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13. まだあった、予期せぬ貸切体験、京都高台寺の夜咄茶会、和蠟燭の灯り

以前のnote(3. 思いがけない貸切体験 - 宿、そして映画館)で、予期せず、宿や映画館が貸切になった体験を書いたけれど、もうひとつあったのを思い出した。
これは、予期せずというか、わたしが“やらかした”話だけど。

京都高台寺の夜咄茶会
京都高台寺には、夜咄茶会という、冬の時季、1月2月にだけ 茶室「湖月庵」で、ゆらめく和蠟燭の灯だけで催される、幻想的な夜の茶会がある。夏の朝茶と対照的な冬の夜会。夜咄とは、冬の夜は長いので、その時間を楽しく過ごしましょうということで、薄茶席・案内付拝観・点心(軽い食事)付で約3時間、7000円(2021年2月現在)。
以前これに参加した時の話。
湖月庵集合、お茶とお食事どちらが先かその時の状況次第、と予約の時に言われていた。指定された5時半に行ってから、茶席のお隣の待合へ。最終的に集まった18名が、ここで待つことに。前のお席がなかなか終わらないということで、住職さんが出ていらして、禅の話を少しされたりして待つうちに、少し気になることがあり、待合の部屋の外の廊下に置いた荷物のところへ。と、人が大勢出てきて「みなさん、ここへは戻りませんのでお荷物をもって外へ」との声。あわてて外へ出ると、若いイケメンのガイドさんとそのまま拝観へ。拝観後、階段を下りて道をはさんだ向かい側の「羽柴」へ食事へ。。。と、ここで、そういえば拝観に行くときに「もうここへは戻らない」ってガイドさんが言っていたけど、もうこの階段上がらないのかな、お茶席はどこだろうとふと思い、
私)(高台寺を指して)食事の後、もう一度あちらへ戻るんですか?
イケメン)(怪訝そうに)いえ、もう戻りません
私)(羽柴をさして)それではお茶もこちらで?
イケメン)(驚いて)え、もうお茶は終わりましたよね
私)いえ、私はまだなんですが
周囲の人)えっ、それは大変

その瞬間、突然、気が付いた。拝観でご一緒した方々は、待合で一緒にいた人たちと全く違う。なんでそれまで気が付かなかったかなあ。ひまだから、待合で、周囲の人を人間観察しまくっていたのに。そういえば、その時いた、わかりやすい人々、、、金髪の女性も、小学生の子供も、若いカップルもいない。
大慌てのガイドさんに連れられて高台寺「湖月庵」へ戻ったけど、参加するはずだったお席もすでに終わってご一緒するはずだったみなさんは、拝観中。
廊下にいるときに、ようやくお茶席が終わって出てきた前のお席の人と一緒に外へでてしまい、そのまま混ざってしまった。ガイドさんは人数確認していたけれど、ちょうど私をいれて伝えられていた11名だったので、気が付かなかったらしい。撮影のカメラマンが同行するはずが、キャンセルになっていたのが伝わっていなかったらしい。何はともあれ、どう考えても私がとろすぎる。本当にすみませんでした、私のミスなのでお気になさらず、と言ったのだけど、高台寺さんは高台寺さんで、こちらが気が付かず申し訳ないと丁寧に謝ってくださった挙句、私一人のために一席設けてくださることに。

薄茶を二服。お軸は「松千年翠」の墨跡(暗がりのなかでも見えるように、太くくっきりした書が選ばれるとのこと)、主茶碗は富士が映える赤樂茶碗
ゆらめく和蠟燭の灯のたった一人のお茶席は、まさに幻想的。

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和蝋燭の灯り
和蝋燭の炎は、風もないのに、時折ゆらぐ。
和蝋燭は、和紙を棒に巻きつけ、い草から採れる燈芯を一本一本丁寧に巻いて作られるため、芯の中は空洞で、火をつけると、そこに空気が流れることによって、炎が揺れ動き、 消えにくいともいう。この瞬くような蝋燭のゆらぎは、見ていると本当に引き込まれる。

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「1/fゆらぎ」(エフぶんのいちゆらぎ)
この見るものを魅了する、ろうそくのゆらぎは、「1/fゆらぎ」のひとつだという。
「1/fゆらぎ」とは、パワー(スペクトル密度)が周波数 f に反比例するゆらぎのこと・・・となんだかよくわからないが、自然界にさまざまな形で存在するゆらぎー星の瞬き、打ち寄せる波の音、小川のせせらぎ、そよ風、ちらちらする木漏れ日、蛍の光…並べるだけで「1/fゆらぎ」が好きになる。人の心拍の間隔、目の動き方、リラックスすると出る脳のα波も1/fゆらぎ。癒されないはずがない。電車の揺れもらしい、だから乗り物に揺られていると眠くなるのか?!
パワーが周波数に反比例するノイズは、同じ周波数成分を持つ光がピンクに見えることから「ピンクノイズ」なんてかわいらしい名前がついているけど、つまり、「1/fゆらぎ」を持つノイズで、「1/fノイズ」とも呼ばれるそうだ。

そんな癒しの灯の下で、たった一人の「お客」となった高台寺のお茶席。
高台寺さんには、本当に申し訳なかったけれど、静かな至福の時間だった。

和蝋燭は、炎が消えにくく、和紙でできた芯は、溶けた蝋を芯が吸い上げながら燃えて、蝋が垂れるのを防いで最後まできれいに燃え尽きるので、においも汚れも気にならない、
ススは出るけれど、植物性なので、洋蝋燭(パラフィン)のような付着性がなくサラサラしていて、お寺などで使われても、金箔や仏像を傷めない、また、ススが虫食い予防になるという説もあって、国宝級の仏像などにもよいとか。
炎のゆらぎを「仏様が喜んでいらっしゃる」ともいう。

昔から愛用されてきた、日本のすばらしい伝統、その灯がずっと絶えませんように。

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