#4 AV女優として生きる事を打ち明ける
AV女優として生きていく事を決めた日、その先の事を考えていました。
どういった気持ちで今を過ごせば良いのか、正直、分かりませんでした。
親には当然言える筈は無いのですが、周りの友人達には打ち明けるか打ち明けないか、打ち明ける事により何が変わりそうか、という事を夜な夜な考えます。
気持ちは、“打ち明ける”という方向に大きく傾いていました。
人に嘘をつくのが好きでは無かった為、ある時、自分の中に話す以外の選択肢はそもそも無かった事を認識するのです。
どんな事を言われるのだろう、今までと変わらずにみんな仲良くしてくれるのかな、やっぱり少なからず態度が変わったりするのかな、気持ち悪いって思われたらどうしよう、なんて永遠にウジウジと悩んでいました。
話すしか無いと思っているのにもかかわらず、何をどうしてそこまで悩むのでしょう。
話しても何も変わらない、と証明する為の自分を安心させる材料を探していたからです。
何にせよ、大切な友人に嘘をつくのは愚かな行為だと思いました。
打ち明ける事で関係性が悪く変わる様であれば、それまでの縁だったと諦める様にしよう、と腹を括りました。
いざ話始めると、一人、二人と話していく内に、少しずつ安心する様になっていく自分がそこに居ました。
それは、友人が今までと変わらずに自分と向き合ってくれたからです。
「本当はやってほしくないけど、やるって決めたなら応援するよ」と言ってくれる人。
「その仕事をやるって決断出来る事は凄い。自分には出来ないから尊敬する」と言ってくれる人。
「遠い存在になっちゃうのが寂しいけど、これからも仲良くしてね」と言ってくれる人。
「凄いじゃん!私、女だけど観るね!作品買うから頑張ってね」と言ってくれる人。
「え?テレビとか出るの?面白そう」と言ってくれる人。
話を聞いて私から離れていく人なんて、ただの一人も居なかったのです。
どの人も思っていた反応とは違い、友人達に申し訳無さを感じると共に、私は浅はかな考えを持っていた自分を恥じました。
それと同時に、自分が周りの人間にとても恵まれているという事を再認識し、本当に有難いなあ、こんな素敵な人達はずっと大事にしなきゃなあ、と改めて思う事が出来ました。
こんな事を思えただけでも、話した甲斐はあって、話す意味や価値もあったのだろうと思います。
その時に自ら打ち明けた人達とは、今でもちょこちょこと会ったり連絡を取ったりして、近況報告をしていたりするのです。
出会いは年々、少なくなってきます。
友人の存在は貴重だと、年を重ねるにつれ、その思いは強くなる一方です。
今、周りにいる人達の事は誰しもが大切にするべきなのではないのだろうかと、当たり前の事を当たり前に思う私でした。
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