柄はどこに料理を盛り付けても何を合わせても絶対に様になるだろうと思えた。こんなに大きなサイズには手を出したことが無い。それなのに、現物を手に取ってでしか食器を買えない小心者の私の直感が四角く切り取られた世界に向かって、これは間違いなくアタリだと叫んだ。
そんな大皿を想っていた。
結局、タッチの差で購入できなかったデッドストックのあの大皿を。

「ひび割れ」と名付けられたプレートを手にしながら私の頭は有田焼でいっぱいだった。
同時に心は疲れていた。手に入らなかったものをいつまでも思い返してしまう事に。
販売開始時間20分前にはサイトを開いておいたのに。
ちゃんとクレカも手元に置いておいたのに。
何かに気を取られてしまって時間が来たことに気づかないと困るからとアラームもセットしたのに。自分の失敗に後悔し嘆く気持ちに支配される。
疲れた。

ひび割れ君よ。
君は華やかな彩色もなく、汁物を受け止めてくれる安心感もない。由緒あるブランドでも高価でもない。デッドストックの希少性もない。
それなのになぜだか私は君を手に取ってしまった。

視線を上げて辺りの食器を改めて見渡す。
そして記憶を手繰る。
家には濃紺の舟形が、白地に藍で海洋生物が描かれた蕎麦猪口が、飴色のしのぎの鉢がある。その上段にはガラスの薬味入れ、菊型の小鉢。
1品1皿が格好いいと思い小ぶりが多い私の食器棚。
違和感もあった。ケーキ1ピースが乗ればぴったりの、トーストも存分に受け止められないサイズの合わないプレート。

私は、自分が所有している食器には無いバリエーションを求めているのだと知る。
窮屈なんだ、苦しいんだという訴えを感じる。
余裕のない皿の上で押しあうトーストと目玉焼きのように。
解放感と華やかさにワクワクし、どうしても手に入れたいと熱望したのにあっという間に消えていってしまった有田焼の影を追い求め続けてしまっていることが。

今、私は現物を手にし、実感を持ち、身の丈に合った価格でひび割れ君を購入できる。
ひび割れ君でいただく食事には何が見えるだろうか。やはり、これじゃないという気持ちに支配されるだろうか。

ひび割れ君が私を見上げる。
ねぇ、過去の嫌な思いを無限に反芻して同じ感情に飲まれてしまうことも、また失敗してしまうことを恐れたり、先取りして不安になるのも臆病になるのも、もう十分にやったじゃない?
新しい可能性を試してみようよ。
きっと何か新しい感覚を刺激してくれるよ。
今いる場所を離れるのは悪い事じゃないよ、と。
IKEAがそう呼んだと勝手に決めたひびの、ひとかけひとかけが反射した光の粒が私の頬を弾いたような気がした。

そうだね、ようやく苦しさに我慢できなくなってからでないと気持ちのスイッチができない自分を、この大きすぎるカートに放り込んで置いて帰りたいね。

そうして、映画を見に来たついでにソフトクリームを食べようと立ち寄っただけのIKEAから、500円のひび割れ君ことKRUSTADと一緒に帰った。

朝食はレタスをちぎり目玉焼きを半熟に仕上げ柿をむく。トーストはいつも通り1枚を半分にカットする。

広い。お皿の中に余裕がある。テーブルに乗る食器も減り、視覚を刺激しないのか気持ちもすっきりする。
良い。フラットなおかげでレタスのドレッシングが他を侵食しない。澄んだグレーがレタスの黄緑をたまごの白身さえも浮き立たせる。

朝食が昨日よりも体に染み込んでくるような気がしてくる。
素敵、ひび割れ君。

折角一緒に暮らすのだから思い入れのある品がいい。心からときめく出会いに憧れる。けれども、それらは求めるほどに叶わないことの方が多いような気もしてきた。

ねぇ、僕はたった500円だったよ。
試してみて良かったでしょ!もっと手軽にもう少し気楽でいいんだよ。
あの時の情けない自分も一緒でいいから。
みっともなく過去にしがみついてしまう気質もまだ消えてなくていいから。

コーヒーの湯気の隙間からちらついて見える細かい格子の明るさが、ケラケラと転がるような笑い声に聞こえた。
その光の粒で私のスイッチをやさしく探り当ててくれたひび割れ君。
ようこそわが家へ。
これから一緒に、どうぞよろしく。

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