この投稿から3年ほど経ち、また読んだ。
なにか違うことに気付けるかなと思ったんだけど何度読んでも同じところで泣くんだな、この本は。
そして同じセンテンスで感銘を受ける。
同じ人間が3年で心まで変わるわけがなかった。
村岡は小説家を志す主人公で、野々村は主人公の尊敬する小説家で友人。夏子は野々村の妹。村岡と夏子は将来を誓う関係。
人生の無常さを痛感する。
遠距離で手紙で愛のやり取りをしていた中で
もうすぐ帰国、愛する夏子に会えるというタイミングで
電報を受け取り、そのカタカナの羅列で夏子の死を理解した瞬間に。
美しくなくて醜い者だ。
貴いものを羨む。私なんかダメだわ。
もうすっかりブルーです。
最近、私なんかって感じ。
元々仲の良かった歳の近い会社の後輩が、同じ部署になることになって、仕事出来るようにしてあげたい気持ちと、私の居場所なくなったら…っていう気持ちが天使と悪魔のように苦しめる。
しかも彼女の性格を私が許せない。
媚売って人前だといい子なのに、私の前だと愚痴ばっかりで、文句言うくせにいい子のフリして何も改善しようとしないんだから。
助けてあげようとか思えないときもある。
やたら自己肯定感低いけど本心なのか分からんし。
きっと私のことも見下してるんだろうと勘ぐる自分もいて本当に不愉快だ。
上司にも彼女にも、私が彼女にとって良いお姉さんであることを求められる。私は我儘だし借金もあるし散財癖もあるし友達もいないし貧乏くさいしパートナーもいない。他人なんかどうだって良い、自分さえ良ければ。そういう人間なんだ。人間として…とても尊敬に値しない。
ただ、他人と比較してなんとか自尊心を保つ。
派遣のおばさんより賢いとかあの女よりかわいいとかあいつより若いとか、そんなわけないことで。
そんな私を殺したのは。
醜い人間はなぜ美しいものに嫉妬するのだろう。
この世から貴いものが全部無くなってしまえば良いとさえ思う。
こんな私でもなんとか生きてます。
ありがとう。ありがとう🫂
嗚呼美しく生きたい。
山は高きをもって貴からず…
高い山は低い山を見れば低く思うのはやむを得ない
これは本当に言い得ていると思う、村岡は出たら目と言ったが。
自信のないものが勝手に僻んでいるんだ。
自信があるものが羨ましくて、自信があるものは他人の短所だけを見て儚い優越感に浸っている、と。
どうだって良い。
買い食いとかオタ活とか他者から無駄に見えることに散財する人を見下す。
私は投資信託にお金注ぎ込んで利回り高い株も買い込んでいくらの益が出たとかなんとか。オタ活なんて身も心もすり減るだけとかなんとか言って。
オタ活はしんどい。十分なんて無い。いつも後悔ばかり。でもやめられない。
悪縁を切りたい。
神頼みしても無駄。
神はいない。自分で動け!