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大津オルタナティブスクール「トライアンフ」谷川 氏 峯 氏 「多様性」と「ひとりの人生」~ 「多様性」を生み出す一人ひとりにどう向き合うか ~ (April 2023 Vol.006)

インタビューコンセプト

今回は谷川さん、峯さんからお話を伺いました。なんとなく良いものとして取りざたされることの多い「多様性」ですが、本当はどのような意味を持つのかが見えてきました。

インタビュイー紹介

谷川 知 ⽒(右)
 一般社団法人異才ネットワーク代表理事。滋賀県フリースクール等連絡協議会副会長。大津オルタナティブスクール トライアンフ主催。
不登校の子ども一男一女の母。自身の経験と現場から見た「本当の多様性」を実現するため活動している。
 
峯 真生子 氏(左)
 大津オルタナティブスクール トライアンフ スタッフ。学校に行きづらい子ども一男一女の母

記事本文

「トライアンフ」はどうやって始まったのか?

遠藤: 一般社団法人異才ネットワークを母体として「大津オルタナティブスクール トライアンフ(以下、トライアンフ)」を運営されていますが、まずは立ち上げの背景をお伺いしてもよろしいでしょうか。
 
谷川: はい。異才ネットワークを立ち上げたのは2018年2月、息子が中学2年生で、学習障害がわかったときです。学校に行けなくなって本人も私もとてもしんどくなりました。合理的配慮を求めてもなかなか理解してもらえないのに、勉強ができないと「あほ」、「なまけ」と言われます。「なぜもう少し頑張れないのか」と。でも親も子も先生も学習障害というものをあまりわかっておらず、そういう発達障害に関することを周りの人は知っているのだろうかと感じたのが最初のきっかけです。
 
遠藤: まずは発達障害に関することを学ぶ、話し合うような活動だったんでしょうか。
 
谷川: そうですね。団体を立ち上げたのが2018年のことなので、発達障害のことはある程度耳にしたことがあるくらいの時期でした。ただ、「発達障害=できない、迷惑かけている」というくくりで、やっかい者、困ってる子、かわいそうな子というニュアンスが含まれていました。私はそうではない見 方を普通にしたかったんです。特性上の困難を抱えながらも、その子が持っている「キラリと光るもの」に焦点を当てていきたかったんです。
 子どもはそれぞれにキラリと光るものを持っている、あるいはそのポテンシャルを持っているという意味を込めて「異才」と名付けました。もちろん、みんながみんな天才と言いたいわけではありません。「発達障害=天才」というのも短絡的で好きではないです。
 
遠藤: 何らかの障害があってもなくても、人として輝けるものをみんな持っていると。
 
谷川: トライアンフは障害のあるなしに関わらず、不登校の子どもや学校に行きづらい子どもを対象にしています。発達障害は見えにくい障害といわれていますし、グレーゾーンや発達の凹凸のあるお子さんは福祉領域のサポートにマッチしない場合も多いです。ただ発達障害のある子には、特定の分野に特異な才能をもつなど、ある一つの分野のことはとても得意だけど、それ以外のことは全然興味をもたず取り組まないというような子どももいますね。では問題がないかというと、全員が一律に同じことを求められる学校などではうまく適応できなかったりしがちなのが現状です。福祉と教育と医療とのはざまにいるような子どもがサポートから抜け落ちて、良い面が引き出されていない印象を受けています。
 
遠藤: そういった子たちと関わる際、どういった観点から関わられているのでしょうか。
 
谷川: まずは不登校であることをとがめない安心安全な場を提供すること。そこでエネルギーをチャージして、自分自身が好きなことの探求ができればいいなと思いながら、それぞれの子どもの特性を大切にしています。
 
遠藤: 最初は発達障害などの困り感を話し合う会から始まり、そういった子が不登校になりがちであるためトライアンフを始められたということですね。課題感とし て、不登校の子に注目したと。
 
谷川:  そうですね。不登校の子は日中の居場所がないわけですよ。そういった子の「好きなこと・得意なことを伸ばして応援する居場所」をコンセプトとし、2019年9月にトライアンフをスタートさせました。

※トライアンフ1階。元は学童だったそうです。


不登校の子への関りとは?

