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北極へスキー板をもってゆく どたばた諸島編 (北緯68度14分〜北緯68度25分)

1. オーロラを見たか? (北緯68度14分)

ボードー (Bodø) から3時間半、150キロメートルのあいだ高い波と遊びつづけた船は、私たち以外の乗客には一切ダメージを与えていなかったように思う。ロフォーテン諸島はとても強い暖流である北大西洋海流に洗われて温暖、付近には世界で2番目に強い渦潮があり (1番目はボードーの南)、タラ漁のほかにめぼしい産業がなく (Wikipedia には「陸上は起伏の激しい裸岩の山地で、生産性に欠けている」とある)、地元のひとはいろいろな船旅に小さい頃から慣れているのだろう。

スヴォルヴァ (Svolvær) の隣の港、カベルヴォーグ (Kabelvåg) の海辺の宿に入って横になると、いまだに目が少し回っているのを感じた。目を閉じて波の音が天井に響くのをしばらく聞いていた。

翌日起床してカーテンをあけるや、窓から真っ白な光が差し込み、港とロフォーテンの壁のような山が控えているのが見えた。北極圏で最初の朝は、波と雪の静かな朝だった。

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ボードーでは道の脇や歩道に少し踏み固まった程度の積雪だったが、カベルヴォーグでは数cmの雪がどこまでも積もり、遠景に見える山は夕暮れと違って余裕のある山らしさを備えている。

繰り返しになるが、スヴォルヴァの冬は極めて穏やかである。厳冬期 (2月) の平均最高気温は -1.9℃程度で、20度以上緯度が南のケベック市よりも暖かい (https://en.wikipedia.org/wiki/Svolv%C3%A6r)。この時も景色に反して厳しい寒さではなかった。十分な服装をしていたので、手が凍える程度の寒さでしかない。もちろん、すべてに「北緯68度にしては」がつく。

ロフォーテン諸島を貫く欧州自動車道 E10 号線の端からロフォーテンの付け根、そして大都市ナルヴィーク (Narvik) までいくバスがノールラン県により運行されている。今日はこうしたバスに乗ってロフォーテン諸島東部を横断した後、チェルスンクロー (Tjeldsund Kro) でトロムス県運行のバスに乗り換え、さらにトロムソ (Tromsø) 行きの高速船に乗り継ぐ。支度をととのえ、まずはカベルヴォーグのバス停へ向かう。いいかげん肩が疲れてきたが荷物を背負って坂を登る。相変わらずの曇り模様で、外に出た瞬間に雪が降ってきた。

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バス停周辺の広場は雪に埋もれてどこからどこまでが広場か分からない。ただ真っ白な空白地帯がある。人の気配はなく、バス停も心許ない屋根とベンチがついているのみで利用されているか不安になる。雪を踏む音と途中で荷物を下ろして休む音だけが響く。

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バス停の近くを歩いていると突如ディーゼルの噴き上がる音が聞こえて慌てて振り返る。逆向きのバスである。私たちにバス停の位置を教えるためだけに運行されているかのようなそのバスは、なにもない広場を避け、道のあったであろう場所を狭そうに几帳面に抜けていく。誰も降りず、誰も乗らず、ディーゼルはもう一度噴き上がってギアを早々上げると静かにどこかへ消えて行った。バス停の時刻表を調べてみると、そのバスも、私たちが乗るはずのバスも、このバス停も、まったく載っていない。

はやめに宿を出てきたということもあり、一度宿に戻って戦略を練り直すことにした。宿では禁煙のはずだが、ドアを開けた瞬間に雪と入れ違いでタバコの臭いが漂ってくる。声をかけると、従業員らしきお姉さんが一服しながらにこやかに迎えてくれ、相談に乗ってくれた。彼女によると、ある客がタクシーを呼ぶはずだからスヴォルヴァまで同行したらどうか、そこからなら確実にバスがあるはずだということだった。タクシーはまだこないから、部屋でゆっくりしていったらどうか、とも。

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中で温まりながらバスの運行情報を調べたりしていると、アジア人のおじさんが突然 ASUS のタブレットを手に私たちの部屋にやってきて「これを見てくれ」という。ちょっといじってみるとブートローダーのエラーメッセージが出てきた。「写真がたくさん入っているんだ」という彼には申し訳ないが、デバッガでフラッシュメモリを吸い出そうというは挑戦できるだろうが、データがあるなら下手な事をせず帰ってからショップに見せるほうが絶対良い、幸運を祈るとしか言えなかった。起動ファイルだけ丁寧に壊れただけだといいね。そうこうするうちにさっきの宿泊客か誰かがやってきて、こともなげに「バスが来るよ」と言う。タクシーの話は……?

