バブリーなハチ、ツンデレなハチ

私と発達障害。その1
●バブリーなバチ、ツンデレなハチ

『はじめて学ぶパーソナリティー心理学』(小塩真司 著ミネルヴァ書房)という本の、個性(性格)について説明する文章の中で大変興味深い記事を見つけた。私なりに要約すると以下のような内容だ。

ミツハチは餌場を見つけると、尻振りダンスを踊り、その位置やエサの量などの情報を仲間に伝えるのだが、その尻の振り方は、同じ女王バチから生まれた集団の中でも個体差が出るそうだ。
少しのエサで「これでもかっ」ってぐらいに激烈に尻を振るバブリーなハチもいれば、大量のエサに対して少ししか振らないツンデレバチもいる。
ただ、そういう極端なやつは全体のごくわずかで、ほとんどのハチはその両極端に中程度に振っている。ここでマジョリティーとマイノリティーの構造が出来上がり。(これをグラフ化するとベル・カーブと呼ばれる釣り鐘型になる)

だが、両端にいるバブリーやツンデレの存在が混乱を招いたり阻害されているのかというと、重宝され、コミュニティーとしては上手く機能しているのだという。
そして、人間の個性(身長やパーソナリティ)というのも、身長や体重、性格や知能の分布も同じような「中間層が多い」構造になっているという内容だった。(※注)

これは、発達障害といった特性にも当てはまるだろう。
たとえば、発達障害はバブリーバチであったなら、ギフテッドと呼ばれる高知能すぎる人たちはツンデレバチかもしれない。それは、あくまで機能の違い(あるいは度合)である。
数でいえば圧倒的少数だが、そこに一切の優劣はない。
お互いに持ち味を生かしながら尻を振っておけば、問題はないのだ。

ところが、人間におき変わると、ハチのコミュニティーでは生じなかった問題が生じてくる。
大多数が、少数派を阻害したり、迷惑がったりすることで、少数派が「生きづらさ」を感じてしまう問題だ。
(実はIQが高過ぎる人たちも、社会に適応できない人は多い)

ここで注意したいのは、多数派に過度な悪意があるために問題があるというわけではないということ。
(一部のマイノリティは、自分たちを擁護するあまり必要以上に多数派に攻撃的姿勢を取りたがる)
多数派が少数派をいじめる素因を持っていたり、少数派が被攻撃的で愛情深い性質を持つわけでもない。
マジョリティー自体が悪ではないのだ。
では、問題はどこにあるのだろうか。

問題は、不可抗力的に数の論理が働いてしまう社会の枠組みにある。
続きは次回。


※注 多少ミスリードがあるかもしれない、ぜひ小塩真司さんの著書を読んでいただきたい。

(ミツバチの生態に関しては、ジェイコブソンさんの著書『なぜハチは大量死したのか』を参照)

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