岩田: 不登校の子に対する学校側の認識とも差がありそうですね。ゴール設定とか。
 
谷川: 私たちのゴール設定は社会的自立ですね。中学生には進路指導をして、高校には行かせたいと思っています。その後の出口戦略も一緒に考えていきます。
 
遠藤: 学校側の認識でこういうところを改めてほしいな、というところはありますか。
 
谷川: 不登校の要因が子どもの「無気力・不安」というアンケート調査がありますが、無気力になったのはなぜか、不安に思うのはなぜかを考えてほしいなと思います。決してはじめから無気力なわけでなく、入学した時は意気揚々とここで頑張りたいと思っている子どもが「ここは自分の居場所でない」と感じて無気力になるわけであって、何がそうさせたかですね。振り返って考えていただいたうえで、不登校の子どもには心理的なサポートがあればよいと思います。
 
遠藤: 心理的サポートとは、寄り添い感のことに近いでしょうか。
 
谷川: 寄り添い感、なんでしょうけどね。ピタッと横にいればいいわけでもないですし、子どもが何を考えているのかを想像する力が必要です。そして何に対して介入するのかしないのか。そういう判断をするために、もっといろんな見地を持つこと。結局、人としての幅広さが大事ですね。
 
遠藤: 心理的サポートを受けた子はどう変わっていくんでしょうか。
 
谷川: 私たちがやっているのは、「ありのままの姿を認める」ということです。トライアンフでは好きなことをしていいので、ここにいるほとんどの時間ゲームをしている子もいます。話しをしてもいいし、絵を描いてもいいし、特に時間割を定めているわけではありません。それがトライアンフの良さ、特徴ですかね。「ありのままの姿」を認められると、「私はこれでいいんだ」と思えるようになります。「こういうことをやっていても嫌われるわけではないんだ」と 思えます。例えば、折り紙が好きな子がいたら、私たちはそこを認めていきます。そうすると、その子 はもっと折り紙が得意になっていきます。気持ちも豊かになるし、強くなる。自分の中に確固たるものが溜まっていくんです。それが原動力になり、違うことにもトライしていける。結局学校に戻れたりもします。空洞の木の幹を埋めていくようなイメージでしょうか。
 ここに来る子は、学校で何らかの傷つき体験を持つ子が多いです。先生が信用できない、大人が信用できない…。「でもここは違うよ、あなたのことをわかろうとしているよ、あなたを否定しないよ」と。そういう関りをしています。ただその確固たるものが溜まったり抜けたりするのはその子その子のペースです。
 
岩田: 私も、自己肯定感で心の風船を膨らませてあげたいと思ってケースに関わっています。虐待を受けた子も自分を卑下することがありますが、存在を認めていく、受け止めていく、一人ひとりにオーダーメイドの関わりが必要だと改めて感じますね。
 
谷川: 関りに関するエピソードをもう一つ。中学生ですが、忘れたものを友達に借りたいという状況で、その子はどうしても借りられない、借りたくないと言うんですね。「私みたいなのが借りたら嫌がられる、迷惑をかけてしまう」というわけです。「口ではいいよと言っても、本心は絶対違うことを思っている」と考えているんですね。今まで周囲の大人や友達の理解や優しさが足りていなかったのだと思いますが、そういった嫌な体験が残ってしまって、強固な不信感をつくってしまっている。こうなったら周りのスタッフの一人ひと りが彼女の信頼を得ていくことしか、その子の不信感を解きほぐしていく方法はありません。

遠藤: ここのスタッフの方は、「寄り添う」ということをどういう行為だと捉えているんでしょうか。
 
谷川: 普通に接しているだけですよ。問題を抱えているから「こういう関わりが必要だ」とかは思っていないです。対等に接していますね。


親、大人として、どうやったら対等に子どもと関われるか?