さて、その客はバスには乗らないようで、私たちはまたふたりで再び坂を登って広場まで降りた。宿にいた20分ほどのあいだ外に置いておいたスキー板には雪がうっすらと積もり、持ち上げるとさらさらと音を立てて落ちていった。こうしている間に途中にある小さなスーパーマーケットが開いた。ノルウェーのどこにでもある Extra という店だ。軽食とともに sjøsyk 、つまり船酔い (海の病気) 用の薬を探す。店員に話しかけると出してくれたそのパッケージは埃をかぶっていた。丁寧に受け取って会計を済ませてから、そっと拭う。

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バス停ではノルウェー人のお姉さんがタバコを吹かして佇んでいた。バスはちゃんとくる、あなたの言うその時間のやつ。もうすぐ来るはずさ。──そうなんですか、それは良かった、本当に。ところでこれ (バス停の柱に括り付けられた、ボロボロの鉄とふわふわの雪の複合体) は灰皿ですか?──そうそう──じゃあ……(カチッ,カチッ……寒すぎてライターの火がつかない)──つけようか?──あ……つきました──ところでオーロラはみた?

オーロラ。北極圏に来たのに一切考えてなかった。私は衝撃を受ける。そういえば、ここはまさしくオーロラを見にくるような場所だ。そういえば昨日の夜、なにもない港で空をみていた老夫婦はもしかして……。

彼女はほぼ同緯度にあるナルヴィークからオーロラを見にきたのだとか。ナルヴィークは大都市で、その光のせいでよく見れないから数日前に田舎のこの町にやってきた。「だけどずっとこの空模様でしょう、だから」フフーっと煙を吐き出した。「ナルヴィークって大都市なんですか?大きな街だとは知っているんですが」「あっ、なんもないよ、あそこ。スキー場が有名だけど、他には何も。それでも、オーロラには明るすぎるから」。

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「スヴァールバルでは見れますかね?これから行くんですが……」「どうだろう、チャンスはあるよ。夜さえあればオーロラはやがて出るものだから」。そう、北極圏であるこの場所、夜さえない季節がやがてやってくる。

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バスはたしかにやがて来て、荷物を車体下の収納庫に突っ込んで中で会計する。そしたらいきなりこれだ。

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2. ロフォーテンの景色と公営バスの乗り換え案内について (北緯68度14分〜北緯68度29分)

私の持っている日本語には、ロフォーテンの景色を描写するに足りる表現力がない。写真だけ貼りつつ、ノルウェーでの乗り換え案内事情について語ろうと思う。読者には写真を飛ばさずに一旦手を止めて眺めてほしいと思う。小さく、あるいは遠くに映っている家や電線、工場、橋、岩壁にこそ魂は宿っているのだから。この荒涼とした岩だらけの土地で生きる人の魂が。あるいは氷河期の最後に一気に溶け出し、この土地をえぐり尽くした氷河が山の頂上や湾の奥の岩に刻んだその生き様が。

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ノルウェーのバスの乗り換え事情についてしらべると、 Ruter# (https://ruter.no/reiseplanlegger/) が出てくるかもしれない。これはオスロやノルウェー中部・南部では一般的なようだが、北部では一切使い物にならない。そもそもここ、カベルヴォーグは載っていない。オスロ郊外に関してはたくさん載っているので、田舎だとダメというより地域としてサポート外なのだろう。

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次に調べると Entur (https://www.entur.org) が出てくるだろう。こちらはかなり実用的なサジェストを出してくれる。しかし実用的なので飛行機が多用される。そこで出てくる飛行機の空き席はおそらくある (地方空港同士の接続が満席になることはなかろうという一般論) のだろうが、このあたりを観光のつもりで移動するにはあまり物足りない旅程ばかり出てくる印象だ。

