三日連続美術館巡り/デ・キリコ展
前日の6月27日に下館美術館でみうらじゅんFESを鑑賞し…。
続けて翌28日は上野にてデ・キリコ展を堪能しました。
前回のキリコ展も行った記憶があるなぁ等と話しながら前日と同じメンツで上野へ向かい、前の時のパンフ(図録と言うよりパンフ的装丁だった)て変形のLPレコードサイズじゃなかったっけ?とか、朧げな記憶を手繰り寄せつつ会場の都美に到着。
今回は大回顧展と呼ばれるにふさわしい点数の作品展示とあり、今まで観たことなかった作品を間近で見られると思っただけでワクワクです。
ただ非常に残念だったのは自分がデ・キリコを意識した、と言うよりもトラウマアニメ回として名高い「母をたずねて三千里21話」(多分21話だったはず)の画面に描き出される街の景観の現実乖離や歪みや捩じれが脳裏にこびりついた状態で「通りの神秘と憂鬱」(女の子のシルエットが自転車のホイールを転がしてるアレ)(私は「女の子グルグル」と呼んでいます)を見て仰天しまくり、キリコの名を覚え込んだその「女の子グルグル」が来ていなかったという点です。
キリコが最初からあの不安定で終末感にあふれる画風(形而上的絵画って言うんでしたっけ?)を展開していないのはご存じの方も多数居られるかと思います。私も最初は何というか普通な西洋画で、人を含めた対象をより現実に沿って描く写実主義な作家と聞いています。
けれども以前の展覧会ではこの初期作品ってほぼなかった覚えがあって、キリコって言えばこれだよね!な、有名な何とか言う広場で天啓が下って閃いた形而上的ってのしか見たことがありません。
なので今回のいちばんの見どころって、初期の作品からどんどん移り変わっていく作家の思考を順を追って見られるトコロじゃないかな?と思います。
一人の作家が何と出会って感銘を受けたりして、それが自身の作品に反映されたり新しいタッチを生み出していたりが、一点ずつ順番に鑑賞しているだけでどんどん現れてくるのがサイコーに楽しかったです。
「あ!これ!!絶対に〇〇分離派と出会った頃のだよね?」
「ちょっと待って!(タイトルと初出年などを確認)そうだよ!ドイツに居るもん」
「こっちのはアレだ!ルソーだわ!!」
「マジだ!ルソー見ちゃったんだwww」
(以上をヒソヒソ声で会話)
「突然ルノアール来てる!」
「空が筆触分割になっとるw」
(以上をヒソヒソry)
同じモチーフを何度も描くキリコですが、年代によってその表現や筆致は様々でした。新しいモノ(コト)に出会ったら(それが気に入ったら)やってみる!を実践し続けるのは見ている側からしたら、自動で開くびっくり箱を次々と覗き込んでいるワクワクが途切れないのです。
そして私たちはある事に気づきます。
たまたま前日にみうらじゅん氏の「コロナ画」を一枚ずつ全部具に鑑賞しながら、最近作と思われる二点がとてもキリコを思わせる色構成で、互いにコレってキリコっぽいね?などと話していました。
今度は本家キリコを鑑賞していると、もしかしてキリコとみうら氏はかなり同じフィールドで描かれているのでは?と思ったのです。
・好きなモチーフは何度でも描く
・自画像がとても多い
・作者のこだわりがストレートに描かれる
・影響を受けたり、気に入ったモノ(コト)を描く
・けれど見る者にはそれがちょっと何だか不明だったりする
・色彩的傾向が近い
他にもあるかもしれません。
けれど本当になんだかものすごく近い作品を見ている気持ちになりました。
絵画作品だけでなく、演劇の衣装や彫刻や初めて見たモノで溢れておりました。順路をどこまで進んでもキリコ!
8月29日まで開催されています。
シュルレアリスムの源流を間近で見られるチャンスなので、是非足を運ばれると良いです。
でも「女の子グルグル」は見られません。
ほんと残念無念(笑)