岩田: 学校では指導計画や記録がありますよね。児童養護施設などでも共有目標があります。ここにはそういったものはありますか。
 
谷川: 具体的な目標設定はしていません。幹の中が空洞の子には、まずは安心・安全な居場所で過ごしてもらいたいです。
私も失敗したことがあって、ある子の言動に対して、もっとこういう風に考えたほうがいいんじゃないか、とか言ってしまったことがあったんです。するとやっぱり来なくなっちゃったんですよね。トライアンフでは通じても 社会では通じないことはたくさんある。けど、だからと言ってお作法を強要したら来なくなる。来なくなったら結局その子と親御さんが困ってしまうなというのを感じて、社会的な「こうすべき」みたいなのは打ち出さないようにしています。
 
遠藤: まずは満たしていく関りをと。
 
谷川: やっぱりそっちのほうが多いですね。
 
遠藤: 満たしていく過程でどのように変わっていくのでしょうか。
 
谷川: 自己肯定感を得て、自信がでてくる、ということだと思います。例えば、カレーをつくるのにニンジンを切ってと子どもに言ったところ、どんな大きさに切ればいいか悩んでしまって動けない子がいました。でも何回か後の調理実習では何も言われなくてもそれ相応のサイズに切れるようになりました。その過程で何を言ったかと言うと、「あなたがどんな風に切ったとしても、それに文句を言う人はここにはいないよ」ということです。その子は2年くらい通っていましたが、自信がついたんでしょうね。
 他にも、お弁当を選ぶときに選べない子。自分が何を食べていいかわからない。自己理解というか、自己決定力が非常に弱い。ひょっとしたら小さいときに、お母さんから「お菓子買っていいよ」と言われてその子が選んだものを、「いや、それはあかんからこっちにしよう」みたいな感じで、決定したことをつぶされてしまうような経験が積み重なったのかもしれません。自分の決定を学校で笑われたこともあるかもしれない。自分の意見を否定されて育っていくと、「私の決定なんてどうせだめでしょ。どうせつぶされるでしょ」となってしまいます。顔色を伺わないと行動できなくなる。だからその子がお弁当を買うとき、私も意地悪だからどれだけでも待つんです(笑)。最初の方は時間切れで日替わり弁当しか選べなかったのが、次第に「今日は私、コレの気分かな」と言って、選べるようになりました。
 
遠藤: うーん。親の影響もありそうですね。
 
谷川: ご家庭の環境は大きいと思います。ただ、親御さんも育ってきた環境の影響があるので、親御さんが悪いというわけではないです。親御さん自身もしんどい思いをしてきたケースもあります。
 家庭環境が大切という話の中で、よく「愛着障害」ゆえに不登校や発達上の課題が顕著になるというような、ある種保護者批判のような主張をされる方がおられますが、これに関しては全く反対の意見をもっています。家庭環境は大切ですし、それによって子どもの自己決定力や自己肯定感が…というのは頷けるのですが、それを「愛 着障害」とくくってしまうのは違いますよね。親もまたしんどい思いを持っていて支援対象であるケースも多いので、家庭包括的なサポートが必要です。私がお会いする保護者さんは、本当に子どものことを考えて行動されている方が多いです。
 
遠藤: 課題としてはニンジンが切れないとかお弁当が選べないとかいろんな現れ方をしていますが、癒しのプロセ スと言ってよいのか、それはやはり「寄り添い」になってくるのかなと聞いていて思いました。
 
谷川: そうですね、あまり寄り添っていると意識はしてないですが、結局「支える」というのは「対等」ということなんです。「私は私でやっていく、あなたはあなたでやっていけばいい。好きなことは応援するよ」ということかなと。その子の未熟な部分に関しては、私たちが視野を広く「こういう世の中もあるんだよ」と教えてあげる。いろんなところに連れて行って、体験としてわかってもらえたらいいなあとは思っています。
 
遠藤: 「対等」というのは、ものごとを自分で決定できる一人の人間として尊重する、ということでしょうか。

谷川: そうですね。自己決定力もそうだし、親と子どもの間の線引きも必要です。「私は私、あなたはあなた」として線引きし、「あなた」はどう考えているの?と。そう考える中で、やはり子どもは成長過程にあるがゆえにできないことや思い至らないことはいっぱいあります。それはやっぱり教えていかなければならない部分はありますよね。
 私の息子が年中さんくらいのとき美容室に連れて行ったんですが、散髪が終わったら美容師さんが私に「これでいいですか」って聞くんです。私はそこで「いや、この子に聞いたらええやん」と思うんですね(笑)。彼には彼の思いがあるはずだから。でもそれは世間一般では珍しいほうの考え方なのかな…。
 