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Entur はバス路線の収録数自体は完全といっていいほど充実しているようだし、だいたい一件はバスでずっとがんばるルートを出してくれるのでバス単体でひたすら移動したいというときには役立つと思われる。しかし、今回の旅行のようにもっと多数のパラメータと大きな探索空間 (経由地未定、列車・バス・船の混合ルート希望、国のほとんど端から端までの距離) を相手にするときはやはり人間が最適化問題を解くのがいちばん良い。結局、そのサジェストされたルートを好むかどうかは人間が決めることなんだから。

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訪れたい地域をおおよそ決めたらおおまかな動きがみえてくるはずだ。そうしたらその県が運行しているバス路線をみてみよう。たとえばこれはノールラン (Nordland) 県のバス路線だ。
https://177nordland.no/ac/bussruter

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もちろん高速船 (https://177nordland.no/ac/hurtigbaatruter) やフェリー (https://177nordland.no/ac/ferje) もある。

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上でリンクしたページに並べられたサブメニューからは地域別にバス路線を探すことができ、複数の地域にまたがる路線はそのどちらからもたどり着くことが出来る。ただし、そうしたバス路線のページはダブルメンテになっていてページの内容がわずかに違うことがある。たとえばロフォーテンの300番線オフォーテンの300番線は完全に同一の路線だが、オフォーテンの方にだけまだ夏の時刻表がある (ところで驚くべきことに8月19日からは冬季時刻表で運行している)。

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ただのメンテ忘れなら新しい方を信じればよいだろうが、さらにわかりにくいことにノールランの本土側にあたる Salten 地域での300番線もある。番号かぶりのまったく違う路線だ。

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しかも上の路線情報に貼られたこれらの時刻表は省略が多く、マイナーなバス停で降りたい場合などは情報不足だ。こういうときはだいたいのコースを決めて「あたり」をつけてから、県が提供している乗り換え案内にカマをかけてみよう。

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県の提供している乗り換え案内はそれぞれ、ノールラン県(https://177nordland.no/ac/reiseplanlegger)、トロムス県 (https://www.tromskortet.no/reiseplanlegger/category245.html) からアクセスできる。この県同士に限っていうとお互いの乗り換え案内がお互いのダイヤを把握しているので、県境をまたぐ場合はどちらから調べてもよい。

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乗り換え案内で出てきた路線をクリックすると、その路線の停車するバス停がすべてマップにプロットされる。これを使ってスケジュールをより詳細に詰められるし、意外なところで乗り換えが可能だと気づかされたりもする。

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これでせっかく良いルートを決めても外が暗くてなにもみえなかったり、オーロラを期待して行ったのにずっと明るかったりしたら悲しい。私は航空機の予約をする段階から予定を変更しようとするたびに現地の日の出日の入りの時刻をチェックしていた。たとえばここのサイトがわかりやすいと思う。
https://www.timeanddate.com/sun/norway

このサイトで具体的に都市を決めると出てくる図は、横軸が日付、縦軸が時間であり、明るい時間が明るい色で描かれている。これをみると、高緯度地域では薄明の時間が長いことなどもすぐに理解できるだろう。サマータイムの存在を意識しておくのにもよいリマインダになる。

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バスは坂を登ったり下ったり、橋を渡ったり折り返したりして1時間半ほど雪の中を進んだ。外の景色を凝視しているあいだに人間の目は生来持っている高いダイナミックレンジを発揮してすばらしく適応し、雲の白と雪の白のあいだに浮かび上がる岩や林のディテールを把握する能力を研ぎ澄ませてゆく。そうして彩りに飢えた目に時折訪れるヴィヴィッドな建物や看板が人の心を振るわせる。それは、ここの人々の祈りだから。

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山と海の荘厳さが輪郭だけで物を言うのと対照的に、人工物のはかなさ、いじらしさが鮮やかな色彩を放っている。赤、オレンジ、クリーム色……。

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トンネルのようなフェリー貨物の乗り場が口を開け、幾人かが降り、幾人かが乗ってきた。強い風と雪が吹き込んできて、ドアをさっさと閉める。

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時間調整だろうか、フェリーとの接続待ちだろうか、停留所で人を下ろしてから小休止のように止まってじっとバスが動かない。バスのエンジンの唸る音が切れ、ふっととても静かな時間が訪れる。お菓子の袋を破る音。それを口に運んで外を見つめ、耳をすませる。強い突風が天から舞い降りてきて、外の赤松か、電線か、岩か、そのすべてか、ヒュッと高い風切り音を立てて合図をするとひとつの楽団のように色々な音が一気にがなりだす。

