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2064年ルポルタージュ #1 境界観測隊員

2020年代後半のAIの爆発的進化、2030年代の企業対国家の戦争、大知性サラダ・ミツハシラの出現、2040年代の大規模宇宙相転移による物理法則の変化。これらの出来事による混乱は人類社会に大きな変革をもたらし、新たな職業を大量に生み出した。2064年現在、存在する職業の約97%は2021年以降にできた仕事である。

本連載では、職業という切り口から2064年の社会が持つ構造的問題を明らかにしていきたい。

(「2064年ルポルタージュ #1 」は2064年1/25公開のヌーベル・リターチュ2月号に掲載された記事です。2021年公開用に一部表現を変更しています。)

境界観測隊員

珪石区5番通りの喫茶店、イチゼロ年代のサブカルチャーの雰囲気が漂う店内には、奥に巨大なアニメキャラクターの人形が鎮座し、天井に吊るされたテレビジョンから当時のアニメ作品特有の高い声が響いている。

「僕はここが好きらしいんですよね」

目の前に座る男は、そう言ってコーヒーを啜った。年は30代後半、ツナギの隊服を着込み、腰のカラビナには大量の木札がぶら下がっている。

「らしい、ですか?」

「ええ」

男はそう答えると、カラビナから数枚の木札を外して机の上に並べた。そのうちの一枚には『僕は喫茶プリ萌が好き』と書かれていた。

境界観測隊員、それが彼の肩書きだ。

大規模宇宙相転移以降、量子力学的観測の概念が大きく変化した世界において、全ての事物は意識を持つ主体の観測無しでは存在できないようになり、物事の連続性は絶対の理ではなくなった。相転移により、我々人類は活動領域における事物の連続性を保持するために、この世のありとあらゆるものを観測し続けなければならないようになったのだ。この「事物の連続性を保持するための観測」を一手に引き受ける組織、それが境界観測隊だ。

「手術で脳の一部を切除するんです」

取材対象、神橋氏はそう言って自らの側頭部に人差し指でクルンと円を描いた。境界観測隊員は、世界中に配置されているドローンカメラを通して人類の活動領域に存在する全ての事物を観測している。隊員は観測対象のプライバシー保護のために、観測内容を記憶できないよう、脳の長期記憶を司る部分を切除しているらしい。

インタビュー前の下調べで知っていたことだが、観測隊員から直接聞く言葉には、妙な生々しさがあった。2064年の技術を持ってしても、脳の外科手術はリスクが高い。それにもかかわらず、神橋氏はまるで足裏のイボをとるのと同じ調子で手術の話をする。

「手術を受けるまでの記憶しかないですからね。何度も反芻するんですよ。人生のクライマックスだから」

神橋氏は笑いながら、テーブルの木札を麻雀牌のようにジャラジャラと鳴らした。私はその顔に観測隊員の悲哀が見えるのではないかと一瞬期待したが、彼の笑顔からは社交辞令以上の意味合いを見出すことができなかった。

木札の重さ

インタビューを進める途中、神橋氏は何度も腰のカラビナから木札を外しては机の上に置くという行動を繰り返した。この木札は観測隊員にとって非常に重要なアイテムの一つである。

長期記憶を持てない彼らは、忘れたくないことは木札に記述して残す。木札に新しい内容を追加する際は、倫理審査資格を持つ上位職3人からの承認が必要らしい。

「どうも取材を受けるために、大量に木札に追記したみたいなんですよ。普通、こんなに大量の申請が通ることはないらしいので、上層部からの働きかけがあったんですかね?」

神橋氏はそう言って腰にぶら下げた大量の木札を見せてくれた。私の取材申し込みは隊上層部経由で神橋氏に伝えられたはずなので、上層部が便宜を図ってくれたのだろう。神橋氏にそう伝えると、氏は