遠藤: 象徴的なエピソードですね(笑)。
 
谷川: 髪型くらい自分で決めたらええやんってね(笑)。
 
遠藤: 僕んちの長男、 2歳の時なぜか相撲が好きで(笑)。テレビ中継見たりとか、お相撲さんごっこしたりしてたんですが、親側としては将来力士になるって言いだしたらどうしようとか心配しちゃってたんですね。でもそれって、親側の思惑がめっちゃ入ってたなと、今思いました。
 
谷川: そういうことはぜひ応援してあげて欲しいですね!どうやったらお相撲さんになれるかなって。現実的なことを言えばほとんどがなれないわけですし、本当になれるならそれはそれですごいことです。それに、栄養バランスの取れたご飯を食べてくれるきっかけになるかもしれないですよ。

※子どもの好きなことができるように。色々あります。


「自主性」や「らしさ」はどうやって守るのか?

岩田: 親と子どもの間でどう線引きするかですね。支配 物じゃないんだよ、という線引きは案外難しい。
 
峯: 子どもを自分のものと思ってしまっている親御さんはおられますね。
 
谷川: 親が満ちていないから、外部に転嫁しちゃってるんですよ。お母さんが満ち足りていると、子どもに対して過度な関りをしなくて済みます。私も息子が不登校になった時はやっぱりイライラしたから、「もうお母さんヨガ行ってくるから、あんた留守番頼むわ!」って行ってましたからね(笑)。
 
岩田: 家庭の在り方が、子どもが社会に出たときの差になってしまうような感じはありますよね。
 
谷川: そうですね。ただ、「自分は自分」という、子どもの自主性を守るような育て方をしていると、今の学校には合わなくて、結果的にうちは不登校になってしまったという(笑)。自主性を育てて学校教育に合わなくなるというのは、おかしいんじゃないかと思うんですが。
 
遠藤: 「自主性」や「その子らしさ」が共生しているのが多様性だと思っていました。だから、「自分らしさを持ちながら他者とうまくやっていくにはどうすれば良いのだろうか」という問いをもって来ていたのですが、違うような気がしてきました。個人の問題というよりかは、社会の問題ではないかと思い始めてきて、社会が「自主性」や「らしさ」を排除しているのではないかと。
 
谷川: 学校社会について言葉を選ばす言えば、画一的で全体主義的。「自主性」や「らしさ」といった概念とは当然合わんよなと思います。
 
遠藤: じゃあどういう「在り方」だったら良いのか、イメージはありますか。
 
谷川: 端的に言うと、色んな子がいれる場所、包容力のある場所ですね。寛容とかね、そういう言葉になると思う。それぞれの子に応じた勉強の仕方があって、 それがちゃんと認められているのが大切ですね。発達特性に応じた合理的配慮ももっと必要だと思います。今の学校は忘れ物したらカウントされますからね。「一学期間で8回ありましたよ」と言われて、数えてるのかとびっくりしました(笑)。

※2階の様子


生きづらさとは単一のものなのか?

遠藤: 不登校になる子はみんな生きづらさを 抱えている、と言えるのでしょうか。
 
谷川: それはちょっと違うというか、わからない部分ではありますね。生きづらくなさそうに見えても内面はわからないですしね。でも増えているとはいえ、不登校の子は少数派ですから、しんどい気持ちは持っているんじゃないかな。
 
岩田: 不登校というくくり方自体がややこしさを生んでるんじゃないかな。学校が嫌だから行かない子、行きたくてもヤングケアラーだから行けない子、いっぱい理由があるんだけど、それをひとくくりに「不登校」と当てはめてしまうから「不登校の子はみんな生きづらさがある」というような偏った不登校のイメージができてしまう。問題を個別化していったら、本当に子どもたちが学校に行ける環境になっているのかどうか見えてくると思う。そこを見ずに「不登校=居場所づくり」みたいな図式に行政が当てはめてしまうと、ちょっとズレちゃうんじゃないかと思いますね。
 
谷川: 不登校の子の居場所づくり、というのは別に悪いことではないと思うんです。ただ、特例校にしろ夜間中学校にしろ、「そこに合う子」しか行けないというのが現実でしょうね。
 