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旅程に話を戻そう。

ここらへんの地域のバスの本数は決して多くない。そこで、バスの移動を計画する際は書き出してしまうのがいいと思う。とにかく本数の多い区間というのはほとんどない。飛行機にしても、列車やバス、高速船にしても。

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私たちは計画を立てる段階でホワイトボードを用意し、既知の情報を掻い摘んで表にまとめ、確定出来る部分から──例えば北から見るのか、南から見るのか──決める。全体の日数をどんぶり勘定で与えてしまい (良きにしろ悪しきにしろ、同居人の都合である程度の長さは決まっていた) 、可能な逆算に印をつけてつなげていく。多くの分岐を描いたし、多くの分岐を消した。これには人によって多くのやり方があるだろう。

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こうした作業でいちばんの躓きは乗り換えにある。例えば「この乗り換えが可能かどうかで行動が変わるんだが……」というとき。今回の旅行では、まさにこの今乗っているバスから次のバスへの乗り継ぎで5分しか余裕がない。しかもバス会社を跨いでいる。

本数の少ない今回のバス路線同士が交わるポイント、チェルスンクロー。先に見せた乗り換え案内のサイトでは「可能な」ルートとして表示されている。自信ありげな様子だ。もちろん鵜呑みにする事は出来ない。

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とりあえず時刻表を確認する。"Korrespondanse med ferge til Melbu" とあるように、Fiskebøl フェリー埠頭のバス停では Melbu 行きフェリーとの接続が行なわれると明記してあるが、チェルスンクローにはない。ところで時間によって Vegvesenets 駅とチェルスンクローの間の運行時間が伸び縮みするのはなんだろう……。とにかく、ここでの接続があるかは曖昧なままだ。

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なんにせよその現地の様子を確かめてみるのがいいだろう。 Google map で streetview および photosphere を確認する。そこは小さなバスロータリーであることがわかった。 この photosphere では同時に2台のバスが見える。片方からは荷物を取り出した客がちょうど出てきており、そのうちの何人かはもう一方のバスの乗り口に集まっている。バス間の接続が強く示唆されている。あるいは単にタイミングと運がよかったのか。

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それから、代替手段の確認も大切になる。私たちの場合はまずここで乗り換えて北に向かい、そこで時間に余裕を持ってフェリーに乗り換えるのがメインプランだ。もしバスとバスとの接続が失敗した場合はそのまま乗りつづけて本土まで行き、そちらからトロムソまで移動することにした。

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さて、乗車すること2時間半、その運命のチェルスン大橋が見えてきた。

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宿からチェルスンクローまでの経路を示す。おおよそ140km 程度の線だが、じっさいにはさらに入り組んだ経路を通っているので走行距離はもうすこし長い。その上カーブや坂の連続だし、バス停では停車することを考えると、機材の優秀さが伺える。

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https://www.norgeskart.no/#!?project=norgeskart&layers=1002&zoom=9&lat=7585286.71&lon=524090.43

3. チェルスン大橋、そしてハシュタ (北緯68度29分〜北緯68度48分)

実はすでに運転手にはチェルスンクロー乗り換えの可否について尋ねていた。彼は「絶対大丈夫!」と請け負ってみせたが、すごく雑な感じだったので懸念は残っている。

下をフッティルーテンという巨大な豪華客船が通れるほど大きなこの橋を渡り、チェルスンクローのロータリーに入る。すでにトロムス県運行のバスが待っていた。

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予想よりも順調に段取りが進んでいくので意気揚々とバスに乗り込み、ガラガラの車内でのんびりくつろぐことにする。この区間はだいたい40分程度だ。もう一度橋をわたりなおし、いま西から来た島を今度は北に突っ切っていく。そこはヴェステローデンと呼ばれる地域だ。

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カベルヴォーグで買ってきたパン、おかし、レモン味の水などをのんびり食べつつ、次に乗り継ぐ高速船に備えて船酔いの薬を飲む。だいたい1〜2時間前には飲んでおくとよいらしい。

話は前後して先のバスになるが、明日の飛行機の特殊手荷物の申請を忘れずに行なっておいた。車内で WiFi が飛んでいたのをつかったはずだ。こっちのバスにはないので良かった。

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そうして順調にハシュタ (Harstad) に到着。高速船に乗り換えるのに時間があくが、あらかじめ高速船のりばの位置を確認しておくか。降りたバスにすぐ引き返し、休憩に入ろうとしている運転手に声をかける。「すみませーん!」

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めんどくさそうに窓を開けつつも、私たちの話を真摯に聞き終えた運転手はひとこと、「高速船ならキャンセルになったよ」。

「今日の新聞 (社内報?) に出てた。間違いない」とも。

えっと……その……どういうことでしょうか?やっぱり天気悪すぎる?

