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眠れないので、ダイエットの経過についてメモです

ここ数日間は毎晩20-23時には眠っていて、深夜に起きることがあっても二度寝して8-9時に起き上がるというのが習慣になっていました。
でも久しぶりに勉強に熱中したせいか、ソロ晩酌したせいか分かりませんが、眠れない。
最近のことを書きます。

食事についてですが、いつもミールリプレイスメントを飲むか、プロテインを飲んだり、プロテインに一手間加えたものを食べていました。
たまにオートミールを食べました。
ショパンもオートミールについて、馬の餌を食っているみたいだと言っていました。
一時期食に関心が無くなっていた(そうなるように努めていた)ので、一日一食だったり、その内容もプロテインシェイクだったりオーツケーキ(スコットランドの料理で、オートミールをお湯に浸してオーブンで焼いたもの)とか、簡単なものばかりでした。
こうしていたら、運動ほぼなしで短期間で体重が2キロ落ちました。

これが可能だった理由については、YouTubeが影響していて、私はYouTube漬けの生活を送っていたのですが、YouTubeを開くとかならず料理動画が目につくので、それを徹底的に排除して、YouTubeは音楽を聴く専用としたことだと思っています。
その頃はYouTubeに費やした時間の大半を読書や勉強に当てていました。
気付いたら丸一日何も食べていなかったという日もありました。そんなこと私には前代未聞でしたが、自分で「人間は一日くらい何も食べなくたって生きている」ことを証明しました。代わりに歩き方が不安定というか、足取りがふらふらするようになりました。

今は緩めているので、情報収集のついでに料理動画も見ます。お陰でリバウンドしましたが…。

無闇に食べ物を食べることをやめました。
でも、ラーメンを食べたいと思うことがあります。たこ焼きが食べたいし、餃子が食べたい。
そもそも自分は何のためにダイエットしてるんか?そんなことを考え始めます。
何のために食事をしているのか誤解していました。

食事は快楽を得る手段にしてはならないと気付きました。
チョコレートは美味しい。マシュマロも美味しい。ラーメンも、たこ焼きも、ピザも美味しい。牛丼食べたい…。
でも、何のために美味しいものを食べるの?と思い始めました。
快楽の奴隷になってる気がしてきたのでした。

確かに、私は快楽を大切にしています。行為の動機には快楽を見いだしています。
でもミルは「満足した豚よりも不満足な人間である方がよい。満足した愚者よりも不満足なソクラテスの方がよい」と言いました。
快楽には質があります。
私は快楽について、まだ答えに到達してはいませんし、功利主義者なのかしら、おそらく快楽主義者だろうということ以外、自分が何者か分かっていない段階でありますが、今のところ、禁欲を美徳とは思っていません。もちろん、少しだけ禁欲主義のことも理解しているつもりです。信仰上の理由とか色々あると思います。

このように、快楽に抗うような「食事制限」は私の考え方に反しますが、
食欲というのは基本的な欲求であり、痩せたいという欲求より個人的に食欲への関心が低いものである限りは、その食欲の誘惑は大した問題にはならないのでした。

食欲は、生命維持のためのものだと考え、味についての過剰な期待をしません。食事で得た快楽は、すぐに忘却するのが普通です。
私は食事のために空腹を生み出そうとして生活しているわけじゃなくて、生活のために已む無く食事をするという風に思い込みます。
そうすれば、敢えて美味しくて不健康な食事を選択する理由が理解できなくなるのでした。

完全食に興味がありますが、今のところはそこまでいっていません。手軽に買えればいいのですが。

いくら、美味しさを知るために食事するわけではないと分かっていても、
確かに、美味しさは確保されるべき項目です。
食事が苦行になっては困るからです。

私の考え方では、野菜を食べなきゃと言ってサラダを注文し、キュウリやレタスを食べる人ではなく、野菜を食べる目的が栄養の摂取なのだったら、最も栄養がないと言われているキュウリやレタスを食べることは、野菜を食べるという言葉の真の目的である栄養の摂取に追い付いていませんので、無意味近いと言えます。

野菜なんて、みな、美味しいから食べるのです。
でも、ここまで来ると身体の調子がおかしいので、どうせ腹を満たすための食事なら、同時に栄養の摂取をしたらええやんと思うのでした。
そこで、セロリを買いました。
しかし、セロリを食べるからと言って、他に身体に悪い食べ物を摂取することが及ぼす悪影響の帳消しにはなりません。でも罪悪感は帳消しにできます。

セロリは茎にマヨネーズをかけて食べて、葉っぱの部分はコンソメスープにしたら美味しく、苦痛にならずに食べることが出来ます。

あんまり美味しく作りすぎると、食べ過ぎの原因になります。
誘惑に対抗する方法は一つしかありません。誘惑に負けてしまうことだけなのです。
だから、罪悪へ導く誘惑は少ないに越したことはないでしょう。

普通に美味しいのレベルを越えて旨すぎる!食べ物については自制心が効かなくなります。毎日そんな食べ物を食べることが簡単にできる時代です。
その快楽よりも、健康や体系の維持の方が私にとっては快楽であれば、耐えられますが。
もしロシア料理があったら、私は体重の増加と引き換えに、その美味しさから得られる快楽を取ってしまうでしょう。
でもロシア料理も、バターたっぷりのクッキーもここにはありません。

ラーメン程度なら我慢の範疇にすらありません。隣で食べられていても平気です。

ここまで書いて、何書こうとしていたか分からなくなりました。

とにかく、私の痩せたい気持ちというよりも、不健康を排除したい欲の強さが私の体重を減らしました。

これはいいことだと思います。
セロリだけで完全な栄養が摂取できるなら、迷わずセロリを毎日食べるでしょう。
でもセロリだけじゃよくありません。
ほうれん草とか、お肉とか、魚とか、お米も食べなきゃです。

これだから食事って難しい。
日本人は和食がいいとか言いますが、そんな何品も考えられませんし、今は一汁一菜とかそれすら無理です。セロリ齧るだけとか、シェイク飲むだけとか、一つのもので終わらせたいと思いながらやってます。お皿を洗うのも時間の無駄というか、タスクに追われるのが嫌すぎて、カットしてまな板のまま食べたりします。一人だからいいんです。皿に載せても載せなくても味も栄養も変わらないでしょう。

私は栄養学には全く興味がなく、(食事なんかのためにこれ以上時間を裂きたくないというプライドもあり最近は食事のための勉強をしていませんので)知識もありません。だから本能的に食事をします。
今まで色々苦しみました。腹を壊したり、不味いものを無理やり食べたりしました。太ったり痩せたりしました。今も体重はあんていせず、半年間で8キロの範囲内で増減をしています。

でもいつか自分なりの食事法の答えが見つかると信じて色々実践を繰り返していこうと思います。

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