岩田: いろんな選択肢を用意して「不登校対策」と言えれば良いが、現状そうではないのが問題ですね。
 
谷川: そうそう。
 
岩田: もっと個別化というか、一つひとつのメニューをつくっていくような丁寧さがいるんだろうなというのは、非常に思うわけなんですよね。
 
谷川: 不登校特例校も夜間中学校もつくったら良いとは思いますが、うちの娘はトライアンフにすら出て来ませんしね。フリースク ールに行けるんだったらそもそも学校行けるでしょと思っているタイプです。だからいろんな居場所の選択肢があるべきだと思うんですよね。
 
岩田: 一人ひとりの「学校に行きたくないの理由」を聞いてあげる必要がありますよね。特定の先生がどうしても合わないとか、あるでしょうし。
 
谷川: 学校側はなかなか一人ひとりに聞けないし、子どもも賢いから言わないんですよ。それ言ったら一人の人間を傷つけてしまうなと思うんですよ。
 
岩田: 腹の底はそこやからね。当人の前で悪口を言えないという。
 
谷川: そう。腹の底を見せられるような場所が必要だということで、トライアンフはある。けど、「腹の底を私たちに教えてちょうだい」というのも傲慢な話ですよね。なんで子どもに言いづらいことを言わせようとするのかって。
 
岩田: そこのところをわかったうえで不登校対策というのをやっていけたらいいんやけどね。学校に行かすことはゴールではないということをわかっているのかなと。でも社会は学歴社会。今の社会が多様性を受容できるかは大きな課題ですね。


生きづらさは重要なポイントなのか?

遠藤: 「生きづらさ」がキーワードかなと思って来たのですが、「生きづらさ」はどこから生まれるのかを考えると、焦点としてはちょっと違うという気がしてきました。だって個人からでなく、社会から生まれてますもんね。
 
谷川: 生きづらさがなぜ生まれるかというと、「疎外感」からだと思うんですよね。逆に生きづらさがない状態は、人と比べることなく自己完結的に「自分は自分で良い」と信じられる状態かと思います。「自分は自分の道を行く」と、それがある人は強いです。でもそれが今は見つかりづらい。今は携帯ゲーム機を持つのが普通だから、空いてる時間はゲームをしちゃうし、親も子どもにゲームさせてる方が楽です。釣りがしたいとか言われたらめんどくさいじゃないですか(笑)。道具も揃えなきゃいけないし、釣れるかもわからない。行くのが面倒、寒い、とかね。じゃあ釣りのゲームさせてる方が楽ってなりますよね。ゲームやって疑似体験して満足しちゃう。手軽な娯楽に流れた結果、言わば「本質的な体験」ができなくなっています。本質的な体験ができず、自分が好きなことや、自分の軸になるようなものを見つけられないというのも、生きづらさが生まれている理由のひとつだと思います。
 
遠藤: トライアンフではその本質的な体験もできるということですね。
 
谷川: 基本全員参加の体験型イベントもあります。弦楽四重奏を聞きに行ったりとか、自家焙煎コーヒーのカフェ体験とか。そういう体験はこれからますます貴重になっていくだろうなと思いますね。


今そこにない視点が多様性を内包する枠組みを生み出す。

遠藤: 今までの話で、一人ひとりに合った教育、環境がすごい大事だなと感じています。でも子どもを大切に育てている人ほど、逆に「今のルール」に当てはまって生きていけるようにと思ってしまっているのではないかとも感じました。だから、すごい皮肉ですよね。大切にしているからこそ、その子にとって最も良い選択肢が視野に入ってきていない可能性があるのではないかと。
 
谷川: 「今のルール」に従って生きていくことが悪いわけではないけど、従えずにルールの外に出た子をどうしていくかですね。
 
遠藤: あえてル ールという言葉を使いますけど、お二人が関わられているような子どもが社会で自立なり成功なりできるようなルールってどのようなものだと思いますか。
 
谷川: 違いに目くじらを立てるのではなく、それはそれでよいと認めあえる、そういう寛容な社会じゃないでしょうか。
学歴・年齢・性別に関わらず偏見なく受け入れてもらえるような社会であれば、良い発信をできる人はいます。物事を改革していくときは、今そこにはない視点を持つ人が必要です。今の社会や組織に無い視点が入ってきて初めて、「ああそうやん、そっちの方がいいやん」と気づいて変わっていくものですよね。なのに違う視点を最初から排除してしまっているのが今の状態ではないでしょうか。多様性を認めないことは社会全体の損失です。
 
