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山は高きをもって貴からず

この投稿から3年ほど経ち、また読んだ。
なにか違うことに気付けるかなと思ったんだけど何度読んでも同じところで泣くんだな、この本は。
そして同じセンテンスで感銘を受ける。
同じ人間が3年で心まで変わるわけがなかった。

村岡は小説家を志す主人公で、野々村は主人公の尊敬する小説家で友人。夏子は野々村の妹。村岡と夏子は将来を誓う関係。

人生の無常さを痛感する。

遠距離で手紙で愛のやり取りをしていた中で
もうすぐ帰国、愛する夏子に会えるというタイミングで
電報を受け取り、そのカタカナの羅列で夏子の死を理解した瞬間に。

「村岡君が無事に帰って来て、この前送別した同じ室で歓迎会が出来たことは実に目出度いと言っていい。 村岡君が西洋からよこした雑誌や新聞への寄稿は皆も読んで面白く思い、村岡君らしいと思った。 村岡君があとで話してくれると思うが、僕達は村岡君が西洋へ行ったことは無駄ではなかったと思うと同時に、僕個人として村岡君に大へんすまなくも思っているのです。ここは内輪の会でもあるし皆さんも御存知と思うから私は敢て言いますが、私が村岡君の西洋へゆくのを最初にすすめた一人で、その時、村岡君は僕のこの秋死んだ夏子と許嫁のような間柄にいたので、ゆくのを躊躇していた。神ならぬ僕は妹が村岡君の旅行中に死ぬとは思わず、 妹のことはひきうけたから安心してくれと言ったのです。ところが村岡君の留守に妹は死んでしまったのです。僕はこのことに就ては何と村岡君にあやまっていいかわからないのです。ひきうけた自分の愚かさが、実に僕には後悔されるのです。あやまりたいと思いながら今日まであやまれなかった。村岡君はいくら悲しくいくら腹を立てても、反理性的にはなれない。私の責任をせめてはくれませんが、僕の方ではあやまりたかったのです。それで僕は村岡君の今後の健康と、健闘を切に切に切望するのです。妹もきっとそれをのぞんでいると思うのです。自分の責任をのがれて、村岡君の奮闘を望むのは虫がいいようでもありますが、僕達は村岡君に多くを期待しているので、こういう無理なこともおたのみするのです」 野々村はそう言 って泣きそうになり、「僕はもうやめます」と言った。拍手はまだらに聞えた。皆、沈黙した。

武者小路実篤『愛と死』134頁〜

「野々村さんの(中略)責任ではありません。人間は死ぬも のです。死なない方が不思議と言えます。僕自身明日死ぬかも知れない。死ぬとは思いませんが、人間の生命は無常です。 今度それを本当に知りました。 人間に生れたことが腹が立つ程知りました」 自分はそう言って見えない敵を睨みつけた。死神が何処かに居るような気がしてしゃべった。「死神が人間を殺す程、わけないことはない。このことは死神の自慢にはならない。 僕は生きて帰って来ました。自分は生きているだけの資格があって生きているのではないのです。貴いものが死ぬのです。死ぬことがあるのです」

 同135頁

美しくなくて醜い者だ。 
貴いものを羨む。私なんかダメだわ。

もうすっかりブルーです。
最近、私なんかって感じ。
元々仲の良かった歳の近い会社の後輩が、同じ部署になることになって、仕事出来るようにしてあげたい気持ちと、私の居場所なくなったら…っていう気持ちが天使と悪魔のように苦しめる。
しかも彼女の性格を私が許せない。
媚売って人前だといい子なのに、私の前だと愚痴ばっかりで、文句言うくせにいい子のフリして何も改善しようとしないんだから。
助けてあげようとか思えないときもある。
やたら自己肯定感低いけど本心なのか分からんし。
きっと私のことも見下してるんだろうと勘ぐる自分もいて本当に不愉快だ。
上司にも彼女にも、私が彼女にとって良いお姉さんであることを求められる。私は我儘だし借金もあるし散財癖もあるし友達もいないし貧乏くさいしパートナーもいない。他人なんかどうだって良い、自分さえ良ければ。そういう人間なんだ。人間として…とても尊敬に値しない。
ただ、他人と比較してなんとか自尊心を保つ。
派遣のおばさんより賢いとかあの女よりかわいいとかあいつより若いとか、そんなわけないことで。
そんな私を殺したのは。

「自信の強いことはいいことだが、他人の長所を認めないことで自信を無理につくろうとするのは醜い。他人の長所は何処までも認め、又他人を何処までも成長させて、他人の価値を十分認めての上の自信は美しい。しかし本当の自信が持てないものは、とかく他人の長所を見ずに短所を見出してはかなき優越感をたのしむ」
僕はそれを見た時、顔が赤くなった。自分にあてつけられたような気がしたから。 其処で僕は腹をたててこんな出たらめを書いた。
「山は高きをもって貴からず、木は生長力で価値のきまるものではない。これは本当だ。しかし生長のとまった木は生長力の強い木を見て、反省力が弱いので高くなれると思っている。高いから価値はあるとは言えないが、高い山は低い山を見れば低く思うのはやむを得ない」
 野々村から手紙が来て、
「自信の強いある男のことを皮肉ったのは君のことではない。君は僕の価値を認めてくれていると僕は今でも自惚れている。あれを君を皮肉ったものととっているらしいのは、僕の友情と、信頼を過小視しているように思えて心外だった。しかし少しでも君に不快を与えたのなら心苦しい。是非近い内に遊びに来てほしい。 僕の妹はこの頃はすっかり君のものの愛読者になっている。君がどうして来ないのかと気にしている」

同19頁

醜い人間はなぜ美しいものに嫉妬するのだろう。
この世から貴いものが全部無くなってしまえば良いとさえ思う。
こんな私でもなんとか生きてます。
ありがとう。ありがとう🫂
嗚呼美しく生きたい。

山は高きをもって貴からず…

高い山は低い山を見れば低く思うのはやむを得ない

これは本当に言い得ていると思う、村岡は出たら目と言ったが。
自信のないものが勝手に僻んでいるんだ。
自信があるものが羨ましくて、自信があるものは他人の短所だけを見て儚い優越感に浸っている、と。

どうだって良い。
買い食いとかオタ活とか他者から無駄に見えることに散財する人を見下す。
私は投資信託にお金注ぎ込んで利回り高い株も買い込んでいくらの益が出たとかなんとか。オタ活なんて身も心もすり減るだけとかなんとか言って。
オタ活はしんどい。十分なんて無い。いつも後悔ばかり。でもやめられない。

悪縁を切りたい。
神頼みしても無駄。
神はいない。自分で動け!

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