あまりのショックに疑うこともできず「そうなんですね」と納得しそうになったものの、ひと呼吸すると一気に頭がフル回転しはじめ、リカバリープランを立てるための情報をいっぺんに聞き出そうとして運転手を引き止める。まず最高のプライオリティがあるのは、今日中にトロムソにつくこと。これは必達だ。明日の昼にトロムソからロングイェールビン行きの飛行機に乗らねばならない。

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出ない高速船のことは諦め、本土を走るバスでトロムソに行ってしまおう。トロムソにいくならビャクヴィク (Bjerkvik) で乗り換えることになる。それには今ここまで来たバスにのって引き返すことになるのだが、そうしたところでビャクヴィクで乗り換えは可能だろうか。バス停にある時刻表は情報がなさすぎて難解だったが、運転手は気難しい顔をしながらなんどかそのパネルを確認し、おそらく可能だと言った。念のため電話してみると言い、携帯を取り出して彼の上司を呼び出す。

しばらくして、今日は土曜日なので接続がなく、いくならビャクヴィクで一泊していくほかないと告げた。

私たちは衝撃を受けた。「いやいや……困るけど」「でも残念だけど本当なんだ」「マジですか……」何度確認したところでその現実は変わらないと悟るまでやや時間があった。短く礼を言ってスキー板を引きずり、やりきれない思いで雪が積もったバスロータリーを横切って目の前の海を見つめた。ほかにできることはない。海には船が水平線の彼方にみえ、遠くの岸辺からは謎の水が噴射されている。

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インターネット回線と昼食を探そう。決心して荷物を持ち上げる。公共交通での移動が多いといっても乗り換えやら宿との間やらなにやらといった折にたびたび背負って歩いていたから、少し筋肉が痛み出す。困惑、疲労、それから今回の旅程に関しては私に任されて決めたところが大きかったから、その責任と……。なにより飛行機の問題がある。本命のスヴァールバル諸島は、はたして行けるのだろうか……。

街中をさまよい歩くと、とても小さい町なのがよくわかった。下調べでも知っていたことだが、住宅や港湾施設は充実しているものの、街中になにがあるというわけではない。荷物もあるし、あまり長距離を移動したくないことを考えると町の中心部、バスターミナルのあるあたりでさっさとすませた方が良い。

とはいえ、選択肢がそもそもそんなにない。まずターミナルの横のモールのようなところにいく。人は集まっていたが、なにかのイベントなのだろうか。土曜日なので店はほとんど閉まっている。そもそも外見よりもずっとこじんまりしていて、せいぜい雑貨や服を売っている店が数件ある程度だ。それから郵便局やカフェなどだろう。

ほかにめぼしい店はあるだろうか。本当は旅行らしいものをたべたいが、利便性が今は最優先だ。荷物を引きずって周囲を探索する。バスターミナルでいちばん近いピザ屋。ネット環境もある。今いく場所はおそらくここだろう。どうせ選択肢は多くはないのだ。たぶん。調べられないけど。

タコスサラダとピザを注文。

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…………デカい。アメリカンサイズ。

同行者はとつぜんの予定外のアクシデントに消耗している。私もネットがなくて情報にアクセスできない状態なので具体的なリカバリプランを組めておらず、なにか手を打ってはやくプランを示さなければという緊張が重圧となっておしかかってくる。ひとりでの旅であれば多少の理不尽は誰かを恨みはしても追い詰められることはない。そういえば、雑な友だちと無計画旅行に行ってなんでも失敗をネタにしつつ雑に回るということはしても、ちゃんとした人とちゃんと旅行をするというのは初めてかもしれない。苦手だ、こういうのは……。