岩田: お金の流れも多様性を認めるより、今の仕組みを維持する方向になってますよね。福祉領域は資格が必要なこともあって人材がいない。じゃあ外国人を入れようという変な流れになっている。外国人を入れることが悪いことではなくて、そもそも垣根を下ろしたら福祉の世界に入ってこれる人はたくさんいるのになと。
 
谷川: 行政が視察に来た時、有資格者がどれくらいいるかよく聞かれます。精神保健福祉士とか社会福祉士とか。けど、そういう有資格者って、今のルールの王道の勉強をクリアしてきた人じゃないですか。決まった枠組みの勉強ができる人が有資格者になっているわけですよね。多様性のような、見えづらく感じづらい概念のことをわかっている方もおられるとは思いますが、基本的には「道から外れていない人」たちが資格を得ていることが多い。医者とか教師もそう。行政はそういう有資 格者しか登用しない。今行政ではスクールカウンセラーを増やそうという動きになっていますが、数もさることながら、子どもの琴線に触れられる大人がどれだけいるかが大事です。カウンセリングで分かってもらえないと傷つき、二度とカウンセリングに足を向けない子どももいますからね。
 
岩田: 国は全国一律の施策を打たなきゃいけないからこういうことになるのかな。そもそも全国的に有資格者が不足していて、自治体はどこも欠員状態でしょう。
 
谷川: 民間を活用することを考えるべき時に来ていると思います。2022年に滋賀県フリースクール等連絡協議会を立ち上げましたが、県下で40もの団体がフリースクールや親の会を実施しています。行政は「私たちがやらなきゃ」と思っておられると思います。それはそれでいいのですが、不登校児童生徒数をみても、それぞれに適した学びを考えても不登校生全員をサポートするには間に合っていない。ならば、今、現実に困っている子どもに対応するために民間と連携すべきなんじゃないかなと思います。子どもってすぐに成長するんです。うちの息子も10歳ではじめて不登校になり、もう20歳です。この10年間で学校はどれくらい変わったのかと考えると、全 体としてはまだまだじゃないでしょうか。全国でいえば不登校特例校とかありますけどね。民間のフリースクールは資金がないですから、保護者への月謝補助とかはお願いしたいところです。
 
遠藤: 今困っている子への支援をしている民間団体がいて、その民間団体はお金がない。行政はお金を持っているから適切に補助できれば今困っている子を助けることに直結する。そうすれば、子どもたちの社会的自立も促せ、後の納税者にもなってくれるはずなのに。そういったことを俯瞰して、対策を打てるかどうかですね。
 
谷川: 基本的には行政と民間の両輪でやっていけばいいはずです。民間の強みはメンタル面での寄り添いや理解。弱みは保護者から相応のお月謝をもらわなければいけないということ。スクール運営に関わる人件費や家賃、活動費など、全てお月謝で賄っています。子どもの健全な学びや育ちをサポートするうえで民間の果たす役割は大きいと思います。

※1階の出入り口にポスターがありました。


民間と行政、協力のカギは信頼?

谷川: 行政ではないですが、学校とは良好な関係が築けているところもあります。先生がトライアンフにこられたり、カフェでは子どもたちがドリッ プする珈琲を飲まれたり。学校では見られない子どもの一面が見えるのではないでしょうか。不登校だけれども生き生きと活動しているなと感じていただければと思います。子どもを見る目って多い方がいいじゃないですか。出席認定もしていただいているので、その連絡の時には子どもの様子を知らせたりもしますし、うまく連携できていると思います。学校以外の場として任せていただいていると感じますね。
 
遠藤: 任せることは大事ですよね。行政は苦手です。
 
谷川: 民間が信用されてないから?
 
