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「身の丈」で可能性を閉じていないか?

昨日の朝から、Twitterが萩生田文部科学大臣の発言で溢れかえっています。教育関係者から高校生まで幅広い年代の方が意見を投稿しているのをみて、良いことだな、と思う反面、微かな違和感も感じます。「今まで、教育格差について真剣に考えたこと、あった?」。文部科学大臣がいったから、炎上しているから、世の中が右を向いているから、それに倣って右を向いたのでは…?と思ってしまいます。

しかしながら、今回の炎上をきっかけに真剣に教育格差について考えるひとも出てくるでしょう。それはとても歓迎すべきことだな、と思います。特に、教育格差とは一見縁がなさそうな有名校の高校生による投稿は大きな話題になっています。

このnoteでは、萩生田大臣の発言と、その背景にある教育格差とそれをめぐる状況について、僕個人の意見を綴っていきます。

1.萩生田大臣の発言について

はじめに整理しておくと、萩生田大臣が「問題」の発言をしたのは2019年10月24日、BSフジの「プライムニュース」において。
公式ページでハイライトがみれるので、まだ元の発言をみていない方はぜひそちらからご覧になってください。該当の大学入試改革の話題については動画内の4:55〜9:27で触れられています。

発言内容としては以下。

キャスター
「英検とかTOEFLとか民間の資格試験を使うということはですね、これもだからその、お金や地理的な条件に恵まれてる人が受ける回数が増えるのか、それによる不公平・公平性っていうのはどうなんだと、ここの部分はいかがですか?」

萩生田大臣
「あのー、そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは自分の、あのー、私は身の丈にあわせて、2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば。あのー、できるだけ近くに会場をつくれるように、今、業者や団体のみなさんにお願いしてます。あんまり遠くまでね。だけど、人生のうち、自分の志で、1回や2回はふるさとから出てね、試験受けるとかそういう緊張感も大事かなと思うんで、あの、その辺できるだけ負担が無いように、あの、いろいろ知恵を出していきたいと思ってます。離島なんかは既に予算措置しましたんで、はい。」

つまり、要約すると、
■民間試験を活用することで公平性が担保されないという議論があることは認知している
■その手立てとして、会場を近くにつくれるように業者や団体に依頼したり、離島に予算措置をしたりはしている
■ただ、(そういった手立てには限界があるので、受験生には)身の丈にあわせてがんばってもらえればよい
といったことを発言した、ということですね。

2.「身の丈」が可能性を閉じていないか?

たしかに、手を打っていないわけではありませんが、ここで問題なのは、大臣がこの状況をあまりにも軽く見すぎてしまっているのではないか、ということです。たしかに大学は義務教育ではありませんが、近年では大学進学率がおよそ55%にもなっており、公教育の機会をある程度保障するのは国の役割ではないでしょうか。それを半ば自己責任論で片づけてしまうのは乱暴にすぎると思います。

キャスターがいっているように、地理的要因や経済的要因などで、選択肢を狭められてしまう子どもたちは数多くいます。

地理的要因
そもそも大学に進学するという選択肢が親や地域のひとのなかになく、子どももそれを当たり前として生きているような地域は、決して少なくありません。以前、サークルの活動である地域にお邪魔したときに、「今日は生徒たちが『大学生』を目にする最初で最後の日だから…いっぱい遊んであげてください」という趣旨のことをいわれ、とても衝撃だったことをよく覚えています。そんな地域で、「大学に進学したい」という想いを抱いた子がいたとしても、「民間試験を受ける」という都会ならハードルにもならないことが大きな大きな壁になることだってありえるのです。

「人生のうち、自分の志で、1回や2回はふるさとから出てね、試験受けるとかそういう緊張感も大事かなと思う」ということに関しても、望んで「ふるさとから出ない」という選択をしている子はよいのですが、そうではない子だってたくさんいます。本当は都会に出たいのに、「身の丈」にあった選択をした結果、「1回や2回」しかふるさとから出ることができなくなっている現実があるんです。本当に、「身の丈」でいいんですか。

経済的要因
受験料すら払えないような子だっています。センター試験は一発勝負だから複数回受験できるようにすべきだ、と一部ではいわれてきましたが、これでは富裕層だけにチャンスを広げた形です。「身の丈」で済ませていたら、いつまでたっても階層構造は再生産されるだけで、いつまでも「身の丈」どまりです。生まれ落ちた環境で「身の丈」が決められて、それによって可能性が閉ざされる。そんな構造が、現代の日本で当たり前になっていていいのでしょうか。

さらにいえば、大臣が引き合いに出している「予備校」も、あれは本当は引き合いに出すべきではなかったと思います。『ずるいよな』とか、そんなノリじゃないんです。塾や予備校に通えない子どもたちのことを本当に考えていたら、あの発言はありえないはずです。「今」この受験戦争に勝てなかったら、人生が終わってしまうかもしれない。僕もそうでしたが、そんな緊張感をもちながら、塾にいけない劣等感と孤独感を抱えながら必死で勉強している子だっているんです。『ずるいよな』で通塾格差を片づけないでほしい。学校外の教育機会も、少しずつでいいです、国の方からも、格差を小さくしていく努力をしてください。今回のように格差を助長するような制度・発言は、もう終わりにしませんか。

3.可能性を拡げるために

萩生田大臣は、就任会見で、「様々な価値観が変わってきた子供たちを巡る環境にしっかりと対応できる多様性のある教育、一本道ではなくて、複数の道を作っていきたいなというふうに思っております。」(令和元年9月11日萩生田光一文部科学大臣記者会見録)といっています。昨夜の発言を聴く限り、大臣にはおそらく、いわゆる不登校の子どもたちにフリースクールなどの複線的な選択肢をつくりたいという背景があり、この発言をしたのでしょう。しかし、それは決して不登校に対してだけにとどまるような理想ではありません。どうか、教育格差という点でも、今まで「身の丈」のなかで選択せざるを得なかった「一本道」を、「複数の道」にしていってください。

僕自身、格差を乗り越える手段としてのキャリア教育に関心を持っていて、小さい一歩ながらも、これまでにいろいろなことをやってきました。人生のミッションとして、これからも引き続き取り組んでいくつもりです。
どうかこれを読んでくださったみなさん、そして文科省をはじめとする日本の教育に携わっているすべてのみなさんに、少しでもいい、同じような問題意識を持っていただければと思います。

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