険悪な雰囲気。巨大なピザをはさんで互いに無口になる。こうしているあいだにも取れる手段は減っていく。

ビャクヴィクで乗り換えられないなら、ハシュタ・ナルヴィク空港で乗り換えられないだろうか。だめだ、バスの便がなさすぎる。まったく飛行機と接続する気がないようだ。では朝は?朝はトロムソ行きの飛行機が1便もでていない。

いろいろ多くの手段を思いついて検証しては、それぞれ微妙にうまく行かないのを確認する作業。気をさらに滅入らせる。結局、1日旅程を遅らせるしかないようだ。幸いにスヴァールバルでの予約済みの予定には影響がない。

険悪な私たちをみて店主が心配してくれた。とても気の良さそうで、しかもシュッとしたおじさんだ。わりと本当においしいピザだったのに、ひどいムードで食べてごめんなさい。でもそういうこともあるんです……。デカいし。

4. もう一度チェルスン大橋、そして宿へ (北緯68度48分〜北緯68度25分)

険悪な雰囲気ではあるけれど、話し合いの必要は今こそ一番ある時で、店主へのバツの悪い気持ちが手伝ってお互い口を開く。気を取り直してナルヴィク (Narvik) に行く。そこで一泊して、トロムソにいく。飛行機は次の便を取る。そういうことにした。気を取り直すのにはまず買い物だ。

バスターミナルにはコンビニエンスストアのナルヴェセン (Narvesen) が併設されている。お菓子や雑誌、飲み物はあるけれど、それだけのこじんまりした店だ。少し歩いたところに Extra というスーパーがある。ここでは何か使えるものはないだろうか。手分けして探してみる。諦めて帰ろうとしたとき、みつけた。レジの近くにプリペイド SIM が売っているじゃんか!こんな田舎のスーパーでようやく見かけるなんて!

レジで会計を済ませて店を出ようとすると、出入り口のところに無地の不思議な自販機が置いてあった。不思議に見ていると、パンク系のお兄さんがちょうどそれを買って見せてくれた。 Amazon Echo dot のような、丸く平たい、深緑色のプラスチックのケース。スヌース (Snus; 口にいれるとタバコの汁が染み出してきてダウナーになるやつ。北欧で人気) だ。「いるかい?」「あー……やめときます。なんか健康にヤバそうなので」「いやいや、吸うよりはいいよ」「肺も怖いけど、顔や口はちょっと……」「ははは、そう?じゃあね!」

とにかく、ようやく旅に必要なものが出揃った。ここから再出発しよう。買ってバスターミナルの雪に当たらないところで開封。手持ちのスマートフォンに入れてセットアップすると、 SMS が出てくる。「始めるには登録が必要です。このメッセージに3時間以内に返信してください: 名前、名字、国民番号 (11桁)。例: MINA SKJELBRED 01129955131」

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国民番号?は?パスポート番号じゃだめ? SIM の入っていたカードに載っていたサポートに電話すると、つれない返事。平日にショップに来てくれれば外国人でもアクティベートできる、それまで待つほかない……それからその周辺にはショップはないから、云々……。

そうしてわれわれはバスに乗ってナルヴィクに向かった。

途中でチェルスン大橋を通って本土へ。チェルスンクローで乗り換える。ロフォーテン300番線が遅れて、みな無口に押し黙って待っている。長く感じられたけれど、たぶん普通の10分前後の遅れだったと思う。そのうちバスは来た。

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途中で日が暮れてきて、意気消沈している私たちをさらに追い詰める。先ほどまで情緒あふれる景色を形作っていた、ダイナミックな山、複雑な海、古い埠頭、そして民家。どれも今はとても陰気なものに映る。

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小さな岬に家が一軒。道も電柱もなく、ぽつりと佇んでいる。ロフォーテンよ、ヴェステローデンよ、さようなら。海よ、あなたは気まぐれで、私たちは陸に向かいます。

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まだ垣間見たばかりの北に開けた憧れの海は遠ざかり、なんもない空港、なんもない平地、なんもない森へと進んでいく。

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途中の道の脇にはただ未開拓の森が開けていて、海から離れた私たちを雪原と凍りついた木が取り囲む。バスは速度をあげてゆっくりと丘を登っては降りを小刻みに繰り返す。