「そうなんですか、じゃあこの大量の木札は貴方のおかげですね。ありがとうございます。書いてある内容に関わらず、木札がたくさんあるのは嬉しいことですから」

と答えた。彼の隊服は木札の重みで着崩れていた。

新しくものを覚えられない隊員にとって、木札はただの記録以上の価値があるようだった。職場では互いに木札を見せ合ってその記録内容を自慢し合うらしい。隊員たちの木札には、現在の住所や家族の有無のほか、好きな料理のレシピや今までにあった嬉しい出来事などが書いてあると言う。

「今後の人生計画なんてのも書いてあったりします。読み返すと楽しいですが、数日前の自分と意見が食い違うこともあるので、あまり意味がないかもしれませんね」

神橋氏はそう言って、一枚の木札を見せてくれた。木札には観測隊を除隊する計画が書かれている。

「この時の私は20万ドル貯まったら除隊すると書いてますね。脳の再建代みたいです」

境界観測隊は、除隊する隊員に全額公費負担で脳の回復手術を提供している。しかし、手術の成功率は70%程度で、失敗した場合の保証もない。失敗しても死ぬことはないが、中途半端にしか記憶力が戻らず、社会にも観測隊にも居場所がなくなるというケースが多く存在する。こういった事態を避けるために、除隊する隊員の中には脳の回復手術を受けず、代わりに自分の脳細胞から新しい脳を丸ごと一個作成して、今の脳とすげ替える者がいる。これは一般に脳の再建手術と呼ばれるが、自己の連続性などの倫理的な問題点が指摘されているため、手術代は公費ではなく自己負担になる。

「再建ですか……自分の脳を取り替えるのは怖くないですか?今までの自分でなくなってしまう恐怖とかはないのでしょうか?」

「これを書いたときの自分が何を考えてたかは分かりませんが、少なくとも今の自分の考えでは、あまり怖いとは感じませんね。隊にいる今だって、自己の連続性を保障するのは脳ではなく木札なので」

『自己の連続性を保障するのは脳ではなく木札』、この言葉に、私は頭をガツンと叩かれたような気がした。腰からぶら下がる大量の木札は、彼のアイデンティティそのものなのだ。

仕事のモチベーション

最後に、神橋氏に仕事を続けるためのモチベーションについて伺った。あまりに自己を犠牲にしすぎる職業だ。彼を支える熱い思いが存在するはずだ。そう思ってした質問だったが、返ってきたのは意外な答えだった。

「やる気は常にありますが、特別な思いみたいのは無いですね」

肩透かしを食らった気分だった。何か熱い思いも無しにこんな過酷な仕事を続けることなど本当に可能なのだろうか?私は彼の答えを訝しんだ。しかし、次に続く言葉に、私は息を呑んだ。

「何年続けようと、私にとっては毎日が勤続一日目なんです。」

神橋氏はさも当然というふうに言った。

「多くの人にとって、私の仕事は自分をすり減らす過酷なものに見えるかもしれません。しかし、私は必ずしも自分が不幸な労働者ではないと思っています。むしろ記憶がないことで、初心を忘れず、日々の仕事に腐らず、常に初めてのこととして取り組めるのは素晴らしいことだと思っています。」

そう、記憶の蓄積がないことは必ずしも悲劇ではないのだ。私は心の奥底で、無意識に彼の職業に悲劇的な側面を求めていた。しかし、それは記憶の蓄積を持つ私の勝手な思い込みに過ぎなかったのだ。

神橋氏の言葉は、私たちが勝手に必要なものであると思い込んでいた記憶の残酷さを浮き彫りにした。真に悲劇的なのは、記憶を持たない彼らではなく、記憶に縛られ時に落ち込み時に腐り、蓄積する月日を明日の自分との連続性を理由に空費してしまう私たちの方なのかもしれない。

2064年

2064年の社会において、人々は様々な苦悩とともに生きている。進化しすぎた文明は自然環境のみならず、文明の主役たる人類をも蝕み、未だ無秩序に拡大を続けている。このストレスの多い世界、真に幸せなのは、もしかしたら記憶を持たない隊員たちなのかもしれない。


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