ランニングすることで人生で起きる苦痛を引き受ける覚悟が出てきた

身体的・精神的苦痛を和らげるには脳内物質のエンドルフィンを出すことが重要であり、その方法としてランニングが効果的であると昨日知りました。

そこで、早速、仕事が終わった後に30分のランニングをしました。

ランニングの記録は、Apple Watchで測定しました。

結果の画像はこちらです。

結果1

30分で4.26 kmを走ったので、時速8.52 kmくらいとわかります。

消費カロリーが233 kcalで、どら焼き一個分くらいのカロリーらしいです。

上昇した高度が65 mだったのは、山を駆け登ったからでした。

ペースと心拍は以下の結果でした。

結果2

ケイデンスとは、1分あたりの歩数です。平均ケイデンスが151なので、1秒に2.5歩くらいのペースとわかります。

平均心拍数は149拍/分でした。最大心拍数に個人差があり、その70~80 %で十分のようです。

走りながらランナーズハイを感じました。走り始めてから10分くらいまではかなり辛かったのですが、10分を過ぎたあたりから全く疲れを感じない心になりました。走っている感覚がない軽快さでしたが、靴紐が解けて直すのにしゃがんだら、かなり息を切らしていたことに気付くといった感じでした。

すごく久々に走った割には、記事で見たハイを経験できて面白かったです。

ランナーズハイは、エンドルフィンではなく、エンドカンナビノイドという物質の影響ではないかという説もあるようです。

走りながら、下手なゲームをするより、走る方がよっぽど楽しいなといった感情になりました。

ランナーズハイは、依存性もあるようです。ランニングに依存する気持ちも非常によくわかりました。ゲーム依存とかに比べれば健康的なのでそこまで心配しなくても良い気はしますが。。。

走り始めたばかりでは、ショーペンハウアーの悲観的な哲学の言葉が脳内をこだましていました。

生きんとする意志の最も完全な現象は、人間の有機体というかくも絶妙なまでに精巧で複雑な装置のうちに現れているのであるが、これもまた塵埃となって壊滅せねばならぬものであるということ、したがってまたこの現象の全存在と一切の努力とは結局は眼のあたり無に帰せしめられることになるものであるということ、ー要するに、生きんとするこの意志の一切の努力は本質的に虚無的なものであるということ、これがいかなるときにも真実で率直な大自然の素朴な告白である。

ショウペンハウエル、斎藤訳、自殺について、岩波文庫、p.41

一切の努力は虚無という説…

思うに、人生とは一種のデセンガニョdesengano(スペイン語、幻滅の意)、即ち幻想の滅却である、というのが人生に関する最適切な解釈であろう。明らかに見られるように、一切はこの幻滅を目指しているのである。

同上、p.42

人生の終着点は幻滅という説…

未だかつて、現在のなかで、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった、ーもしそんなのがいたとしたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。

同上、p.45

幸福な人間はいないという説…

普通に生きているだけなのに、私はこうした暗い言葉が頭の中で繰り返してしまうのですが、ランナーズハイのときは、もはやどうでも良くなってきていました。

そして、どんな人生を歩んだところで、多かれ少なかれ苦痛は避けられないのならば、むしろ苦痛を引き受ける覚悟が湧き上がってきたと同時に、その苦痛を和らげる脳内物質を出して主観的にでも楽になる人生と、出さないで主観的に苦しい人生なら、自分は前者を選び、ランニングでだましだましで生きていこうというやる気が出てきました。

やはり実践しないと効果を実感できないので、苦痛は避けられないと悟り、その上で苦痛を和らげたいと思ったら、まずは適度な時間と速度で走るのをおすすめします。

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