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来るときは地形に圧倒されて食い入って見てしまう沈黙と、岩肌の巨大さが与える本能的な緊張感があったが、今は疲れによる沈黙と先行きの不確実さからくる緊張によって漫然と窓の外をみている。なだらかな丘の繰り返しに広がる、極度の寒さゆえの手つかずの森林。ロフォーテンは暖かい場所だという直感に反する知識はただしい。内陸にいけば緯度相応に寒くなっていく。

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でもこうしたダウナーな気持ちで眺めるこうした風景も実は印象的で、旅行からくる興奮をベースにした感受性ではけっして受け取れないこの土地の悲愴さ、たとえばサーミ人たちの母国であるこの土地のこの景色が彼らの土着の風景だったのにも関わらず、ここはノルウェーという国であり、そのノルウェーの風景として体験されているということ。あるいは、この景色がスウェーデン王のものであった時代に、彼らはいったいどういう暮らしをしていたのだろうか。いまだって、この物価の高い国でどういう暮らしぶりなのだろう。ヴァイキング時代は、あるいはナチス傀儡政権時代は……。そうしてひとつの集落が見えてくる。

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海があるところに民家がある。海、凍っていない海。旅を阻みつつも人を養う海だ。先ほど見つめていた海と違って南に開けた海である。

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砂州、島、集落。遠景には山を乗り越える雲がみえる。あの雲を持ち上げる力が海をゆらして波を作る。いままで何度船を欠航にしただろう。ここで育った子供は、どんな景色に憧れるのか。

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すこしずつコンクリート造の建物が見えてきた。これくらいの文明でも今はほっとする。

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と思えばまた斜面を登る。あっという間に小高い丘の中を通っていて、なにもない。ムーミンが冬眠の途中で起きてしまう回よりは太陽があるだけマシだが、ここだって太陽のない季節がある。そうなったらどれほど恐ろしいだろう。

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木さえ生えていないところはなにかなあ。川でも埋まっているのだろうか。夏限定の。

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バスが一気に丘を降ると、ようやく民家の明かりが見えてきた。これがビャクヴィクだ。ビャクヴィク泊まりにしなくてよかった。もしかしたらオーロラが見えたかもしれないけど、それに素敵なこじんまりとした港町だけど、今日ここで不安を抱えて寝て、またナルヴィク発のバスが来るのを待つというのよりは「大きな街」ナルヴィクにいく選択の方がよかったと思う。

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それからバスは海岸線沿いに進んでいく。その間に日は落ちて最後の橋に差し掛かる。

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ナルヴィクの光だ。たしかにこれは明るい街、大きな街。実はここはストックホルムからスウェーデン内を縦断してやってきた列車の終着点でもあり、それらの貨物が船に乗り換える始発点でもある。このことで大戦中には大きな被害を被った。人口1万4千人。ハシュタより人口は小さいが、交通においては利便性のある街のようだ。そう信じたい。

あしたのバスが運休になったらどうしよう。

ハシュタのピザ屋の WiFi で慌てて取った宿がある。距離で選んだら坂の上に登る羽目になった。荷物を背負って凍った道を歩くと滑る。スキー板は引きずって登る。そうしてどうにか宿に滑り込んだ。

ようやくへろへろりと宿にたどり着いてチェックインしている時、なにか私が不注意だったのを見た同行者が「オイオイ」と言うと、宿のフロントの人々が笑った。ノルウェー語でも「オイオイ」は (だいたい) 同じ意味だから。

ハシュタからナルヴィクまでの線はだいたいこのようになっている。内陸をたびたび通ることや、ハシュタやナルヴィクから遠い場所にハシュタ・ナルヴィク空港があることなどが読み取れる。それから、遠くに見えた凍える山も。

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参考地図: https://www.google.co.jp/maps/@64.9797584,17.0496838,5.8z

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5. 次回予告

進んだのか戻ったのかはよくわからないが、とにかくナルヴィクに着いた私たち。あとはバス一本でトロムソに行けるはずです。ハシュタで一泊して高速船を待ってもよかったかもしれないが、とにかく確実なのはバスだという職員のアドバイスに従ってきたのだから。

トロムソはスカンジナビア北部で最大の都市。ここの飛行場からスヴァールバル諸島のロングイェールビンまで定期便が出ています。ここより奥、スカンジナビアの最北やフィンランドとの国境地帯に行ってみたいとは思うものの、スヴァールバル諸島に向かう以上はここでノルウェー本土に別れを告げます。いざ総督府と石炭会社の治める北の島へ。






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