遠藤: 完璧に任せようと思うと、「何かあったら責任どうするんや」があると思います。
 
谷川: 完璧に任せてもらわなくても、ちょっと補助してくれるだけでいいんですけどね。ただ補助し始めるとチェックが入り、選別が始まってしまうのを危惧してます。「ここ保健師さんいますか」とか、「運動場ありますか」とか。基準を決めてくると思う。
 
遠藤: 基準は、悪徳業者を入れないために…
 
谷川: それはすごくわかるんですけどね。
 
遠藤: 基準の代わりなり得るのは「信頼」だと思ってます。
 
谷川: 民間が「信頼」を得る努力は必要でしょうね。
 
遠藤: それを言うなら行政も民間の信頼を得る努力が必要です。でも今回こうやってお話させていただいたわけで、次にお互い協力し合える場面があったら、お互い何も知らない状態よりきっとうまくいくと思います。そもそも基準があっても信頼は必要だと思いますけど。
 
谷川: 私たちももっとオープンにいろいろな人に来てもらって理解し合えると良いですね。


多様性・合理的配慮とは、1人の人生を変えてしまうもの。

谷川: 多様性を知らないまま大人になり、多様性をちょっとかっこいいものとして言っている人も多いんじゃないでしょうか。私も多様性の実現は目指していますが、内心、多様性を認め合うのは難しいんじゃないかと思ったりもします。
 
遠藤: 意外な発言。なぜですか。
 
谷川: 大変ですよ、認めようと思ったら。一人ひとりにとことん付き合い続けなきゃいけないですからね。限られた資金と人の中で、それを現場でやっていくのは結構大変です。やり続けはしますけど。
 
遠藤: 学校でやっていくのはさらに厳しそうですね。
 
谷川: うちの息子はディスレクシアですが、中3の最後にテストの時に代読してもらえるようになってガラッと点数が変わりました。国 語のテストで代読なしだったら10点代なのが、代読ありだと70点代は取れました。それはそれで良かったのですが、その合理的配慮が中1からあったら「代読があれば自分でもできる」と思うことが可能だったわけじゃないですか。やったらできるってわかったら、他のことにも挑戦できる。けど、やってもできないって思ってたら、挑戦もできないですよ。
 
遠藤: 先生がどこまでその子の特性を汲んで対応できるかですね。
 
谷川: 合理的配慮がなかったら学校に行けないだけじゃ済まないんです。心が病むわけですよ。大人なんか信用できなくなる。そういうことをわかってほしいですね。
 
岩田: 嫌になったら行かないという選択肢はありやと思う。学校側は変えづらいからね。
 
峯: うちの子は字が書きにくくて小学校ではタブレットを使わせてもらっていましたが、特別扱いできないと、中学校で使わせてもらえなりました。字は全く書けないことはなくて少しは書けるんですが、一日中は無理なんです。疲れてしまう。勉強はしたいと思っていたのですが、不登校になりました。結局通信制高校に入りましたが、親としてはもっと何かできたんじゃないかと思 ってしまうんですよね。その高校も「タブレットを持てない子どものためにタブレットは使わない」という方針だったのですが、ずれてるんじゃないかって。そこは持てない子に持たせてあげられるよう、行政で見てあげてよと思います。最終的にタブレットは許可されましたが、何度も訴えてようやくのことでした。
 
岩田: 字が書けないとか、スポットでできないことがありますよね。さぼってるわけではないということは、知ってないとわからない。
 
谷川: 日本の今の合理的配慮は生徒に言わせなきゃいけなくなっていますが、それもおかしな話です。海外は違って、周りがその子をどうサポートできるか総力をあげて考えてくれる。なのに日本では、合理的配慮を求める側が何度も何度も言って、可能になるかどうかというレベル。それを子どもにしろというのもナンセンスです。そして、むりやりやってもらった合理的配慮は生活の中で機能しないのも事実です。
 画一的な社会の中で個性を押し出したら、子どもの世界の中でも浮いてしまいます。子どものうちから多様性のこととか、色んな考えがあるということ、どっちかが悪いわけではないということを知っておかないと、自分が知らないパターンの人を見たとき排除する意思が働いてしまいます。知らないものを恐れちゃうんです。
 排除されたと感じると、その子の心も体もボロボロになってしまう。そういうことを学校は子どもたちに強いているわけですよ。発達特性を理由とする合理的配慮を却下する前に、よく考えてほしいと思います。
 
遠藤: 多様性や合理的配慮という概念が、その子の人生にとんでもなく影響してるんですね。
 
谷川: そうですね。ただ、合理的配慮はいと も簡単に覆ってしまいます。「多様性」という概念が子ども一人の人生、生死を分けるレベルのことだとわかってほしいです。
 
遠藤: その理解は多くの人が持てると良いですね。
 
谷川: トライアンフには画家など、多様な特技を持つ人が多く関わってくれています。スタッフたち自身がちょっとずつ多様性を体現できるように、子どももいろいろな大人と出会っていろんな人がいることを知ってもらいたいと思います。やってること自体はちょっとずつです。自分たちにできる範囲で、多様性が認められるようになればいいよね、と思っています。
 
