見出し画像

部屋の広さと時間のゆとり

今から書くことはとてもあたりまえな事です。笑
自分がいる空間に隙間、ゆとりがあるとこころにも余裕が生まれる。
部屋がぐちゃぐちゃだと、なんだか心が殺伐としたり目の前に広がる荒々しい世界から逃れようと心が現実逃避したりしてやらなきゃいけないことから目を逸らしたりする。(これ結構正解な表現な気がする)

みなさんお部屋掃除、お片付けは好きですか?または得意ですか?
苦手だけどちゃんとやることやっているという方も中にはいるのかな。
私は得意だと思っていたけどそれは管理するものが少なかった時の話でした。※最近「こう思っていたけど実は私~でした」みたいな気付きが多いので纏めています。※

2022年、いろいろ心が落ち着かない状態になることが多々あり紆余曲折ある中で物を買う機会が増え、気づいたら物を買いこむ溜めこむのループができていて、何が要らないのか判断できなくなっていました。ものにあふれると、そのモノが目に入ったときに「あれしなきゃだ」「あっそれ読みたいな」「そこにこんな棚があれば片付くのに」と、モノと連動して思考回路が複数のフローチャートみたいに組み込まれていく。あえて目に見える必要がなくても視界に入ることで勝手に心と頭が疲れていく。そんな空間を生み出してしまいました。

だから自分の部屋に居たくなくてカフェに逃げ込みその空間と時間をお金で買い続けた結果「カフェに行かねばいけない」というタスク感覚に陥り完全に自分の家と向き合う時間を削っていました。散財とセットで。

もともと意図的にカフェにいっている部分があったかもしれない。カフェにいく理由は部屋がきれい狭いとか云々以前に自分の現実世界で起こる様々な出来事から切り離して、考えなきゃいけない事やらなきゃいけないことと向き合うためだった。他にも同じように本を読んだりPCで作業したり、勉強している人がいると自分も頑張ろうとパワーをもらえたりすることもよかった。雰囲気に酔うってあるかもしれないけどそれも一種の麻薬としてよかったと思ってる。
そこに甘んじてしまったのよね。時間も部屋も管理できず何かから逃げてカフェへたどり着いた感覚をもってしまっている今、私がしなければいけないことはただ一つ。
部屋に空間を生み出すこと。

実家のゆとりと時間の流れ

私の実家は田舎にある。比較対象がないから表現しにくいけど豪邸ではないがやや大きい。田舎は土地があるからもっととてつもなく長い廊下をもつ家や広い座敷がある家も多いけど、そこまでではない。
この冬実家に帰ってきて、みんな仕事に出ているから一人で日中過ごしていて思ったのは「物はややああるけど、片付ける場所に片づけられていて、そこそこ空間に隙間があるとやりたいことに集中できるな~」ってことだった。
そして田舎特有かもしれないけどとても不思議なことに1日が長い。
出かけるところも少ないし、「カフェにいかなきゃ」なんて思わず家の中でお茶入れてお菓子食べながらPC広げて書きたいことかけている。出かけようと思うと隣町まで車走らせていかないといけない。
それを不便と感じるのかどうなのかは人それぞれだけど、わたしにはこのくらいモノとの距離が離れている方がしっかり呼吸している感覚を持てる。
ああまだお昼の12時前だなんて信じれない。

もしかしたら今私が管理しなきゃいけないモノは、必要最低限のキャリーバックに詰まるくらいの量だけでたりるのかもしれない。今回もものを厳選して帰省したけどなんとかなりそう。
一人暮らしの部屋に戻ったら「ああキャリーバッグ一つで暮らしたい…ここにあるもの全部捨てたい」って思うんだろうな…。

部屋に戻ったらいよいよ要らないモノと決別のお別れをして2023年は過ごしていきたいとここに誓います。
あっちなみに、部屋を出るときはしっかり捨てるべきごみは捨てて、食材を買えば料理はすぐに取り掛かれる衛生面は保ってきました。

みなさん区間づくりや一日のゆとりある過ごし方で意識していること、無意識にできていること、どんなことがありますか?
是非2023年を迎えるにあたって整理してみてください。アドバイスもおまちしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?