障『害』者という言葉の是非論
発達障害当事者でありながら、就労支援の仕事をしているいおりです。
なんか、障害者は「害じゃない」から「がい」にするとか、
障害じゃなく個性だとか、身障者は差別用語だとか、
「便宜上…者に統一して表記しています」という注釈を入れたりとか、
そういう言葉上の問題って、自分の中ではあまり重要視してない。
そういうことで、文句をつける人に対しては
「結局のそれって、あなたの信条でしょ」って思う。
私は、自分の信条を大切にするけど、
それは人に押し付けるものではないと思っている。
(「…という信条さえも押し付けるものではない」という信条をもっている)
一部の悪意あるヘイトは論外として、
障害者をオール漢字で表記しようと、ひらがなにしようと、略そうと、
それが失礼や侮蔑にあたるかどうかは、文脈や場面によりけりだと思う。
そして、私は、
このブログでは『障害者』と統一しているつもりだ。
あえて言い換えたりする必要がない。
そして、私はこの『障害』と言う言葉を、
『福祉』、『診断名』という文脈でしか使っていない。
つまり、倫理とか、道徳とか、社会通念での「害」とか、
劣等生や優生学的見地、宗教的な穢れという概念では扱っていない。
福祉制度で扱われる対象になっていれば障害者だし、
医師から発達障害という診断が下されれば、これも障害者だ。
人間的に劣等であるというニュアンスは微塵もない。
同時に、大切にすべきなのは、
『障がい者』とあえて一手間かけて書き換えている方が大切にされている信条を、軽んじるべきではないと言うこと。
ホームページや書籍、全ての害という漢字を「がい」と書き換えるのは、
本当に大変な作業だと思う。尊敬に値する。
そういうことをされている企業や団体に、
メールを出すときに、相手のルールに合わせて「がい」と書き換えるのは、
礼節を弁えるという意味でも大切なこと。
(特に、履歴書送る場面なんかだと気をつけたいね)
自分が自分の信条を大切にするように、
他の人の信条を大切にしよう。
月並みなことばだけどね。
ちなみに、最後に私の信条を述べると、
障害があろうとなかろうと、みんな特別に尊い存在です。
月並みなことばだけどね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?