遠藤: 社会の仕組みを好きに変えて 良いって言われたら、どうしますか。
 
峯: 教育の仕組みを変えたいですね。
 
谷川: 先生がもっといて、それぞれが子どもたちと学ぶことを心から楽しく思えて、発達などに関する専門知識を持った人がいて、音楽がしたいと言えば音楽ができて、それぞれの子どもが持つ強みや特性を伸ばしていける選択肢が欲しいですね。学術だけでなく、手に職というか、技能を高めていける選択肢もあってよいのではないかと思います。今だったら技能や芸術より、学校の勉強ができる方が「上」のように思われているし、勉強の中でも数学の方が世界史より「偉い」というようなことになっていますよね。
 
遠藤: 言われてみれば。数学の方が世界史より「偉い」と思っていた気がします。
 
谷川: 人の質としてはどっちが偉いとかないですよ。不当に虐げられるのは怖いです。
 
岩田: とても刺激をもらいました。今は再び一人ひとりの子どもと関わって仕事をしているので、今日得た視点をもとに、一人ひとりの可能性を引き出せるような関りをしたいと思います。


編集者あとがき

編集者あとがき(遠藤)

 多様性。僕も、何か漠然と良いもの、かっこいいものとして使っていたというのが正直なところです。しかし本当は、一人の人生を左右する概念であり、とても微妙な難しいものだと知って、価値観を大きく揺さぶられました。何かが偉いとか、上だとかではない。何がその人にとっての「ありのまま」なのか…。フリースクールでは一見、遊んでいる子ども、それを見守る大人、という構図に見えるのかもしれません。でもその深層では、目に見えない複雑な機微が流れているのだということをお話しからひしひしと感じました。併せて、その複雑な機微を言語化する難しさも。
 今回の取材・言語化にあたって、長きにわたり福祉の現場におられ、元は彦根子ども家庭相談センターの所長であった岩田さんにご同行いただけたのは幸いでした。
 社会は常に変化しています。トライアンフに通う子どもたちがもっと生きやすい世界になるよう、Saiも、そうなるような変化の助けになれば幸いです。今回もお読みいただきありがとうございました。

編集者あとがき(岩田)

 今回、初めて「全力ボックス」で谷川さんや峯さんのお話を伺いましたが「安心できる場所で安心して話ができる」という気持ちが強く湧きました。様々な理由でしんどい思いをしている子ども達が、このような場所で心のエネルギーを充電できれば良いなと改めて思います。
 谷川さんの言われる「子ども達のありのままの姿を認める」ことが、単なる言葉だけではなく「トライアンフ」の安心感として伝わってくるのでしょうね。一人一人の子ども達の思いを受け止める大人の姿は子ども達に必ず伝わっていくでしょう。そんな大人に子ども達は心を開き、自分の思いを話してくれるはずです。そして子ども達は大人から「思いを受け取った」というメッセージを返してもらう。その積み重ねが「子どもの自己肯定感を高める」近道なのかなと感じさせられました。 
 今回のインタビューを終えて、世の中の大人は子ども達に様々な形で「安心して自分の思いを話す場や機会」を用意する役割を担っていることを学ばせていただきました。  

編集者紹介        

編集者 遠藤 綜一
滋賀県職員。予算経理に6年間従事し、その後児童養護施設を担当。多い時は年200冊読む本の虫。好きな作家は中村文則。
 
編集者 岩田 俊幸
県職員として定年まで、児童福祉現場で勤務。今は再任用の児童福祉司として虐待対応や人材育成に従事。今村翔吾の本に興味あり。

私信のようなもの

先日とある方が「いつも印刷してファイリングしています」と言ってくださり、大変感激しておりました。今回はお二人の思いが溢れた長編記事となりましたが、編集したり原稿の確認をしてもらったり、何かと手間ひまがかかっております。
仕事だと中々ここまでできないんだろうなあとも思います(内容にも制限がかかりますし笑)が、ここで得た知見は確実に仕事で活きていますので、これからもじっくりやっていきたいと思います。

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