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『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』Alison Matthews David

著/Alison Matthews David、訳/安部恵子『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』化学同人、2019年

星の数ほどあるファッションについて書かれた本のなかでも異形を放つ一冊。街角スナップとか有名人の鞄の中にまるで興味のない私にとって、実際、ここ最近読んだ服飾関係の本のなかでもっともおもしろかった。おもしろくて、息をのむ。華やかで、邪悪な、服飾の死の歴史を記した本。
 
まず目に飛びこんでくるのは骸骨の半身、それから洒落た服を着た半身の男女の人形写真。1805年~10年頃の作品で、蝋と布で作られている。人の命もファッションもどちらも脆くてはかないことを暗示しているのだろう。
 
ファッションは人の心すら変えてしまうのだから、ファッションが人の体を変形させても不思議はない。19世紀初頭はファッショナブルな衣類が人間の自然な身体のシルエットを機械的なものへと変貌させた時代だった。
 
健康よりも身なりを大切にする「優雅な生活を誇る人」は、女性なら張り骨入りのコルセットで体をきつく紐で締め、よろめくほどの高いヒール靴を履き、男性は重いフエルト帽に汗だくになりながら、固く糊のきいた襟の服と同じほど固い靴で歩いた。そうして彼らが流行に注いだ欲望が、やがて自らの命を奪ったのだ。
 
たとえば1800年代初期から1905年頃に流行していた裾を引きずるスカートは、女性が町を裾で「掃いて歩く」せいで出歩くたびに病気を家に持ちこんだ(犬や馬の排泄物やその他の汚物で街路は不衛生きわまりなかった)。鉛入りのフェイスパウダー、ヒ素を用いて着色した鮮やかなドレス、水銀を含んだ帽子(フエルト帽に使う動物の毛を加工する際に水銀が使われた)のために、服を作る労働者たちも水銀中毒になった。そういう意味では、服を作る人も着る人も等しくファッションの犠牲者だったといえる。
 
この本から学ぶことはかなりある。
1850年代以前の靴は右足と左足の区別のないまっすぐなものが普通だった、ということもこの本を読んで初めて知った(楽をしたのは靴職人だけだった)。

舞台はフランスやイギリス、北米の19世紀と20世紀前半だけれど、けっして過去の話ではない。清潔へのこだわりが新たな汚染問題を生み出していることや子ども用の衣服についている紐やボタンが遊具に絡まって死亡事故が起きた事件とか、私たちは誰しもいつだってファッションの犠牲者と加害者になりかねないのだから。
 


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