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アロンはなぜ「いた」のか
アロンは、かの有名な「海を割ったモーセ」のお兄さんだ。エジプト脱出やカナンへの旅路で、モーセの良き協力者だった(時々そうではないこともあったが)。
実は聖書の中でアロンは非常に重要な人物で、イスラエルの初代大祭司である。その後の大祭司は、このアロン直系の男子でなければならなかったのだ。
モーセは、イスラエルの民が増えるのを恐れたエジプト王が出した「男児が生まれたら殺せ」という命令にも関わらず、ナイルから拾われ、生きながらえた。これは出エジプト記2章に書いてある。
あるとき、そこを読んでいて、ふと疑問を抱いた。
「モーセは難を逃れたが、ではなぜアロンはそのとき生きていたのか?」
モーセは生後3か月間、外部から隠して育てられ、あげくナイルの葦の茂みに置かれたというのに、その兄であるアロンは、そのときどうしていたのか。聖書でアロンが初めて出てくるのは、モーセが主なる神に召されるときだ。しかも神はそのとき、召しに応じようとしないモーセに怒っている。
すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。」(出エジプト記4章14節)
でもアロンがそれまでどこでどうしていたのかはまったく書いていない。モーセが生まれたときには存在していたはずの兄アロンは、いったいなぜ殺されずに生きていたのか。
何人かの方からいただいたコメントも参考にして、可能性を考えてみた。
◎仮説A「アロンは、王の命令が出る前に生まれた」
これなら生きていても当然。
◎仮説B「アロンは、助産婦が生かした男児の一人であった」
王の最初の命令は助産婦たちに対して出された(出1:15)。
しかし助産婦は王の命に背いて男児を生かしておいた(1:17)。
アロンはその生かされた一人だったのかも知れない。
しかしこれを知った王が命令を全イスラエルに拡大した(1:22)ので、モーセのときにはもはやそういうことが不可能になっていたのかも知れない。
しかし、これらの仮説には無理があると思う。
なぜなら、20節にこうあるからだ。
「そのため、この民は増えて非常に強くなった」(1:20)
つまり王の命令は、「民が増えた」といえるくらいの期間は続いていた。
これを時系列にすると次のようになる。
1.王が助産婦に命じた(1:15)
2.助産婦が男児を生かした(1:17)
3.しかし民は増えて強くなった(1:20)
4.王が命令を全イスラエルに拡大した(1:22)
5.モーセが生まれた(2:2)
ここで注目すべきは、モーセが80歳のときアロンは83歳、つまり歳の差はわずか3歳ということだ(7:7)。
アロンが生まれたのは仮説Aでは1の前、仮説Bでは2の時点となるが、どちらの場合も、3をある程度の期間と考えると歳の差と合わなくなる。
そこで、アロンの出生を4と5の間とするなら、別の可能性を考える必要がある。
◎仮説C「アロンは、王に見つからずに隠れて生み育てられた」
すなわちモーセと同じような境遇で生まれたが、人目を盗んで、あるいは近所の人たちの協力で3歳まで無事に育ったのかも知れない。
しかし4のような状況では、あまり現実味がないように思われる。
それにもし近所の協力があったのなら、なぜモーセをナイル川に捨てなければならなかったのか。
これではアロンは説明できても、肝心のモーセのほうがわからなくなる。
本末転倒だ。
そこでまったく別の仮説を立ててみる。
◎仮説D「アロンは、殺害命令の対象外であった」
アロンは殺される対象ではなかったと仮定してみる。これは、なぜ王は殺害を男児、しかも出産時に限定したのかと一緒に考えると、ある程度想像がつく。
イスラエルが増えるのを恐れたのなら、将来子を産む女児も対象にすればよかったはずである。また、男子を恐れたのなら、ヘロデのように、出産時に限らず対象にすればよかったはずである。しかし聖書は、王の命令は明示的に「男児」「出産時」としている。これはどういうことだろうか。
これは、「奴隷の労働力は維持する必要があった」と考えるとスッキリする。
男児皆殺しにしてしまっては、将来の労働力が減ってしまう。
もちろん、女児を皆殺しにしたら、労働力となる男児も生まれない。
すなわち、王の命令は皆殺しではなく、「間引き」令だったのではないか。
男児の一人っ子政策。
長男は良いが、次男以降はだめ。
これなら人口を増やさず、労働力も維持できる。
というわけで、これがもっとも確からしい、と私は考える。
ここまではある程度理論的に考察したつもりだが、以下はこれが正しいとしての完全なる妄想。
エジプト王は、イスラエルの長男のみ残し、次男以降は殺すように命じた。それは長男は自分の労働力、それ以外は不要という利己的な人口制御だった。しかし神は出13:2で、「イスラエルの長子はみなわたしのものである」と言っている。イスラエルの長子は神のものなのに、エジプト王はそれを我がものとしようとした。これが、十番目の災いでエジプトの長子の命が奪われた背景だったのではないか。エジプトの長子は、奴隷となったイスラエルの長子の代償だった。そう考えれば、エジプトが長子を奪われたのは自身から出たことで、イスラエルの神による一方的な厄災ではなかったということになる。
神は絶対的な方だが、公義と公正の方でもある。レビ人が神に仕える者とされたのは、イスラエルの全長子の代わりであったこと、また70年の捕囚期間が、守られなかった安息年の代わりに土地を休ませた期間であったことなども考え併せれば、エジプトの長子の命が、奴隷となったイスラエルの長子の代わりであったことも、あながちあり得なくもない、と思う。
(2022-02-03)