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数字を正当化する

先日このようなツイートをしてみた。

その後、「数字は数字だろ、viewもくそもないんじゃないか」という反応をいただくことができた。
この反応は投資銀行やファンド業界にいる私には非常に新鮮な意見だった。というのも基本的に投資銀行やファンドにおいては数字が絶対的な正義であり、数字に対してどのような意見を持つか、言い換えれば「数字をどのように正当化するか?」に業務時間の99%を費やしており、数字にviewを持たないことはありえないことだからである。

しかしよくよく考えてみると「数字を正当化する」「数字にviewを持つ」ことは必ずしも一般的な考え方ではないのだろう。
例えば営業においてもどのような商品をいくら売ったかのみが評価される現場において、「この数字はどのような根拠に基づいて設定されているか」を自問自答することは必ずしも重要ではないと考えられる。

そのため私としてはまず、「数字を正当化する」とはどういうことか、そして数字を正当化するには、どういったアプローチがありうるのかを考えてみた。そしてそれを体系化することにより、どういったことが求められるかを理論化してみた。

そして最初のツイートに戻ると、数字にviewがない、というのはいいかえると、「その数字を正当化するだけの根拠が足りていない」という感覚になる。

例にもより私の非常に浅い経験によるもののため、批判や論考は大歓迎である。

そもそも数字を妥当であると言うとは?

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